♥ ♥ ♥

「ねぇねぇ聞いた? 英光君、来週転校するらしいよ?」
 ──え?
 昼休み。教室のざわめきの中で、その言葉だけが私の耳にはっきりと届いた。
「は? ちょ、急すぎない? 私ら何も出来んやん」
「男子達には言ってたらしいよー。お別れ会とかするらしいけど」
 でも、その先の言葉は私の耳には届かなかった。
 ──え? 転校??
 何の変哲もないその二文字が脳内をぐるぐるぐるぐる。頭が痛くなって、目を閉じた。眉間を揉みほぐす。
 ──待て待て待って? 私、英君転校するなんて聞いてない。聞いてないぞ。
 
 英君は私の家の隣に住んでいる。中学校に上がる前、私が英君の家の隣に引っ越したのだ。人見知りな私に対し、「よろしく」と笑顔で言ってくれた事はよく覚えてる。
 過ごした年季が違うから、私は英君の幼馴染にはなれなかったけれど、幼馴染に負けないくらい沢山の時間を過ごしたと思う。部屋が凄く近いから、お互い家の自室にいながらDSでマリ◯カートの通信対戦とか出来た。いつも勝てなかったけれど、今はどうかな。パーティの方なら負けない。
 私達はとても仲が良かった。と、思う。部活も同じ水泳部だったから、登下校はいつも一緒だった。いつの間にやら私達は皆の公認の仲のようになっていて、一緒にいても冷やかしを受ける事は無かった。
 ──だからこそ、何も進展しなかったのかも。
 中学を卒業し、私達は同じ高校に進学した。クラスも同じだったし、また仲良くやれるって。
 そう、思っていたけれど。
 高校生になってから自然と会話は減った。比較的大人しめな私と快活な英君とでは、同じ教室で学びながら生きる世界は違っていたのだ。
「ゴメンね友里、この後部活あるから」と、勇気を出して「一緒に帰ろう」と言った私に、英君はそう返答した。仕方ない。そう分かっていたけど、やっぱりしょんぼりしてしまう私がいた。私も文芸部なんて入らずに、水泳部に入れば良かったのかな。
 
 聞いてない。転校なんて聞いてないよ、英君。いつの間にか話さなくなって、距離が縮まるどころか離れちゃったと思ったら、今度は手の届かない所へ行っちゃうの?
 ──そんなの、あんまりだ。
「……でねー? って、アレ? 友里どしたん?」
「……ゴメン」
「え、ちょっと!?」
 一緒にご飯を食べていた朱麗(あかり)にそう懺悔の言葉を口にして、私は席を立った。英君はこの教室にはいない。だとしたら。
 教室を飛び出して、私は階段を駆け登る。そして階段室まで上がり、思いっきりドアを開けた。
 ──と思ったんだけど、開かない。鍵が掛かっていた。
「う……そ……」
 私は項垂れた。

