a04

 木曜日。
 天気は鬱陶しいくらい麗らかだ。
 風のまにまに鴇色が舞うのを見ていると、こちらまで舞い上がってしまいそうで自制心が忙しない。
 今はSHR前の登校時間。周りはがやがやと騒がしいが、俺自身も騒がしくしている一人(のようなもの)なので気にならない。
 無事部活を決めることができたが、変人らしい部長に拘泥したのでダリを調べてみた。すると、○ィキペディアに掲載されている若かりし頃の写真が意外にもハンサムで驚いた。カタルーニャ語の長ったらしいフルネームには『ジャシン』と書かれていて、中二病心をくすぐられたのだが、邪神と変人は関係ないか、と思い直すこととなった。
 閑話休題、奇行のエピソードとしては、自分が描いた絵がスペイン内戦を予言したと言ったり、象に乗って凱旋門に行ったり、講演会で潜水服を着て登壇したが窒息死しそうになったりと、極めて妙ちきりんな逸話が挙げられていた。さらに妙ちきりんなのは、リーゼントヘアと称して、頭にフランスパンを括りつけた格好で取材陣の前に現れたことだ。もうなんと言ったらいいか、いろいろぶっ飛んでいる人だということはよくわかった。その時代の誰もが、き○がい、異常者、ク○イジー、と言っていてもおかしくはない奇行ぶりである。というより、言われていたに違いない。アメリカで、フランスパンを頭に括りつけて歩いてみるといい。街行く人に、「Seriously!?」と言われてしまうだろう。
 ダリと言えば、上にピンとはねたカイゼル髭らしい。ピカソら、同時代の画家の反感を買っていた彼だが、カイゼル髭と目を見開いた顔は、今やアートとして人気らしい。髭の形をどうやって維持しているのか訊かれた時、「これは水あめで固めているのだよ」とダリは答えたそうだ。訊いた人はどう反応しただろうか。「あ、ああ。水あめですか……」と言いながら、内心では(アリ集らねえのかな?)と思っていたかもしれない。
 様々な奇行や逸話があるダリだが、実は常識人だったようだ。彼の奇行、つまりアートは、彼が世間と対峙するときの仮面(ペルソナ)であり、奇人の面はダリ本人ではないとのこと。親しい友人の前では繊細で機微のわかる人物だったらしい。本質は変人ではなかったということだ。
 ダリと似ているという部長は彼と同じような人物なのだろうか。俺は、大抵のことでは動じないつもりだが、フランスパンを頭に括りつけた人を見れば、そういうわけにもいかない。もし、フランスパン級の何かがあれば、進退を考えようと思う。先生にお願いされた手前、なるべく忽せにしたくはないのだが。
 ということで、温故知新を狙ってみたはいいが、結局部長についてはわからずじまいなので、他力に頼ってみようと思う。
「なあ、談話部の部長について調べてくんね? 時間があったらでいいからさ」
 椅子に横向きで腰掛け、壁を背もたれにした状態でお願いした。
 すると、それまで自分の情報強者ぶりをひけらかしていた悠だったが(俺は聞いているふりをしていた)、ようやく口を開いた俺の言葉に食いついてきた。
「談話部に入部したの?」
 入れ食いである。
 俺の傍ら(右側)で窓枠に持たれつつ訊いてくる。
 俺は椅子に浅く腰掛け、腰が曲がった姿勢の悪い状態で屈託なく答える。
「思った通りの部だったわ。ゆるい感じの」
 めっけもんだわ、そう思って喜んでいたのも束の間、「部長変人だけど辞めないでね?」と言われた。担任に。
 俺ハメられちゃったかな、と考えていると、
「そのあご、どうしたの?」
 と、興味津々な様子で訊いてきた。
 悠は俺のアゴが気になるようだ。並々ならぬ熱視線を俺のそこへ送ってきている。どうやら我慢できなくなったらしい。いつにもまして饒舌だったのは、やはりそれが原因だったのだ。しかし、悠の発言はよろしくない。空気を読めていない。俺が、なんとか視界に入れないよう横向きに座っているというのに、それがわからなかったのだろうか。円満な人間関係というのは、相手の望みを知ることから始まるというのに。そこは触れてほしくないところなのだ。痛いから。
「ちょっと美人の求婚を受けてな」
 ちょっぽり苛立ちを覚えたので、お茶を濁すことにした。
 すると悠は引き気味な顔で訊いてきた。
「打たれたの? 女子に」
 うん、サキちゃんに……(涙目)。サキちゃんて誰だよ、とお思いの方、実はこれ実話です。ノンフィクション。誰かさんが五歳の時のことなのよさ。
 俺は感慨深げに言った。
「あんな激しい求婚は初めてだ……」
 多分あれだ。最近女子の間で流行りの、コークスクリュープロポーズってやつだ。上顎を殴られたらあなたは私の王子さまです、という意味で、下顎の場合はあなたは私の犬よ、という意味と聞いた。俺は下顎だったので犬ということになる。三回回ってワンパン! 僕は草食系だワン! とでも言えばいいのか。
