「静かなカウントダウン」
「静かなカウントダウン」
‐どっちが日向くんでどっちが彼方くん?‐
‐俺は日向だよ。‐
‐僕は彼方だよ。‐
‐こっちが彼方くんかな?‐
‐俺は日向だよ。‐
‐こっちが日向くんかな?‐
‐僕は彼方だよ。‐
‐なによ、どっちも同じじゃない。‐
‐‐違うよ。違うんだよ。‐‐
「ねえ、女の子が好きな人にされたら嫌なことってなんだと思う?」
日曜日の穏やかな昼下がり。
二人はキッチンで昼食の準備をしていた。
もちろん調理をするのは日向で、彼方は洗い物や皿の用意を担当する。
「なんだよ、いきなり。」
日向は玉ねぎと鶏肉を炒めながら言う。
「好きな人を嫌いになるほど嫌なことってなんだろうなーと思って。」
彼方の洗い物をする水音と、日向がフライパンを振るいい音がする。
「…浮気、とか?」
フライパンの中に米とケチャップを投入する。
「浮気かー。女の子は浮気したらすぐ諦めてくれるかなー。」
彼方は水道を止め、手を拭く。
「また告白でもされたのか?」
チキンライスのいい香りがしてきた。
「んー、まあそんなところ。向こうの諦めが悪そうでさー。」
彼方は冷蔵庫から卵を取り出し、不器用ながら殻を割ってボウルに入れていく。
「付き合ってやればいいのに。」
少し殻が混ざった気がした。
「えー日向はそれでいいのー?」
割った卵をぐちゃぐちゃに、かき混ぜる。
「ホモになるよりはマシだろ。」
日向はもう一つフライパンを取り出し、油を引いてプランパンを温める。
「あーこの前の話覚えててくれたんだー!」
ボウルから少し卵が零れている。
「案外俺の方が先に彼女できたりしてな。」
小さく笑う日向に、彼方は手を止める。
「…好きな人とか、いるの?」
日向は油を引いたフライパンに、彼方が混ぜた卵を入れる。
ジュッーといういい音がした。菜箸で器用に混ざった殻を取り除く。
「今は、いない。」
日向はチキンライスを卵の上にのせ、器用に巻いていく。
「ふーん…。」
‐あの子、どうしてやろうかな。‐
浮気なら他に相手を作らなくてはいけないし、
日向じゃないとバレるリスクが高くなる。
何か他に効果的なことはないものか―。
そう思っているうちに、オムライスが完成した。
月曜日の朝の図書室の約束。
いつものより亮太は早く図書室に着いた。
まだ百合は来ていないようだ。
‐結局、話しかけることもできないまんま…。‐
彼方から言われたことが、頭から離れなかった。
顔も見たくない程だとは思わなかった。
なんだかんだで、傍にいることを許してくれていたのだと思っていた。
‐日向は俺に言わなかっただけで、ずっとそう思ってたのかな…。‐
窓の外を見つめる。
朝から降り続く雨は、止む気配はなかった。
‐俺の心の中みてえ。‐
そんなセンチメンタルに浸っていると、図書室の扉が開いた。
「あ、坂野先輩おはようございます。今日は早かったんですね。」
元気のない亮太とは対照的に、朝から上機嫌な百合だった。
「おはよ。なんかいつもより機嫌よくね?」
そう聞くと、百合は顔が赤くなった気がした。
両手でその赤くなる頬を包み、少し恥ずかしそうなそぶりを見せた。
「坂野先輩…私…日向先輩とお付き合いすることになっちゃいました…。」
突然の告白。
「え…。あ!お、おめでとう…!」
「えへへ。ありがとうございます!」
亮太は驚いた。
いつの間にそういう風になっていたのか。
毎週毎週相談にならない相談をして「やっぱり勇気がない」と嘆いていたのに。
心の中では何故か、純粋に祝福してはやれなかった。
嬉しいはずなのに、言葉を失ってしまう。
「…っ。じゃあ…来週から、月曜の朝の約束はもうナシだな。」
ようやく発した言葉は、この関係を終わらせるものだった。
「え?」
「彼女が毎週男と二人っきりで会ってるなんて、男は嫌だと思うぞ。」
そうだ。そんなの、浮気のようなものだ。
二人の邪魔をしてはいけない。
「あ…。そう…ですよね…。」
百合はしゅんとする。
こうするのが正しい選択だ。
でも何処か寂しいような気持ちになる。
「…でも、もし…もし、日向に泣かされたりしたらすぐ俺んとこ来いよ!
俺がアイツをブッ飛ばしてやるからよ!」
往生際が悪い。
我ながら情けないと思う。みっともないと思う。
なんだか、一気に周りの人間がいなくなっていく気がした。
「もー坂野先輩は、先に日向先輩とちゃんと仲直りするところからですよ。」
「そうなんだよなあ…。はあ。」
痛いところを突かれる。
百合にはまだ仲直りできてないのがバレバレだった。
あれから一週間。
‐今日こそはちゃんと謝ろう。‐
そう決意し、亮太は拳を握りしめた。
しかし、相変わらず朝から彼方は日向にべったりだった。
話しかける隙などない。亮太はただ静かに目の前の日向を見つめていた。
そして昼休み。
日向と彼方は屋上で二人っきりの昼食をとっていた。
いつも通りの静かな休息。
しかし、日向の箸は止まっていた。
「なあ。」
「ん?どうしたの?」
日向の声に、彼方は唐揚げを頬張りながら答える。
「亮太と…まだ仲直り、できないんだ…。」
「亮太?」
言い辛そうに声を絞り出す日向。
彼方は箸を置き、真っ直ぐに日向のことを見つめた。
「…しなくていいんじゃない?」
「え?」
冷たい声。
目の前の彼方は微笑んではいるが、どこか威圧的な気がした。
「だって、日向は亮太に嫌なこと言われたんでしょ?
たとえ仲直りしても、きっとまた同じこと言うよ。
ああいう奴なんだよ。仲直りしなくてもいいじゃない。」
「でも…あの時は俺が悪かったし…。」
「日向には、」
一呼吸置く。彼方の目には、日向しか映ってなかった。
「日向には僕だけがいればいい。…そうでしょ?」
「…っ。」
日向はそれ以上何も言えなくなった。
真っ直ぐ自分だけを見つめる彼方が、どこか恐ろしく感じてしまう。
「そういえば、」
彼方が表情を変える。
威圧的な笑顔ではなく、いつもの微笑み。
「僕この前隣のクラスの谷内君に飼育委員の日代わってもらったって言ってたじゃない?
今日は谷内君の代わりに仕事しなきゃだから、先帰っててよ。」
そうだ。先週の金曜日は彼方は図書室にいた。
最近は新しい男でもできたのか、母親も帰って来ないため
一人で帰ることは何の問題もないが、日向は変な違和感を感じる。
「それなら俺も残るけど…。」
「いいの。時間かかるし…先帰っててよ。」
日向は時々、彼方の考えていることがわからなくなる。
昔は何も言わなくても、言葉を介さなくても伝わっていたはずなのに。
変わっていく。何もかも。
それがなんだか、とても寂しく感じた。