日曜日。
お仕事お休み！
休日の楽しみは、お菓子作り！今日はナッツたっぷりのクッキーを焼いちゃうよ。
食べさせる相手はいないから、全部自分のおなかに入っちゃうんだけどね…
それが全部おなかにブヨブヨと付いちゃってるんだけどね…

ピンポーン

クッキーが焼ける香りにワクワクしていると、チャイムが鳴った。

「来た来た♪」

「お荷物でーす」
「はーい」

私はいそいそと玄関へ向かう。時間指定で頼んでいた、ダイエット器具。
夜中のテレビショッピングで思わず買っちゃたんだよねえ～
今度こそ、続けられる気がしたんだ。

「結構重いですよ」
「あ、そこ置いておいてください」

うーん。ずいぶん、深々と帽子を被ってる人だなあ。
顔を見られたくないのかしら。
別に写真集を出すほどのイケメンである必要はないけど。
顔が見えないのって不信感持たれると思うんだけどなあ…

表情が全然わかんないなあ。
うーん。おじさん？じゃないし。
同い年くらい？２０代後半から３０代前半って感じかしら。
一人暮らしの若い娘さんの家とかにも行くんだろうから、これはちょっとよろしくないよね？
怖がられちゃうよ？
あ、私も一応、一人暮らしの２０代女性だけど。
ギリギリ２０代ね。

えーっと。名前は…
胸に付けられたネームプレートを見る。

「アルバイト　田中芳隆」

ふーん。アルバイトなんだ。
日曜だけとかなのかなあ？

田中芳隆…
どこかで…
田中…

あ！

私は思わず声を出してしまった。

「ハンコお願いします」
「あ、はいはい」

握り締めたままだったハンコを押す。

「ありがとうございました」
お辞儀して去ろうとする相手。

「あ、ねえ、もしかして、高校一緒だった田中くん？」
「あ、ああ…」
顔をそむける彼。

やっぱり。

元カレ。
高校時代にちょこっと付き合った、田中芳隆くん。
１５年ぶりくらいか。

「懐かしい…」
言いかけた私を、田中くんが制止した。

「ごめん。俺、仕事中だから」

やっと顔を上げてくれた。
ああ、田中くんだ。
だいぶ年食ったけど、あの頃好きだった、凛々しい顔はそのまま。

「そうだよね。ごめん。ありがとう」
「失礼します」
もう一度お辞儀してドアを出ていく彼。

「お世話様でした」
こちらも頭を下げて見送った。

懐かしい。
懐かしすぎる。

ずっと忘れてたけど。

あの頃、とても大好きだった彼。
彼からの告白で付き合い始め、一緒に帰ったり、たまにファミレスでお茶したり。
キスすらなかった、プラトニックな恋。
一度だけ触れた手に、ドキドキが止まらなかった。

奥手なのかともどかしく思っていたのも、今となっては笑い話。
実は大学生の彼女が本命なのだと高２の冬にフられてから、話すことすらないまま卒業してしまった。
好きすぎて、とても友達には戻れなかった。

忘れてた。
ううん。
忘れたふりしてた。

だって。
本当に好きだったんだもの。

あの失恋で、私は恋の出来ない人間になった。
食べることが一番の幸せ。
食べる事でしか自分を癒せない弱い自分が情けなくて、一人で引きこもりがちになった。

高校時代は読者モデルなんてのもやってた自分が。
気づけば、印象派の裸婦像みたいになってしまったショック。
その現実から逃げるために、さらに食べ続け。
職場では肝っ玉母さんと呼ばれるまでになった。

子供、いないのにね。
結婚、してないのにね。
恋なんて、出来ないのにね。


焼きあがったクッキーとにらめっこする。

こんがりと色づき、甘く香ばしい。
これを頬張るのが、私の休日の楽しみだったのだ。

「…」

３枚だけ食べて、手を止めた。
残りはタッパーに詰め込んで冷蔵庫に入れる。
少しずつ食べよう。

美味しかった。
すごく美味しかった。

けど。

ため息をひとつついて立ち上がる。

私は先ほど届いた段ボールを開けた。
簡単な組み立ての器具。
説明通りに動かしてみると、ものすごく辛い。
運動不足のアラサ―には、相当しんどい。
たった３０分？
テレビの中で手軽だと繰り返していた声が蘇る。
いや、これを３０分毎日続けたら、そりゃあ痩せるだろう。
続けられたら…

