-ある街に古い喫茶店がありました。その喫茶店は死せる人に想いを残し、悩み惑う人々が時折立ち寄るという。おやぁ?今日も迷える人が立ち寄るみたいですよ-
あるしとしと雨が降る夕刻、やさぐれた男がトレンチコートの襟を立て、首をすぼめながら、雨に濡れる街の中を歩く。男はあたりをうかがい何かを探しているようだった。ひとしきり歩きまわると、とある古い喫茶店の前にたどり着く。
「マスターよく降りますねぇ」
「そうだな。よく降るねぇ。さて、杏ちゃん。今日は片付けたら上がってもいいよ。もうそろそろ、定期試験じゃないの?」
「えへへぇ、そうなんです。そろそろ勉強しないと。」
「進級は大丈夫なのかい?」
「はい、大丈夫です。成績はわるくないので」
マスターと杏が他愛のない話の後、彼女が片づけ始めようとしたその時、扉が開き男が入ってきた。
「あ。いらっしゃいませ~」
「いらっしゃい」
男は杏を一瞥もせず無言でカウンターに座る。杏はちょっとムッとしたが、営業スマイルでオーダーをとる。
「ご注文は?」
「コーヒー。ブラックで」
男はそれだけいうと貝の様に口を閉ざし、押し黙った。表情は硬く、苦悶に満ちている。マスターはコーヒーの抽出を始め、杏はその男を気にしながらも、店の中を片づけはじめる。男はその間、うつむき何も話さない。やがて、杏が入ったコーヒーを男に差し出すと男はコーヒーを受け取り、一口、また一口と長い時間をかけゆっくり飲む。やがて長い沈黙の後、男は意を決したのか、おもむろに口を開く。
「ちょっと聞いてみるんだが、ここの辺に想いを残した死者の声を代弁する口寄せ屋がいるというのは本当か?」
男はマスターに何の前置きもなく尋ねる。杏は男の言葉にハッとするが、何も言わず見つめている。
「............その話嘘ではないな。ただ、すぐ会える訳じゃない。簡単に口寄せ屋に会えると思っているのかい?」
しばしの沈黙の後、 いつも言葉少なくあまり冗舌とは言えないマスターが一気に畳み掛けるよう男に話す。
「いや、本当にいるのならそれでいい。自分で捜す」
「どうやって?」
「さぁな。片っ端、思いついたところをしらみつぶしに当たるさ…」
そう言うと男は冷めかけたコーヒーを一気に飲み干し、立ち上がる。その時杏が男に声をかける。
「あなた、お金はもってる?」
「コーヒー代ならこれだ」
男は無造作にポケットに突っ込まれしわくちゃになった札を差し出す。杏は苦笑いし天を一度仰ぎ、男にさらに言う。
「コーヒー代もだけど口寄せ屋の件よ。あなたの理由とお金次第で相談に乗ってあげるていってるの」
「何?お前は何者だ?」
「口寄せ屋をよく知るもの、『いたりん』こと板梨杏よ」
杏はそう名乗り、不敵に微笑む。しかし男はその名乗りに関心を示さなかった。
「........まぁいいわ。口寄せ屋に会いたいんでしょ。その理由は?」
肩透かしにあった杏は取り繕い、男に理由を問う。男は訝しげに杏を見つめ、口を貝のように閉じたまま、理由を答えようとしなかった。
「このまま、あてどなくこの街をさまようの?それならそれでいいけど.......」
わざと杏は男に挑発的な言葉で誘う。男は多少焦りの色を見せた。
「まぁ、本当に紹介して欲しいならまた明日、夕方にこの店にいらっしゃい。その時話を聞きましょう」
そういうと杏は店の奥に入ろうとする。男は慌てた様子をみせ、杏を引きとめようとする。
「......何か?」
杏は冷たく反応する。男は仕方ない様子で口を開き出した。
「ある女性を呼び出してもらいたい…」
男はためらいながら、訥々としゃべり始める。杏は事務的に男に次々質問する。
「理由は?」
「言わなければいけないことがある。それが理由だ」
「そう...。それでお金は?」
「いくらいるんだ?」
「依頼内容次第。でもだいたい20万からね」
「…すぐには払えんが、何とかする」
「…そう分かったわ。会わせてあげる。けど、一回出直して。こっちも準備がいるのよ。明日のこの時間に来てくれるかしら?その時にお相手の写真なんかも持ってきてね」
「…わかった」
ひと通り杏の質問が終わったとき、マスターが口を開く。
「さぁ、今日のところは出直してもらえるかな」
男はコーヒー代を支払うと、何も言わず店を出る。マスターは男を見送ると杏の方を向く。
「さて、杏ちゃん、ぼちぼち上がるかね。明日は一仕事だよ」
「あ。はい。準備はいつもの様にお願いします」
「わかってるって。ただ今度の客はなんだか厄介そうだよ、大丈夫?」
「何を言っているんですか、マスター。こう見えても美少女イタコ『いたりん』で、その筋に名が通っているのは伊達じゃないですよ」
マスターは笑いながら、店を片づけだす。杏もロッカーにエプロンを投げ込み、帰り支度をする。
「それじゃ、マスターおさきです」
「はい、おつかれ」
杏が店を出るとマスターは表の看板を片づけ、店の明かりを落とした。街はすっかり日が落ち暗闇に包まれていた。
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次の日も雨の一日だった。しとしとと霧雨が降り続き陰惨な雰囲気が街に立ち込めていた。日が落ち街に灯が灯る頃、かの男が店にやってきた。店にはマスターの姿しか見えない。
「あの子がいないようだが?」
