◆ 願うこと

「マサアっ!」

 叫んで飛び出そうとしたが、足が思うように動かせない。手足に巻きついていた布はその辺に千切れて散らばっている為、長く強力な魔力を流し続けた影響だと思われる。

 這うようにしてようやく傍に辿り着いた時には、マサアの呼吸は先ほどよりも浅く、聞き取りにくくなっていた。

「マサア……っ!」
「――無理よ。死んでしまうわ、その人」

 リイセの声がミナミのすぐ後ろで聞こえた。ミナミとマサアを囲んでいた風が止んだので、ようやく傍に近付けるようになったのだ。
 倒れこむマサアを見下ろす眼は、色のない白黒逆さまで。

「彼の体に刺さっているナイフ、全部私が投げたの。あなたを殺す為に」
「……っ」
「あなたの代わりなら“鳥籠”にまだいる。いいえ、あなたこそが他の“花嫁”の代わりのはずだった」

 リイセの声は淡々としていて、そこに感情は微塵も見られなかった。

「代わりでしかないあなたを助けるためにナイフを遮る盾となって……理解出来ないわ」

 そう言って首を振る。心底呆れたような、見下しているようなその言い草にむっとしたミナミは、思わず言い返していた。

「マサアのことをそんな風に言わないで」

 フリルやリボンに飾られた甘やかな少女の口から、険のある声が出るとは思わなかったのだろう、僅かに驚いたようにリイセの目が見開く。そんな彼女のことなどちっとも気にする様子もなく、ミナミの手は優しくマサアの頬を撫でる。

「マサアはわたしを守ってくれた。たしかにわたしはキーナやミカノみたいに強くもないけど、きっと、そんなこと関係なくマサアは守ってくれたの。それが嬉しかった」

 嬉しかった、そう言いながらもミナミの表情は明るくない。
 くしゃりと歪んだ顔は、体に負った傷の痛みのせいなどではないのだろう。

「……嬉しいと思った自分が怖くなったけど」
「……なぜ? 女の子なんだから好きな人に庇われるのは嬉しいでしょう? 彼もあなたを守れて嬉しいと、それだけの為に動いたんじゃないくて?」
「そうね……」

 たしかに嬉しかったのだ。
 でも。

「怖かった。マサアが傷つくのが。マサアが死んじゃうのが。傷つくマサアを見たくなかった」


 マサアの呼吸音が消える。
 マサアのいない世界が残る。


 そんなものは、望んでいない。


「わたしがマサアを助けたいって思うのと同じくらい、マサアはわたしを助けたいって思ってくれてる。わたしはそれに応えなくちゃいけない。マサアの為に、わたしの為に」

 リイセではなく自分自身に言い聞かせるようにミナミは呟く。その瞳はただまっすぐにマサアを映していた。


――わたしの力だけじゃ助けられないかもしれない
――でも、ミカノに生命の女神の、キーナに知恵の女神の力が少しでもあるなら


 実際にそんな力が存在しているのかは分からない。
 ただ“鳥籠”にいるときに、それぞれがそれぞれの女神の見立てとして素質を伸ばされてきたという、ただそれだけのこと。

 それでもミナミは二人の途轍もない力を知っていた。今までだって目にしてきたのだ。

 自分は“鳥籠”にいたわけではない。
 けれど、いま手元には“彼女”の腕輪があるのだ。

「お願い。マサアを助ける力を分けて」


――お願い、慈愛の女神


「……っなに?」

リイセが小さく声を上げる。
遅れて駆け寄ってきてたミカノ達も、ミナミを見て驚いたように目を見開いた。


――胸が熱い
――焼けるような、それでも優しい力が生まれる


 イメージ。

 土から草が、花が芽生える。
 大きく木が伸び上がる。


――マサア


 それは、胸の内で語られる、ただの願い。


 わたしたちが旅するこの世界は こんなにもきれいで 生きる力に溢れてる
 わたしたちを生かして わたしたちが生かす 世界

 まだ見てないこともいっぱいあるよね
 まだ知らないこともいっぱいあるよね

 それを一緒に探そう
 だから



「――お願いマサア、生きて」

 胸に宿る光。それをマサアに注ぎ込む。光のシャワーとなったそれはマサアの全身に注がれ、消えていく。淡く頼りないとも言える輝きは、その反面、とても温かく優しい瞬きで彼の傷を癒していった。

 瞬間、ミナミは酷い虚脱感に包まれたような気がした。気だけではなく、実際に彼女の小さな体躯は砂漠へとくずおれる。倒れた砂はとても冷たく、滲む夕日の赤に目を細めた。

「マサア?!」

 ミナミが倒れ込んだのとほぼ同時に、タヤクの声が上がった。その声にリイセとミナミを除いた顔が、色めき立ってマサアの様子を伺う。

「マサア……」
「――嬢ちゃんは寝ておきな」

 不意に耳元で声が聞こえて、誰かの手が自分の目を覆ったことに気が付く。視界が真っ黒に染まったが、その手があまりにも優しくて、暖かくて、ミナミの瞼はだんだんと下がっていく。