                 ♥ ♥ ♥
                 
「え、えーと、皆さん僕の為にこのようなお別れ会を開いて頂き、ま、誠に、感謝の意を……」
 くすくすと、笑い声が教室に響く。
 明日で一学期が終わる。それは、英君との別れを意味している。
 終業式の前日である今日、授業一時間丸々使ってお別れ会が開かれた。主役の英君は変な挨拶をしてクラスメイトの皆に笑われ、顔を赤くしている。
 結局、今日までの一週間、私は英君と一言も言葉を交わさなかった。それは私がヘタレだったからか。それとも、英君が私を避けていたのか。
 お別れ会の様子も、英君の笑顔も、私は目に入らなかった。放心状態にあったのかもしれない。
「……ねぇ、友里! ご飯食べよ?」
「え?」
 気付いたら、もう昼休みになっていた。時計を見ると、さっきのお別れ会から一時間以上経過している。
「友里どしたん? 寝不足? 現代文の授業ずっと寝てたけど」
 あぁ、そうか。私寝てたんだ。まぁ現代文なら良いや。
「ちょっと、ね」
「なになに? お姉さんに話してみなって〜」
「私のほうが年上だけどね」
 現在キャピるんな十七歳です☆ 自分で主張しているあたり若々しさを感じないし、そもそも人前でそんな事言えない。
「まぁ細かい事は抜きにして。……どうせ、佐伯君の事でしょ?」
 英君の苗字は佐伯。珍しい方なのかな。私は英君以外で佐伯って苗字の人を知らない。
「うん、まぁ……」
「やっぱりね。一週間くらい前から元気無かったからそうなんかな〜って思ってたけど」
 さすが朱麗。数少ない私の友達というだけあって良く気付いてる。こういう所に気付ける人が俗に言う『大人』なんだろうなって勝手に思ってみたり。
「私は、後悔しない選択をすると良いと思うけどな」
 牛乳を飲みながら朱麗は言った。いつも朱麗はお昼に牛乳を飲んでる。何でも育乳効果がどうたらとか言ってたけど、今の所効果は薄そう。実は私も試しているというのはここだけの秘密。
「どーいう意味?」
「どーもこーもない! 告白しろって事よ!!」
「ちょ、声おっきいよ!」
 きょろきょろと辺りを見回す。幸い私達の方を向いている人はいない。誰も聞いてなかったようだ。それもそうか、皆自分達の事でいっぱいいっぱいだよね。
 だからこそ、そんな中で私の事を気にかけてくれる友達が素直に嬉しかったり。
「仮に何も言わずにお別れしてさ、友里納得出来るの?」
「そ、それは……出来っこないけど」
「でしょ? 言っちゃえよ〜」
 このこのぉ〜と脇腹を突っつく朱麗。くすぐったいし。しかもちょっと痛いし。
「で、でもぉ……」
 私はその手を払いのけながら、煮え切らない返事をした。
 怖いのだ。振られるのが、という訳じゃなくて。
「今更言ったって、迷惑……だと思うし」
 そう、『今更』。もっと早く言えば良かっただなんて、後悔してもしきれない。今更言ったところで、もう遅いではないか。
「迷惑?」
 だがそれがあまり理解できないようで、朱麗は首を傾げた。
「何で迷惑なん? 女の子に告白されて嫌がる男の子なんているの?」
「知らないよ……。大体、朱麗女の子じゃん」
「いやそーだけどー。私だってイケメンに告られたら例え好きじゃなくても嬉しいしさ。それと同じじゃない? 友里可愛いし、何より家隣でしょ? 絶対佐伯君嬉しいと思うけどなー」
「か、可愛くなんかないよ……」
「それ本気で言ってたら殴るよ?」
 それはやめて頂きたい。ちなみに朱麗は合気道を習っています。
「……英君、嫌がらないのかな」
「絶対嫌がらないよ! 大丈夫だって! 自分と私を信じなよ!!」
 今度はバシッと私の腕を叩かれた。いやだから痛いんだけど。
 英君、私が告白したら、どんな反応するだろ。
 ……笑顔で「ありがとう」とか、言ってくれるかな。
「ミーがステージをセッティングしておいてあげるから、ユーは大胆にコクっちゃえよ〜!」
「何処のジャニーさん?」
 ニカッと朱麗は微笑む。いつも何処か余裕で飄々としている彼女だけれど、常に私の事を考えてくれていたりする。私、良い友達持ったなぁ。仮に私が男だったら、絶対に惚れてるよ、朱麗。良い人すぎるって。
 