弱気になってはダメ。
続けるのだ。

私は汗だくで運動を続けた。

体を動かすのは、とても気持ち良かった。
それによって変わっていく自分の体を見るのが嬉しかった。


すっかり日曜日の生活が変わった。
お菓子作りは休止。
ヘルシーなダイエット食の研究と、運動。
そして。

ピンポーン

ネット通販で買ったダイエット食品の到着を待つのが一番の楽しみ。

痩せると評判のお茶、脂肪を落とすというサプリ、おからクッキー。
手当たり次第試してみた。

効果のほどは、正直わからない。
元々不摂生だったのだ。食事を改めて運動するようにしたら、当然痩せ始めた。
お茶やサプリは、おまけに過ぎない。
私のダイエットの源は、その荷物を届けてくれる田中くんなのだから。

「なんか毎週ここ来てるな。通販？」
「うん」

最初顔を隠していた田中くんは、次からちゃんと帽子を上げてきてくれるようになった。
届け先が私だと気づいて、正体を隠そうとしたらしい。

「別にバレてもいいでしょう」
「いや、ほら…若かったとは言え、ひどい事しちゃったし…」

ああ。彼なりに気にしていたのか。
もう１５年も経ってるのだ。もう、今さら蒸し返すつもりなんてない。
確かに私は傷ついたし。
それで人生だいぶ変わってしまったとも思うけど。
でも、それは田中くんだけのせいじゃない。
自分の弱さだし。
あの時、あんなに好きだった彼を繋ぎとめておけなかったのも、自分の不甲斐なさだ。
何より。
再会を喜んでいる自分がいる。
本当に憎かったら、顔を見るのも嫌だと思うはず。
私はやっぱり、彼を恨んだりなどしていないのだ。好きな気持ちに無理に蓋をしていただけだったのだ。

週に一度、たった数分のやりとり。
それでも３か月続けば、恋人だった頃の親しさが戻ってくる。

「いや、最初ここ来た時、もしかして勘違いかなあ、他人かなあ、とも思ったんだけど」
田中くんが言いにくそうに口を開く。

「それって、太ってたから？」
「うん…まあ…」
「あはは。正直だね」

困った顔の彼を前に、私は大笑いした。
太ってるのが悪だとは言わない。ふくよかでも可愛らしい人は、世の中にたくさんいるし。
ガリガリに痩せてるのが必ずしもきれいだなんて思わない。
ただ。
私みたいに己を諦めてる女は、きっと醜かったのだろう。
休日だからとすっぴんでスウェット上下だったしな…

自分を顧みて反省できるようになったのだ。我ながら随分進歩した。
もういい大人だけど。



彼との再会から半年。
私は、高校当時と同じ体重まで戻った。
残念ながら体型やお肌のハリは戻らなかったけど。

だいぶ…きれいになったと、自分で思う。

職場の男性陣も今まで見向きもしなかったくせに、最近やたらと飲みに誘ってくる。
ゲンキンなもんだよねー
ま、悪い気はしないけどさ。

ピンポーン

お待ちかねの、彼登場。
ほんの数分、時には、数十秒。
たったそれだけしか会えない。話せない。
それが何だか密会してるみたいで気に入ってはいるけれど。
そろそろ…

そろそろ、プライベートで会いたいと誘ってみても良い頃合いじゃないかしら。

「半年くらい経つよな、ここに来るようになって」
思いがけず、彼から話し始めた。
「いやあ、お前、本当にきれいになったよな。いや、昔もきれいだったけど」

もしかして、同じ思いだったのかしら。
私はポーカーフェイスを気取って「そうだね」とそっけなく答えた。
向こうからデートに誘ってくれるなら、願ってもない。
ちょっとだけ渋ったフリして、じらしてやろうかしら。