「大丈夫だ。嬢ちゃんのおかげであのにーさんは助かった。嬢ちゃんが頑張って根性見せたからだ」

 今度はオレらが根性見せないとな。
 そう、声が言った気がした。


◆ ◆ ◆


「おーい、知恵の……じゃなくて、姐さん! 嬢ちゃん寝たぞー」
「姐さん……」

 倒れ込んだミナミを抱えてたハイネがそう声をかけると、呼ばれ方に非常に嫌そうな顔をしながらもキーナは頷いて見せる。使い慣れていない強大な魔力に振り回されたことにより、ひどい疲労に襲われて気を失ったのだろうと判断したのだ。

 彼女のことも心配ではあったが、マサアの方が重傷だろうと倒れる彼の傍に膝をついて様子を伺う。

「マサア……」

 マサアの額を撫でてやると、その瞼が開き、ゆっくりと瞬きをした。
 周りにはミカノ、タヤク、ケイヤもいて、同じようにマサアのことを見守っている。

「あ……」

 どこか焦点の合わない胡乱な眼であたりを見回そうとする彼の動きを制す。その唇はかさかさに乾いて、ところどころひび割れていた。

 キーナは優しく彼の唇に濡れたハンカチを当ててやる。水は下位魔法で簡単に用意できるが、すぐに飲ませるのはよくないとケイヤが判断したので、唇を湿らせるくらいにしている。
 倒れたままでは大変だろうと、タヤクがマサアの上半身を抱えるようにして支えてやった。

「大丈夫よ、マサア。ミナミは無事」
「ほ、んと?」
「あぁ、お前が突っ込んだから、ミカノとキーナがあいつを助けることが出来たんだ」
「お前は休んでおけ」

 タヤクに続いてケイヤまでもが労いの言葉を告げる。それにマサアは満足そうに笑って、目を閉じた。気を失ったわけではなく、ただ単に疲れたらしい。
 無数のナイフに刺されたり女神の風によって切り裂かれたりした傷は、ミナミの術によってほぼ完治していた。

 マサアはもう大丈夫だと胸を撫で下ろす間もなく、キーナは濡れハンカチをタヤクに預けて、今度はハイネに抱えられているミナミの元へと移動する。

 傍に寄って見た少女の小さな体は、酷い有様だった。

 血塗れ、砂まみれ。
 目を背けたくなるようなその光景に、キーナは構わず手をかざした。

「姐さん、大丈夫なのか嬢ちゃんは」
「わからないけれど……」

 そう言って回復の詠唱を始める。

『揺らめく命、流れる命、清浄なる水に預けられし万物の生命。伸びゆく力、清めし力、不浄なる力を押し流せ。蘇生の聖杯――リヴァイバリィ・ウォアント――』

 精霊魔法、水属性の最高治癒魔法。

 壊れた細胞組織までも癒す力があるという呪文だが、いかんせん魔力の消費量が多すぎて、並の魔道士ならば完全回復を前に底を尽くという、使えるのかどうか微妙といわれるほどの高位魔法である。

 魔力の質はもちろん、量も“無尽蔵”といわれるほどのキーナにはうってつけの魔法なのかもしれないが、逆をいえば、それを使わなければならないほどミナミの状態は危ないということだ。

 ハイネの表情が神妙なものに変わる。それに気付いたミカノも傍に駆け寄ってきた。

「ミナミ、どう?」
「――分からない。やるだけやるわ」
「あーっ! あたしも治癒魔法つかえりゃよかったっ!!」

 ミカノが得意なのは黒魔法と火属性の精霊魔法だ。風属性も多少操るが、あくまで火属性の強化用として以外使用していない。
 以前キーナが回復の風属性魔法を教えようとしたとき、「キーナちゃんがいるから大丈夫っ!」とか言っていたのはどの口だろうか。

「――どきなさい」

 悔しそうに地団太を踏むミカノの傍をするりと文字通り“すり抜けて”、リイセがミナミの元へと寄る。半ば彼女の存在を忘れかけていたこともあり、はっと表情を強張らせたミカノとハイネは、その後ろ姿を睨みつける。
 それに気が付いたキーナが何事かを言う前に、彼女は両の手をミナミへと静かにかざしていた。

「リイセ、さん……」
「この子が、言ったのよ」
「え?」

 ぼそぼそと話す声はとても小さく、思わず聞き返す。
 危険はないようだと判断したミカノとハイネも、しかし油断することなくリイセの両脇を固めるように立つ。

 自分が警戒されていることなど気にもせず、リイセの視線は倒れている少女にだけ向けられている。その手からは治癒術の光が滲んでいた。

「あの男の子の為に自分が応えなくてはいけない、って。だから、ね」

 リイセがなんのことを言っているのか、キーナには分からない。けれど、ミナミを生かそうと、今はこうして回復の促進を手助けしてくれている。
 それだけはありがたいと思う。

 紅い前髪を掻き上げたミカノが空を見上げると、あたりはきれいな夕焼けに染まりつつあった。

伽世
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伽世

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