「セクハラまがいのことでもしたんでしょ?」
 失敬な。真摯で紳士な俺が変態行為を働くとでも? …………。働いてたな、誰がどう見ても。真摯ではあったが、決して紳士ではなかった。真摯に変態行為を実行しているだけだった。
「どうなの?」
 ジト目で見てくるジャーナリスト。すでにメモの用意は完了している。……大丈夫、肝心なところさえ言わなければ。
「あれは俗に言う不可抗力ってやつだ」
「したんだね。そりゃ殴られて当然だよ」
「違います、あれは求婚の儀です」
 さる国では、下半身に抱きつくことが男性から女性への求婚であるらしい。ならば俺は紳士として、美人を前にした時のマナーを守ったに過ぎない。
「そんな儀式聞いたことないよ」
 あれえ? おかしいなあ? お前んちでは習わなかったかなあ? 
 分が悪くなった俺は遁走することにした。
「すげえ捻りだったなあ……」
 痛み止めでぬるい刺激になっている患部を押さえつつ思い返す。今からでも遅くない、あの黄金の右を持つ逸材と契約を結ばねば。
 坊主頭に黒の眼帯、顔や頭には古傷がある出っ歯の中年になりかけていると、
「それで? なんで調べて欲しいの?」
 色々と痛い話はさておき、悠は本題に入ろうとする。
「いや、気になったから。まあ、今日部活行けばわかることではあるんだけど」
 と若干遠慮した雰囲気で俺が言うと。
「お礼は?」
 突然金を出せと言われた。なんて。札じゃない。いや札か。
 さすが情報屋。転んでもただでは起きぬか。討ち取るには惜しい才よ。…………。うーん、転んだっていうか、吹っ飛んだなあ。討ち取るっていうか、テクニカルノックアウトだったような。
 俺、女子に一発K.O.かよ、と情けなくなりつつも、悠に対する札、『礼』を提供することにした。
「そうだな……三枝先生は焼酎が好きらしいぞ? 昨日は帰って芋焼酎飲むって言ってた」
 ゆかりんは、酒に酔わせてなし崩し。ちょろいなゆかりん。ちょろまかすぜユカリン。
 悠はメモを取りながら、
「へえ、それは新情報だね。わかった、部長のこと調べてみるよ」
 俺のお願いを承諾する。
 見返りもなく俺を助けてくれる悠。ああ、お前という知己に出会えたことは、俺の人生で間違いなく幸運だったよ。このちゃっかり者が。
 悠はかわいい顔をして、他方、出すことは舌を出すのも嫌いな吝嗇家なのだ。
 芋焼酎、つまり俺がこつこつ溜めた先生の好感度を以って、調査依頼は無事購われた。
 万遺漏なきよう努めるだろうが、一応懸念事項について訊いてみよう。
「実はな、昨日部長に名前訊きそびれたんだわ。だから名前わかんないんだけど、いけそう?」
 昨日はいろいろあったので、慌てていたのだろう。殴られたり、殴られたり、殴られたりしていたから。
 一度で三回分のお得な気分に浸っていると、悠はメモるのをやめて顔を上げた。
「多分大丈夫。もう訊く人の目星はつけてるし」
「もう? 速いな、おい」
 さすがジャーナリストを自負するだけはある。この調子なら、明日にでも部長の情報が手に入るかもしれない。
 などと考えていると。
「で、なんで打たれたの?」
 …………
 蒸し返すなよ……。その話終わっただろ……。ったくしかたねえな。
「いや、曲がり角で女子に抱きついちゃってな……」
 寝坊してパンくわえたまま通学路走ってたらばったり。ってちがうちがう。それならクマンバチに刺されたみたいに顔腫れない(今は○ロンシップのおかげで腫れは引いている)。
「それただの変態じゃん」
 悠は汚いものを見る目でこき下ろしてきた。
「不可抗力って言ってんだろうが」
 変態よりただの変態の方がひどい言われようなのはなぜなのか。それは、「ただの」をつけることで、「真性の」という意味が付加されるからに他ならない。生まれつき変態ってどんなだ。
「それで、どうだったの?」
 メモる気満々で訊いてくる。え? それ訊く? 訊いちゃう? 真性シャイボーイの俺に? ふ、お前もやっぱ男だな。
 俺は2.828秒ほど溜めてから、
「……や、柔らかかった」
 と、感想を述べた。
 ほどよい弾力と、包み込むような柔らかさ。マシュマロの布団に寝たら、あんな感触がするのかもしれない。
 なんて妄想を膨らませていると、若干困ったような表情で悠は、
「いや、『どうだった』じゃなくて、『どうなった』って訊いたんだけど……」
 と、聞き違えた部分をプロミネンスして言った。
「おおっ! つい本音が!」
 びっくらこいた。
 俺としたことが聞き間違えるとは! 
 うっかりうっかり、てへ、とドジっ子アピールをするも、もはや後の祭りだったようで、
「はぁ。やっぱり変態じゃん」
 と、肩をすくめて呆れられた。

 あちゃー。

maimaikapuri
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