「大丈夫。奥にいるから」
そういうとマスターは男を奥へと案内する。カウンターの奥の扉の向こうに地下へと向かう階段があった。マスターはその階段を男を案内しながら、降りていく。階段を下り切ると、小さな部屋があった。二人は部屋に入る。部屋には白装束に身を固めた彼女がいた。
「さぁ、そこにお座りください」
「君が…」
「私がイタコのいたりん。よろしくね」
「あなたのお名前は?」
「...ヒロシです」
いたりんに促され、ヒロシは彼女の前に座る。
「呼び出したい人の写真と名前をお願いします」
彼は呆気に取られつつも、いたりんの指示に従う。彼女の前に写真と名前の書いたメモが差し出される。
「明子さんね。この方はどんなことで亡くなったの?」
「交通事故で...」
彼はそれだけ言うと後は声にならなかった。その女性が亡くなった悲しみがこみ上げ、かすかに嗚咽している。
「その方はどんな御関係だったの?」
「.........大切な人です。...........一番愛した女性です」
彼はとぎれとぎれに彼女の質問に答える。
「それで、この方に何を聞きたいの?」
「..........」
「.......血のつながり」
衝撃的な答えにいたりんは思わずハッと彼の顔を見つめる。彼の顔にはその女性への思いと心の奥底から湧き上がる疑念との葛藤により胸締め付けられ、苦しんでいる様子がありありと現れていた。その葛藤により今にも大声で叫びだし、暴れだすのを必死で抑えているような苦悩の表情がそこにはあった。いたりんは彼の苦悩の表情を見て、彼のただならぬ決意を見た。そして彼女は気を引き締め、口寄せの準備に入る。
「............わかりました。これより口寄せを始めます」
いたりんは目を閉じ、息を整える。そして般若心経を唱えつつ、数珠を振り回し、その女性の霊を呼び出す。仄暗い部屋に読経の声と数珠の擦れる音だけがこだましている。
「.........交信終わりました」
しばしの沈黙の後、いたりんが静かにヒロシに向かって宣言する。ヒロシは僅かに身を乗り出し、次の言葉を待った。
「明子さんはヒロシさん、あなたの..................お姉さんです。間違いなく、血のつながりがあります」
ヒロシはその言葉を覚悟していたのか、静かに聞いている。
「........そうですか。やっぱり.........やっぱ............り........」
ヒロシはそれだけ言うと天井を仰ぎ、しばらくそのままの姿勢だった。その頬には一筋、二筋と涙が伝う。
「彼女はこうも言っているわ。『ヒロシとは血はつながった姉弟だけど、そんなことは関係ない。本当に一人の男としてあなたを愛していました。出会えてよかった』........と」
いたりんが付け加えると、ヒロシは今まで抑えていた悲しみや苦しみが一気に吹き出し、大きな声で嗚咽した。周りのことを顧みず泣き崩れた。泣いて、泣いて、泣いて、泣いて、あらんばかりの涙を体から絞り出すように彼の嗚咽は続く。
ひとしきり泣いて落ち着いたところでいたりんが口を開く。
「.........本当に明子さんはあなたのことを一人の男して愛していらしたようです。その感情が私の心にも伝わって来ました」
「明子は血のつながりで苦しんではいなかったのかい?」
ヒロシはいたりんに尋ねる。
「もちろん、彼女も今のあなたと同じように苦しんでいました。苦しんで、苦しんで、それでもあなたへの愛情を否定できなかった......本当に彼女はあなたを愛していましたよ」
その言葉を聞いて、ヒロシはもう一度感情が高ぶりを感じたが、今度はその高ぶりを抑え、次の言葉を続ける。
「...........ありがとうございました。それだけ聞ければ十分です」
「お役に立てたのなら嬉しいのだけど.......。気をしっかり持ってね」
ヒロシは静かにすっと立ち上がり、いたりんに一礼する。彼はそのまま、出口へ向かいマスターに料金を支払い、夜の街へ消えていった。その足取りはこの店を訪れた時より疲れは見えていたがしっかりと大地を踏みしめゆっくりとしたものだった。その時雨は止み、雲がまばらに広がる夜空になって、虫の音だけが街に響いていた。
「.......マスターこれでよかったのかな?」
「何が?」
「本当のことを知らずに生きていればあんな苦しみを知らずに済んだのに」
「それは違うんじゃない?本当のことに直面したからこそ彼らは本当に心の底から愛し合えたんじゃないかな。結果結ばれず悲惨な結末になったけどね...」
「そんなものかなぁ....」
「そうそう、イタコの役割は終わったんだから、後は彼次第。我々が思い悩んでも仕方ないよ」
「さて仕事は終わった。杏ちゃん片付けて上がって」
「........はい」
杏はそう言うと白装束から着替え、後片付けを始める。マスターも片付けを手伝う。片付けが終わる頃には空が白み始め、小鳥がさえずり始めた。
(まったく、何でいつも片付けるとこんな時間になるのかしら......)
杏はぼやきながら白み始めた街にゆっくりと消えていった。雨上がりの朝は総ての穢れが洗い流され、草一本まで輝きが増したように朝露が光っていた。
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