孕み育む追走曲

 もう、疲れ果てていた。

 疲労感は限界を突破して臨界点を超えている。徒労感は最悪を通り越して劣悪になっている。
 満身創痍の私は、もう立っているのもやっとで、そのやっと立っていた膝は、今、落ちた。
 腕には切り傷が何個もあった。膝はすりむき、ニーソックスの下から血がにじんでいる。スカートの裾は千切れ、ところどころに穴が開き、下に履いたスパッツが見えてしまっている。
 まさに、満身創痍――傷だらけ、だった。
 ただひとつ残っているのは、心に残る一筋の、光。
 街を、そしてわたしたちを守るという謂れを持った護符。タリズマン。
 それだけをただ守ろうと、護ろうと、戦っている。
 今も、こうして。こうして、戦っている。なのに。

「――――――――――――――――――――――――!!」

 あの、化け物は。
 傷一つ負っていない。
 闇の中で大きく捻じれ、蠢き、叫びをあげるあの化け物は、人の言葉では言い表せない音で、轟音を吐き出しながら増大していく。
 暗緑色に、赤褐色に、藍色に、紺色に、闇色に。
 色を変え、光を変え、不可思議な、理解と想像を超えた姿に。
 『アレ』は、変化していく。
 闇の淵から響くような重低音、かと思えば耳が引裂けてしまうような超高音。そして、人間の感知できない、波動として肌に触れてくるなにがしかの音が、『アレ』の声だった。
 明瞭に聞き取ることこそできないものの、何か、言葉を喋っているような。そんな、声。
 たすけて、うるさい、いきたい、しにたい、もっともっと、かなしい……
 もう『アレ』に取り込まれたら、人間ではない。そう理解していても、攻撃するのをためらってしまった。
 そして『アレ』は時折、人間の顔のような形を成した。
 壊滅させた街の人や、以前に捧げられた巫女たちの顔。その中に、わたしの母の姿もあるはずだ。それらの人たちの、顔を真似るように形作られる。
 あるものは誰にも似ていないように、あるものは愛しい人のように。あるものは父に似て。あるものは――――母に似て。
 時に、許されざるものに。
 時に、許されるべきものに。
 時に、許されたものに。
 時に、許されていないものに。
 それを、見続けることを、わたし達は強いられていた。使命だとされていた。
 頭の中が、文字通り揺さぶられる感覚がした。
 わたしの使命は、ただひとつ。
 わたしの街に、近づけないこと。
 だから、この胸に光を宿したタリズマンを、『アレ』に奪われてはならない。
 なのに――

 膝が付いたそのすぐ目の前には、わたしのとは違う色の服を着た、同じくらいの年齢の、女の子。傷だらけで、倒れて。息を――していない。この子は、巫女に選ばれてとても喜んでいた。魔払いの儀も、毎日の掃除も、色恋や遊戯の制限も、しっかりと守るいい子だった。
 その少し向こうには、青色の服を着た女の子が、頭を抱えてうずくまっている。よく、わたしに掃除をおしつけて、あとはよろしくね、と去って行ってしまうあの子だったはずだ。
 そのすぐ近くでは、『アレ』に比べればまだマシな、けれど聞いていて不快な叫び声を上げて薄桃色の服を着た子が倒れ込む。正義感が強くて、学習への意欲も高く、そしてなにより信仰深い子だった。あの子は、真の巫女だと、噂されていたのに。
 どうしたって、敵わない。『アレ』には、かなわない。
 どうしたって、適わない。『アレ』を倒そうなんて。
 どうしたって、叶わない。『アレ』を止めるだなんて。
 願いが、祈りが、なんだっていうんだ。光の巫女だって?笑わせる。
 これは単に、このタリズマンと私たちを、捧げただけじゃないか――

 『贄』に――

 されただけじゃ、ないか。
 何が悲しくて、こんなことをしなくちゃならないのか。
 どうして、わたし達は戦わされなくてはならないのか。
 ふざけるな。
 ふざけるな……。
「ふざけるなぁあああああああああああああああああああああああああああ!!」
 わたしの叫びは、まだ叫びとして認識されるのだろうか。
 まだ、叫びと認識してくれる友達は、『贄』は、いるのだろうか。
「ああああああああああああああああああああああぁぁぁぁ――……!」
 叫んだ反動で、反らされていた背中を戻し、その勢いで肺に残っていた息を全部吐いた。
 嘆きか、むせ返ったのかわからない嗚咽が口から洩れる。
 頬に伝うものをそのままに、そっと。真っ黒な雲で覆いつくされた空を見た。