「毎週来てたから、来れなくなると寂しい気がするな」
はは、と笑う彼。

え？
どういうこと？

首をかしげる私に、彼が微笑んだ。
「俺、今日がこのバイト最後なんだ」

「！」

私は言葉がみつからなかった。
そんな私を置いてけぼりにして、彼は話し続ける。

「俺、本業は営業なんだけどさ。最近業績悪くて、ボーナスかなり減らされててさ。ボーナスをあてにしてピアノ買っちゃったんだよ。で、仕方ないから短期バイト探したんだ」
「…ピアノ？」
彼はピアノなど弾いただろうか？

「ピアノって高い月謝取る上に、発表会だなんだって金掛かるんだよなあ～でも娘がやりたいって言うし。嫁さんも自分がずっとピアノやってたから娘には続けさせたいみたいだし」
「娘…」
「ああ、今５歳」
ごく当たり前の顔で返事をする彼。
「５歳…」
私の思考は停止した。
娘。
嫁。
ナニソレ？


「やっと来週からまともに休めるよ。この仕事、かなり体力的にきつかったからな」
コキコキと首を鳴らす彼。
「帰って娘の顔見るのが幸せでさ。パパお疲れ様って似顔絵とかくれるんだよ。これが似てないんだけどさ、嬉しいんだよなあ」
彼の頭の中は、温かな家族が占領している。
家に帰ったら、私の事なんてこれっぽちも思い出さないんだろうな。

「そっか…」
何がそっか、なのかわからない。
わからないけど、それしか言えなかった。

「お前も、あんまり通販ばっかり買うなよ」
「うん…そうだね…」
「そろそろ結婚とか子供とか、考えて金貯めておかないと苦労するぞ。って俺に言われたくないか」
「…」
「早めに二人目欲しいし、バイト続けても良かったんだけどさ」
「…」
「これからは本業でもっと稼げるように、頑張らないとな」
ああ、このバイトに未練なんてないんだね。私のところに来なくなるのも、何でもないことなんだね。

当たり前か。

「が、頑張ってね」
上手く笑えてないね、私。

奥さんとうまくいってるの？なんて野暮な質問だよね。
家族の為に頑張るお父さん。
ああ、付け入る隙なんて無いじゃん。

「じゃあな」
「うん。バイバイ」

私は閉まったドアをじっと見つめて「バイバイ」と小さく呟いた。

「っあははははっぐっ…うぐっ…」
涙と笑いが止まらない。
何だこの茶番。
何を一人で盛り上がっていたんだろう。

「あーあ」
私は来週届くはずだったダイエット用のおかゆをキャンセルした。

冷たい水で顔を洗い、お風呂場の姿見に全身を映す。
うん。まんざらでもない。
私はモデル気取りでポーズして、頷いた。

なんだ。
私、ちゃんと恋できるんじゃない。
恋できなくなったなんて、思い込みだったんだ。

「っ…」
私はその場にしゃがみこんで、膝を抱えて泣きじゃくった。

田中くん。
大好きだったんだよ。
もう、この声は届かないけど。



ぐーっ
泣き疲れておなかが空いた。
あはは。体は素直だな。

届いたダイエット食品を開ける気にはなれなくて。
私は久々に外食しようと準備した。

腫れた目が痛々しいけど。
深く帽子を被れば、どうにか隠せるかな。

そうだ。
新しく買った服を着ていこう。
もしかしたら彼とデートできるかも、なんてバカみたいに浮かれて買った淡いグリーンのワンピース。
似合うじゃない。
半年前じゃ、こんな服着られなかったもん。
この半年は決して無駄じゃなかったんだ。

田中くんは、私にもう一度頑張る勇気と、輝くチャンスをくれたんだね。
ありがとう。
やっぱりやっぱり、大好きだよ。
本当は私に愛も届けてほしかったけど。
彼の愛はもう、どこかの誰かに届けられてしまった後だった。


さてさて。
私に愛を届けてくれるのは、誰かしら。

待ってても仕方ない。ちょっくら、探しに行きましょかね！