第十一話 美鳥の退部届

 いつもの昼休み。いつもの屋上、だが少し空気は悪い。
 今朝の事で達也と少し喧嘩もしたが、お互いに腹を割って話した結果は清々しいものだった。
 これで美鳥も元気になってくれていれば一番だったんだが、この望みは空振りした。

「はい、啓一」

 考え事をしていると、達也が俺に箱を一つ差し出してきた。

「あれ、弁当? 二度寝するから作らないんじゃ?」
「簡単なものだけ作ってきた」
「ありがたい」
「食費は頂戴ね」
「お、おう」

 それくらいはしないといけないよな。作ってもらっているんだし。

「じゃ、いただきます」
「…………」
「な、なんだよ?」
「味はどんな?」
「い、いつも通り美味い」
「そ?」
「ああ。いつも通り、懐かしい味がする」

 達也は親ではなく、美樹から料理を教えてもらっていた。
 俺も昔、美樹の料理を食べた事があるからか、そう感じていたんだろう。

「まだ美樹には勝てないよ」
「思い出したら比べてやる」
「ん」
「二人して振られたね」
「その言い方なんか嫌だな!?」
「だって、門前払いの伝言付きだよ?」
「誰とも会いたくない、って」
「キツかったな、母親から間接的に伝えられただけだけど。明るかった美鳥があんな事言うとは」
「んー、ますます前と同じなんだよね……」
「前?」
「今朝も言ったよ、啓一が入院した時みたいって」
「お母さんの態度、美鳥の引きこもり。美樹が死んだ直後に状況が似てるんだ」
「考えすぎとは感じないか?」
「そうかもしれないけど、美鳥が急にこんな態度を取ること事態おかしいんだよ」
「…………」
「原因がなんなのか、それが問題なの。あむっ……」

 原因はわかっている。
 都市伝説の『ローブの絵描き』。
 その顔は美鳥の姉、死んだはずの美樹にそっくりだった。
 でも、これを言って信じてもらえるか?
 否。達也は信じてくれない。
 俺から話を振れば聞いてはくれるだろうけど、冗談にしては性質が悪すぎる。

「あ、そういえばさ。智明先生の誘い、どうするの?」
「誘い?」
「啓一の絵を美術部の作品と一緒展示するって話」
「……ああ」

 いろいろあって、すっかり忘れていた。

「もう断っちゃったけど、今からでも間に合うんじゃない?」
「記憶が戻ったらじゃ、やっぱり遅すぎるか」
「いつ戻るかわからないし」
「ま、ここに来たら、また勧誘してくるんじゃないか?」
「食べにくるって言ってたもんね。でも先生がなんで屋上に?」
「それについては前に聞いた」
「なんて言ってた?」
「あなたを勧誘するため」
「み、見かけによらず積極的だね」
「諦めきれないと言われた」
「……! 美人美術教師と禁断の愛ですか!」
「絵の方だ」
「あらら。随分モテるんだなと思ってたところなのに」
「モテるってなんだよ……」

 扉が開く音がした。

「榎本君。冬木君」
「先生。こんにちは」
「噂をすればって奴だな」
「ここ、いいかしら?」
「ど、どうぞ」
「書類運んでたいら遅くなっちゃった」
「お疲れ様です」
「お邪魔だった?」
「いえ、どうせ男二人でしたから」
「いや啓一、もっと賑やかだよ」
「へ?」

 ……視線を感じる。

「ファンクラブ」
「どうしたの?」
「いえ、制服着ていないので違和感があったんです」

 誤魔化しておこう。

「わ、私は美術教師です!」

 後ろの連中には気付いてないな、この人。

「啓一、からかわないであげなよ」
「若く見えるのは嬉しいんだけど、こんな冗談言い合うのは教師としてどうなのかしらね……」
「一緒に昼飯を食べているのも、充分フレンドリーですよね」
「それはいいのよ。前にも言ったけど、榎本君勧誘の為だから」
「やっぱり勧誘目的だったんですか」
「ええそうよ。無理にとは言わないけどね、むしろここで食べる口実がほしかったの」
「屋上で、ですか?」
「一年生の時にね。ここで美術部の先生と、美術部員達でご飯食べてたの」
「今は誰もいませんけど」
「そうね。私の先生がここから見る景色が好きだったのよ。女子部員が付いて行って、いつの間にかお食事会になっていったって訳」
「あれ、女子部員限定?」
「ふふ。男の先生で、若くて、かっこよかったのよ」
「あー……」

 その先生、ハーレム状態じゃないか?