 ああ、カミサマ。
 わたしはこんなことをするために生まれてきたの?
 それならどうして、希望を、夢を、理想を、現実を。持たせたりなんか、したの?
 来るはずのない明日への希望。
 来るはずのない未来への、夢。
 訪れることない理想への、思い。
 どこにもいかないはずの、現実。
 それらが全て、いっぺんに、消えてなくなった。
 まるでシャボン玉が割られたみたいに、簡単に、無くなった。

 不愉快な、悍ましい感触が膝を撫でる。カビたゴミのような、違う。もっといやな匂いだ。卵の腐ったような、ううん。もっともっといやな匂い。 
 なんだか、ものすごく嫌なことがあった時に嗅いだ匂いに似ているんだ。嫌で、悲しいことが呼んでくる匂い。何かが、死んだときの匂い。
 そうだ、これは……生き物の、腐っていく匂い。
 その匂いを纏った、粘性が、湿気が含まれた瘴気が、わたしのすぐ膝元まで流れてきていた。
 ぞる、と。
 『アレ』が大きく身じろぎをして、おそらく振り向いたのであろう動きをした。
 視界はあるのか、とか。それならばわたしのことは、わたし達のことは見えているだろう、とか。そんなことを思っている暇はなかった。
 考えられたことは、たったひとつ。
 ああ。『喰われてしまうんだ』と。
 直感的に理解した。

 『アレ』はまた蠢きを繰り返し、わたしへと『アレ』の末端を伸ばす。
 その末端は、人の腕によく似ていた。ぐちゃぐちゃの嫌な色の塊から、痣のような斑の肩が生え、腕が伸び、紫色の腕が生え、青白い手首になった。

「ひ――」

 がしり、と。
 その腕は、咄嗟に逃げようとしたわたしの肩を掴む。
 嫌だ、と思う暇もなかった。その腕は、腕は、腕は――――?

「●●●ちゃん」

 腕の、側面に。
 おかあさんの顔が。
 浮かんで、消えた。

 わたしの、名前を、呼んで……消えた。


「うううう……っがぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 私は、傍に墜ちていた神器を拾ってその腕を叩き折る。
 神器は、さすが神器というだけあってこの戦いの中でもまだ折れるということがなかった。
 最後に、力をかしてほしい。
 その願いが届いたのか、応えるように神器は光りだす。
 まだ、勝てる。勝つことが、できる。そう、念じながら『アレ』に向かってひた走る。
 覆いかぶさるように蠢いている『アレ』に、飛びかかる。
 時が、止まったように感じた。
 そう感じるくらいの、長い跳躍。
 そして神器を、めいっぱい、力いっぱい、精いっぱい、振り下ろす!

 神器の当たった部分が、白く浄化され、ぼろぼろと崩れていく。
 やった。
 勝つことが、できたんだ。頭の上から落ちてくるヘドロのような何かを顔中に浴びながら、わたしは『アレ』の背中側に降り立つ。
 拳で、ヘドロのような何かを拭い、手についたそれを振り払った。
 振り向いて、崩れ落ちていく『アレ』を見届けよう。

 そう、考えて、気が付いた。

 その、向こうには――――――街が、あるはずだ。
「あ……あ……!!」

 タリズマンを握りしめて、頼むから護ってくれ、と、願う。
 光はただ、わたしの手の中で握られているだけで。
 何も、護ってはくれなかった。

 轟音と共に、『アレ』は街の上に崩れ落ちていく。
 それを見ながら、わたしは声をあげることもできなかった。
 ただ、ひとつできたことは。
 すべての苦しみを昇華かさせ。もう、考えることもできなくなって。悲しくて、苦しくて、寂しくて、愛する人も、残された家族も、みんな、あの、したに――――


――――ル――――シテ――――ヤ――――ロシテヤ――――コロシテヤル――――

「みんな――――殺してやる――――壊してやる――――」

 
 こうしてわたしは
 なにもなくなって
 さいごにみた
 『アレ』へと
 なりはてた
                                 Egg Plant is have a great Success!!

金森玲
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金森玲

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