最終話 涙と笑顔と天気雨
「……それでショウたん。ボク達は何処に向かってるのかな?」
太陽が降り注ぐ蒸し暑い雨空を、ショウとアルが傘をさしながら歩く。
「さっきの葛葉との会話を聞いていただろ」
「いやー聞いてはいたんだけどね。実のところ所々よく聞こえなかったというか? いまいちよく理解できなかったというか?」
「白々しさにかけては、お前は世界を狙えるレベルだな……」
「そ、そんなことないって! だからショウたん、ボクにも一体何がどうなっていたのか……教えてほしいなぁ」
「……」
「ね? ね?」
「はぁ……」
うち捨てられた子犬のような目で、ショウに懇願する『ふり』をするアルに、ショウは大きな溜息を吐きながら、やれやれといった感じで解説を始める。
「俺たちが向かっているのは病院だ」
「病院?」
「そうだ、貴志は病気で入院している。恐らく葛葉もそこに向かったんだろう」
「でもなんで、貴志君が病院に入院してるってわかったの?」
「白い部屋に長テーブルが備え付けられた白いベッドがある場所。そんな場所、俺は病院以外知らん」
「なるほどぉ」
両の手をポンと叩きながらアルが納得したようにうんうんと頷く。
「もういいか?」
ショウがそんなアルを置き去りにし、早足で先を急ぐ。
「まっ、待ってよ~。まだ聞きたいことがあるんだってばぁ!」
慌ててアルがショウの後を追う。
「なんだ……」
ショウは溜息を吐き、歩く速度を緩める。
「なんでショウたんは葛葉ちゃん……こっくりさんにあんな質問したの?」
「……」
「『貴志の寿命は後何日だ』……だっけ?」
アルの間延びした口調で紡ぎ出された言葉に、ショウはわずかに目を伏せる。
「それが葛葉の依頼……何故、貴志は自分と友達になるのを拒んだか、の答えだからだ」
ショウは伏せていた顔を上げる。
その顔に、何ともいえない虚しさのような表情が見え隠れする。
「もうすぐ自分は死ぬ……漠然とはいえ、幼い貴志には恐ろしくて仕方なかったはずだ。だから貴志は願った。そんな自分と最後の時を過ごしてくれる『友達』という存在を」
晴れ渡る雨空を見上げながら、ショウが淡々言葉を吐き出す。
「でもなんで? それなら学校の友達じゃ駄目なの?」
そんなショウの言葉に、アルが疑問を投げかける。
「もうすぐ自分は死ぬ。自分が死んだ後の、残された友人の心中を思えば、これ以上自分の友人と仲良くはできなかったんだろう」
「あぁ……まぁ確かに友達が死んじゃったらショックだもんねぇ。仲が良ければ尚更」
「だから、ショウは葛葉……こっくりさんなんていう存在に願ったんだろう。自分の友達になってくれ……なんて願いを」
ショウのここまでの推論を聞いて、アルが首を傾げる。
「あれ? だったらなんで貴志君は葛葉ちゃんと友達になることを拒んだの?」
「葛葉が花嫁衣裳だったからだ」
「?」
ショウの返答の意味が理解できず、アルは再び首を傾げる。
「確かに貴志は友達が欲しかった。だが、それを願った相手の姿はなんと花嫁衣裳の葛葉だった。外を見ると天気雨……狐の嫁入り。恐らく貴志は気づいたんだろう。自分が呼び出したこっくりさん……葛葉がその嫁入りの狐だということに」
ショウは大きく息を吐く。そのショウの吐息が、天気雨特有の湿っぽい空に溶けていく。
「自分が死んだ後のことを考えて、友達とこれ以上仲良くできない……なんて考える人間が、これから結婚する花嫁と友達になろう、なんてできると思うか?」
「それは……」
「だから貴志は花嫁衣裳に身を包んだ葛葉を見て、願いをキャンセルしたんだ。これから幸せな日々を送っていくはずの葛葉に、自分の死が枷となって、葛葉の幸せに水を差さないように」
そこまで話すとショウが不意に立ち止まる。
「ショウたん?」
慌ててアルも足を止め、後ろにいるショウに振り返る。
「……話しすぎて喉が渇いた。そこの自販機で何か買ってくる」
そう言うと、ショウはそのまま歩道の脇にある、大きな公園の遊歩道に入っていく。
「ちょ、ちょっと待ってよ~」
その後を慌ててアルが追う。
「アイタ!」
が、いきなり立ち止まるショウの背中に、アルは顔面を強打する。
「イタタ~。いきなりどうしたのさ~ショウたん」
赤くなった鼻の頭を摩りながら、アルはショウの背中から顔を覗かせる。
「……あれは」
ショウとアルの視線の先。
そこには降り注ぐ雨に身を委ね、ずぶ濡れで公園のベンチに座り、空を見上げる葛葉の姿があった。
そんな葛葉にショウが静かに近づいてゆく。
ショウの足下から、ピチャリ……と水溜りを踏む音が響く。
その音に気づき、葛葉がゆっくりと視線を空からショウへ移す。
「なんじゃ、お主たちか……」