「青春だったなー、よく余った時間はここでスケッチしてたっけ」
「ここからだと、川辺が見えますね」
「そうね。川辺と言えば……この前はありがとね。明音の事。探してくれたでしょ?」
「見つかってよかったです」
「本当。啓一君が連れてきてくれたんだけど、帰った後少し叱っちゃった。私がちゃんと見てなかったせいあるんだけどね」
「晩飯の準備中だったんですよね」
「そうだけど、もう少し気を付けた方がいいと思うのよ」
「でも、明音ちゃん家から出られましたね」
「それもそうよね。背だって鍵に届かないし。勝手に外へ出ないようにって言ったから」
「結構活発な子なんですね。僕は見た事ないんですけど」
「見たけど、人見知りの激しい子だったぞ」
「なんで外に出たのかしら。少し心配かも」
「大事にならないでよかったんじゃないですかね」
「それもそうだけど、やっぱり私も気を付けないとね。あら、二人とも今日はお弁当なんだ」
「この前からパンでしたけど、今日はたまたま弁当に戻したんです」
「ふうん。でも、啓一君は一人暮らしじゃなかった?」
「そうですけど」
「弁当を作っているのは僕ですけど」
「……!?」
「先生、少し驚きすぎじゃ……」
「や、やっぱりお邪魔だった?」
「先生、どんな想像したんですか?」
「へぇ、達也君が作ってるんだ。おいしそうね」
「そこで誤魔化さないでくださいよ!」
「そういう先生のお弁当もおいしそうじゃないですか」
「明音に作った弁当の余りだけどね。冬木君、少しもらっていい?」
「どうぞ」

 自分の弁当を先生に突き出す達也。

「ん。おいしい」
「じゃ、お礼。私のも食べてみる?」
「え、いいんですか?」
「明音を探してくれたお礼も兼ねてね?」

 おーい、後ろから殺気を感じるぞ。

「いただきます」
「啓一君もどう?」
「い、いえ。遠慮しておきます」

 後が怖いので。
 入口付近から発せられている殺気に耐えつつ、そのままランチタイムを終えた。

「ふぅ。やっぱりここで食べるご飯は何か違うわね」
「風が気持ちいいですよね」
「ええ。そういえば、美鳥ちゃんとは一緒に食べてないの?」
「美鳥は友達といつも学食ですから」
「そう。でも、少し前から部活で見ないのよね。何か知らない?」
「僕にもわからないんですよ。先生が来る前も、美鳥が来ないって話してましたし」
「そう。……二人になら、いいかな。これ見てくれる?」
「これって?」

 智明先生はスーツの裏ポケットから封筒を取りだした。

「なんです?」
「今朝、美鳥ちゃんのお母さんから受け取ったの」
「中、見せてもらっても?」
「ええ。いずれわかることだから」
「では、失礼して」

 先生から封筒を受け取る。
 既に開けられた跡があるので、それに習って中身を取り出した。

「え」
「なになに?」

 達也が覗き込もうとしてくる。

「た、達也」
「ちょっ、見せてよ」
「入口の奴ら追っ払ってこい」
「そ、そんな警戒しなくても」
「あとで何か奢るって言っとけ! 俺が金持つから!」
「わ、わかった!」

 先生から渡された封筒の中身に目をやる。

(一身上の都合により、美術部を退部させていただきます。秋葉美鳥)

 これ、退部届だよな。

「心当たり、ある?」

 退部? なんで、美鳥が?

「…………」

 何を考えているのか、わからなかった。
 部屋から出ようとせず、誰とも会おうとしない。

「啓一君?」

 そして、生きがいであったはずの絵から離れようとしている。

「追っ払ってきたよ」
「お疲れ。ほれ」

 退部届を達也に手渡す。

「ありがと。って啓一、これ!?」
「この退部届、受理できないのよね。親の名前と押し印がないから」
「もらいに行くんですか?」
「今日行くつもり。本人の意志だからね。でも、あまりに急すぎたものだから」
「えと、お返しします」
「昔から仲の良いって言うあなた達なら、何かわかると思ったんだけど」
「すいません、お役に立てず」
「ううん。ごめんね、こんな話しちゃって」
「いえ」
「じゃ、私次授業だから」
「……はい」

 先生を見送り、俺はおもむろに屋上から川辺を見下ろした。

「はあ、何考えてるんだか」
「いや、俺が言えたことじゃないか……?」

 俺だって、今は絵を描こうとしてないじゃないか。
 もしかして、美鳥は俺と似てるんじゃないのか?
 俺は美樹の事を忘れ、絵を描くのをやめた。
 美鳥は、美樹の顔を見て……。見て……?