                 ♥ ♥ ♥
                 
 放課後。黄昏に染まる屋上で、私は一人彼の事を待ち続けていた。夏特有の暑苦しい風が身体に纏わりつく。
 その時。ガチャリ、と。屋上にある階段室のドアが開いた。
「……あ、友里」
 やって来たのは英君。少し気まずそうな顔をした英君に、私は婉然と微笑む。
「ごめんね? 急に呼び出したりなんかしちゃって」
「いや良いよ。今日は部活休みだったしね」
 ははは、と。乾いた笑みを浮かべながら英君は後頭部を掻く。私と英君の間には一定の距離があった。夕焼け色とも呼べそうな濃いオレンジが私達を染めている。英君の顔にはやや影が出来ていた。
「あの、遠いんだけど。こっち、来てよ」
「え? あ……うん」
 私がそう言うと、英君はそう言って私の隣までやってくる。柵に凭れ掛かった。実はこの一言を言うだけでかなり勇気が必要だったり。ヘタレな事は分かってる。
 英君が隣にいる。ただそれだけなんだけど、私の心は浮きだつ。ドキドキして、心拍数が上がってきた。
 ──あぁ、好きなんだなぁ、私。
 何とはなしに、そう思った。
 英君は取り立てて目立った所はないんだけど、そんな『平凡さ』の中に潜む、素朴な『優しさ』があって。私はそこに惚れたんだ。中学校の時、水泳部でスランプに陥った時、英君は夜遅くまで家の窓越しに相談に乗ってくれたし、勉強で悩んでいる時も教えてくれた。学校でも黒板を消していると手伝ってくれた。さりげないんだけど、それが私は凄く嬉しかった。
 嬉しかったの。
 だからこそ、転校の事を話してくれなかったのは悲しかったし、寂しかった。
 寂しかったの。
「「──────」」
 沈黙が私達を包んでいた。あの纏わりつくような風は止み、静寂がこの場を支配している。
 ゆっくりと、私は口を開いた。
「……ねぇ、英君」
「何?」
「…………いや、何でもない」
「あ、そう」
「「──────」」
「英君」
「何かな」
「………………ごめん、何でもなかった」
「ふ、ふーん?」
「「──────」」
「あの、ね」
「うん。何?」
「……………………何でもない」
「また?」
 呆れたように英君が言葉を返した。
 あぁ、私のヘタレ! 何回『何でもない』を繰り返すつもり!? 本当に好きなら、言えるんじゃないの?
 ──言えるよ。だって好きだもん。その気持ちは、嘘じゃないよ。
 逢魔が時。ゆっくりと空を染めるオレンジが藍色に塗り替わっていく中。
 私は言った。
「英君」
「えっと、何?」
「──好き、だよ」
「うん。……んん? ……えぇ!?」
 やや疑問を含んだ返答をして、その後驚いたように英君は私の方を見た。
「唐突だなぁ。えっと、それは、冗談…………なんかじゃないよね、ゴメン」
 私の目を見て、英君は言った。申し訳なさそうな、でもちょびっとだけ嬉しそうな色をその表情に見せながら。
「まさか、だね」
「え、気付いてなかったの?」
「うん。初めて知った」
 本当に? 皆の間では最早既知の事実と化してたんだけど、それでも気付かなかったの? 
 まぁ、その事はどうでも良いや。
「……ねぇ英君」
「何?」
「どうして、言ってくれなかったの」
 すると、英君は小さな溜息を吐いた。
「……やっぱり、それを聞かれたかー」
「そりゃ、そうでしょ。私それを知って、寂しくなっちゃった。信頼されてないんだなぁーって」
「そ、それは違うよ!」
「じゃあ何で!」
 私は語尾を強めた。
「言って、くれなかったの?」
 英君は悲しそうな顔をする。そこで私はしまったと思った。
 ──折角告白したのに、英君、全然嬉しそうじゃないよ……
「本当に、違うんだ」
 小さな呟き。ともすれば静寂にすら負けてしまいそうな程、その声は小さかった。
「信頼してないからじゃない。僕は、僕は……」
 ぎゅっと、英君は拳を握り締めた。ギリッと歯軋りの音。
「僕は、友里が好きなんだ。だから、言い出せなくて」
 静音に紛れた低音。英君は唇をきゅっと十文字に結ぶ。
「言える訳ないじゃないか。もう、好きな人に会えなくなるんだなんて。言わなくちゃいけないって分かってても、それでも……さ」
 何処か寂しげに、英君は笑う。ややその笑みは自嘲気味でもあった。
「遅すぎるよ。もっと早く言って欲しかった。そして僕も、もっと早く伝えれば良かったんだ。この気持ちを──」
 英君は体重を屋上の柵に乗せる。ギシッと鈍い音が鳴った。
 悲痛な面持ちとはまさにこの事。英君は痛ましい表情を浮かべて空を仰ぎ見る。いつの間にやら日は沈み、藍色がオレンジの残滓を完全に染めようとしていた。
「遅いのかな」
 私はぽつりと呟く。
「私達、これから離れ離れだけど、お互い好き同士なら、繋がる方法はあるんじゃないのかな」
 実はこの言葉、顔から火が出そうなほど恥ずかしかった。『好き同士』って口に出すのがもう……っ。
 でも、言わなくちゃいけないって、そう思ったから。昨日までのヘタレな私には『バイバイ』だ。
「恋に距離なんて、関係ないと思わない?」
「一体何を……。! 成程ね」
 最初英君は私の言葉の意味する所を分かっていなかったようだけど、それに気付くと、英君は嬉しそうに笑った。
「離れてても一緒だよ?」「うん、絶対に」
 オレンジが消失し、藍色が街を染め上げた瞬間。
 私は英君と手を繋いだ。
 