力無い口調で葛葉が自虐的な笑いを浮かべる。
「滑稽なものじゃな……。もう何百年と生きてきたというのに、あのような小童の心中一つ察してやれんとは……」
乾いた葛葉の笑いが公園に響く。
「貴志は?」
「逝ったよ。妾が行った時にはもう口も聞けず、目もほとんど見えておらんようじゃった」
「……そうか」
葛葉が再び空を見上げる。
「だがな、最後に貴志は笑ったんじゃ……! 窓の外からただ見ていることしかできない妾に向かって確かに……!」
葛葉は空に向かって叫ぶように言葉を吐き出す。
そんな葛葉の肩は小刻みに震えていた。
「なぁショウよ……教えてくれ。妾は、貴志の願いを、叶えてやれたのか……?」
「さぁな……そればかりは俺にもわからん」
そっけなくショウが答える。
「ははは……ほんにお主は、はっきりと言う男じゃの」
葛葉の口から、再び小さく乾いた笑いが零れる。
「だが」
そう言葉を続けたショウが、晴れ渡る雨空を見上げる。
「貴志は最後にお前に向かって笑った。他の誰でもない、お前に向かって笑顔を向けながら、その生涯をまっとうしたんだろう? だったらお前も笑って貴志を送ってやる……それが友達って奴なんじゃないのか?」
「そうか……そうじゃな……。は、ははは……。どうだショウ、アル? 妾は……笑えておるか? 貴志の友に相応しい笑顔が、できておるかっ……!」
その大きな瞳から、止まらない涙を流し続けながら、葛葉が笑う。
「あぁ、笑えているよ。最高の笑顔だ、なぁアル」
「うんうん、そうだねショウたん。葛葉ちゃんの分はこの空が代わりに泣いてくれるっていうから、今は笑おう。葛葉ちゃん!」
「ははは……お主がキザな台詞を吐いても、胡散臭いだけだな」
「全くだ」
「ひ、ひどいよ~二人共! ボク今、すっごいい台詞言ったよねぇ!」
木漏れ日が眩しい空から降りしきる雨の中、一匹の狐が泣きながら笑う。
こんな美しい矛盾もたまには悪くない……ショウは静かに心の中でそう思った。
「……で」
あれから三日……。
AS探偵事務所は現在遅めの昼食中。
ショウの視界には、昼食のそうめんを頬張りながら、幸せそうに笑う葛葉の姿と、そんな葛葉を先ほどから写メで何枚も撮影するアルの姿があった。
「何故お前がまだここにいる!」
ガタンと音を立てながら、ショウが勢いよく席を立つ。
「ふぇ?」
チュルンとそうめんをすすりながら、葛葉が不思議そうな顔でショウを見る。
「ふぇじゃない! なんで嫁入りした娘が家にも帰らず、呑気に人の事務所でそうめんをすすっているんだ!」
「あぁ、それなんじゃがな……破談した」
軽い口調で葛葉がサラリと言う。
「はっ?」
葛葉の言葉をとっさに飲み込めないショウ。
「いやなに。婚姻式の途中で呼び出されてから、ずっと連絡もせず放置していたからの。先方がいたく激怒してな。婚姻を破談にしたそうじゃ。まぁ妾も相手方の男は、どうも好きになれん陰気な奴じゃったからの。それは別に良かったのじゃが……」
「はぁ」
「婚姻を破談にされて、一族の顔に泥を塗ったということで、妾も勘当されてしまってな。いや、これは参った」
ははは、と全く参った様子のない葛葉が高らかに笑う。
「事情は分かった。が、俺はお前を匿う理由はない。さっさと次の寝床でも探し……」
「理由ならあるぞ」
溜息を吐きながら、ソファーに座り直そうとするショウの動きが、ピタッと止まる。
「……何?」
「こっくりさん」
「は?」
ショウは首を傾げる。
「妾とやったじゃろう。こっくりさん」
「それがどうした」
「だからの、お主に呪いとしてとり憑くにした」
「はぁぁっ!?」
再びガタンッとショウが勢いよく立ち上がる。
「待て! 今のこっくりさんは現代社会の知識を人間から吸収するだけだと……」
「ああ。そちらの方が妾達にとっても有意義だからの。だが別に呪わないだけで、『呪えない』とは言っておらんぞ、妾は」
「……」
葛葉の言葉を聞いて、糸が切れたマリオネットのように、ショウはドサッとソファーに崩れ落ちる。
「……詐欺だ」
「まぁまぁショウたん、いいじゃない。念願の幼女助手(狐耳付き)だよ~」
アルがいつものとぼけた口調で、消沈するショウをスマホのカメラで激写する。
「まぁそういうわけで、これからよろしくの。ショウ、アル!」
「こちらこそよろしく~」
「どこだ……どこに訴えればいい……? 警察か……陰陽師か……? というか、そういえばこいつから依頼料貰ってないぞ……ブツブツ」
仲睦ましげに手を合わせるアルと葛葉。
その傍らで白目を剥きながら、ブツブツと独り言を呟くショウ。
AS探偵事務所の夏は、まだまだ騒がしい夏になりそうだった……。
~終~