「達也」
「な、何?」
「美鳥と、美樹の話ってした事あるか?」
「え?」
「…………俺が記憶をなくして、この三年間美樹の事を話したか!?」
「ちょ、落ち着いてよ!」
「一言でも話したか?」
「は、話してないかな。それがどうかしたの?」

 美樹の事は話していない……。いや、でもそんな事あり得るのか?

「啓一?」
「美鳥、美樹の事を忘れようとしてたんじゃないか?」
「美鳥が?」
「ああ」
「ど、どうだろう。でもなんでそう思うの?」
「心当たりがある」
「嘘!?」
「ローブの絵描きの都市伝説、知ってるか?」
「え、そりゃあ結構噂になってるし」
「どう思う?」
「どうって」
「正直信じられないよな」
「確かに都市伝説なんて、って思うけど……それと美鳥がどうしたの?」
「美鳥が見たんだよ」
「え!?」
「ちなみに俺も見た」
「ちょ、冗談でしょ?」
「そう思う?」
「……半分」
「え、もう半分は?」
「啓一の言う事だから、信じたい」
「ここは全否定するとこじゃないか? 都市伝説、ただの噂だぜ」
「だ、だって……僕も見てるし」

 ……?

「オイ」
「え?」
「今なんつった」
「僕も見たよ。ローブの、絵描き」
「いやいやいや、そんな話聞いてないぞ!?」
「だ、だって今言ったし」
「なんで言わなかった」
「寝惚けてたのかなって思ったんだもん! 初めて新聞配達した時だったからさ?」
「で、お前はその……手招きに応じたのか?」
「う、ううん。怖かったし……」
「ま、まあいいや」

 これなら信じてくれるかも知れない。
 俺は思い切って、美鳥がどういう経緯でああなっているのかを話してみることにした。

「本題に移る」
「うん」
「明音が迷子になった日、川辺で見つけたって言ったよな」
「言ってたね」
「明音は、ローブの絵描きの傍にいたんだ」
「俺は駆け寄って明音を注意した。そして、フードの中の顔を見たんだ」
「…………」
「美鳥にそっくりだと思った。本当に瓜二つだったんだ」
「え」
「その時は、そう思った」
「その時?」
「まだ美樹の事を思い出してなかったんだ」
「じゃ、じゃあ」
「美樹に、そっくりだったんだよ」
「し、信じられない」
「嘘みたいな話だけど、俺も美鳥も確かに見たんだ。死んだはずの、美樹の顔をな」
「そんな事、あるの?」
「これなら全部説明できる」
「美鳥は、無意識に美樹の記憶を封印したんだ」
「それでローブの絵描きに出会い、顔を見て、達也の言う美樹が死んだ直後の状態に戻ったんだ」
「美鳥は今、美樹が死んだ時と同じように悲しんでるって言うの?」
「ありえない話じゃない。今まで美樹の話は一切しなかったんだろ?」
「う、うん」
「……でも、まだ確信できないよな」
「否定もできないと思うよ。一番辛かったのは美鳥だろうし」
「とにかく、ローブの絵描きについて少し調べてみないか?」
「調べるって?」
「ほら、聞き込みみたいな感じで」
「んー、でも……」
「なんだよ。どうせ美鳥は出てこないんだし、手掛かりはこれしかないんだぞ」
「誰に聞けばいいの?」

 ……。

「あー」
「ローブの絵描きを見たって人は啓一と美鳥と、僕」
「美術部の瑞樹先輩もいるぞ」
「そういえば見たって噂になってたね」
「まずは恵理に聞いてみないか? あいつならこの噂にも詳しいはずだし」
「そうだね。だけど、そろそろ昼休み終わるよ」
「なら放課後捕まえる。休み時間は友達と話してて入りづらいから」
「わかった。僕も今日はバイトないし」
「部活は?」
「少しくらい遅れても文句言われないよ。バイトか、って思われるだろうし」
「よし、じゃあ放課後だ」
「うん」

太刀河ユイ
この作品の作者

太刀河ユイ

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