                 ♥ ♥ ♥
                 
 終業式の校長の話はもう少し割愛出来ないのだろうか。何なら全部カットしちゃっても良いと思うんだけど。
 ……とまぁ不真面目な事を考えながら、私は正門に立っていた。
 終業式も無事に終わり、HRも終わったので今は放課である。
 ミンミンミーンと、セミが鳴いていた。ゆらゆらと揺れる陽炎は本日の気温を如実に表わしている。私は額から流れる汗を拭った。
「やっほー友里ぃ〜」
 とその時、後ろから突撃する何かが。
「……痛い」
 正体は人間魚雷(命名:私)こと朱麗。昨日ステージをセッティングし、大胆にコクらせてくれた縁の下の力持ちさんである。
「上手くいって良かったね〜」
 にっこりと朱麗は笑った。あの後私は一番最初に朱麗に上手くいった事を伝えた。そして完全下校の時刻が過ぎていて、先生にバレないよう細心の注意を払いながらこっそり学校を抜けだした事も。
「離れてても繋がってるとか、何? 携帯の電波なの??」
 バシッと数回、私の腕を叩く。いやだから痛いって。冗談とかじゃなくて。本当に。
 でも、朱麗には感謝している。きっかけを作ってくれたのは、彼女だから。
 ポケットの中に入っていたスマホを取り出す。連絡先に記された英君の名前とメアドを見て、私は微笑んだ。
 そう、離れてても繋がってる。このスマホで。この小さな機械で、私達は繋がっているんだ。
 ふと、空を仰ぎ見る。青い空はどこまでも広く、澄み渡っていた。

碧空澄
この作品の作者

碧空澄

作品目次
作者の作品一覧 クリエイターページ ツイート 違反報告
{"id":"nov140224016948592","category":["cat0002","cat0004","cat0008","cat0017"],"title":"\u544a\u767d\u30c7\u30c3\u30c9\u30e9\u30a4\u30f3","copy":"\u300c\u9045\u3059\u304e\u308b\u3088\u3002\u3082\u3063\u3068\u65e9\u304f\u8a00\u3063\u3066\u6b32\u3057\u304b\u3063\u305f\u300d\n\n\u9ad8\u6821\u751f\u306e\u53cb\u91cc\u306f\u3054\u304f\u666e\u901a\u306e\u5973\u306e\u5b50\u3002\u96a3\u306e\u5bb6\u306b\u4f50\u4f2f\u82f1\u5149\u3068\u3044\u3046\u540c\u7d1a\u751f\u306e\u7537\u306e\u5b50\u304c\u4f4f\u3093\u3067\u3044\u308b\u3002\u3060\u304c\u3042\u308b\u65e5\u3001\u98a8\u306e\u3046\u308f\u3055\u3067\u5f7c\u304c\u8ee2\u6821\u3059\u308b\u4e8b\u3092\u805e\u304d\u2026\u2026\uff1f","color":"darkgray"}