はやく帰りたいな、とマナは思った。


  宇宙船の窓からはどこまでも広がる真っ黒な闇と、
 丸く美しく輝く球体が見えていた。
  あれを見ているとなぜだかほっとする。



「あれは君たちが今までいた星、『地球』というんだよ。」



 あの人は言っていた。
 あの人、そしてあの人たち。



  どこか地球の人たちとは違う、
 それでいてたしかに人間、という感じのするあの人たち。

 
  地球の人たちと比べて、なんとなく目がやさしい気がする、
 とマナは思う。

 マナの目、そして母の目に似ているのかもしれない。

 

  『地球の人たち』、
『やさしい人たち』と、マナはわけて呼ぶことにした。
 

 地球の人たちにさえあまり通じなかったマナたちの言葉も、
 やさしい人たちは理解してくれているようだった。
 

 やさしい人たちの言葉は、
 愛と心から発せられるものだから誰にでも通じるのだそうだ。

 
 むしろ地球の人たちの言語という、
 時に心と発せられる音の一致しないものの意味がよくわからないと
 困ったように笑っていた。

 
  そうだよね、とマナも嬉しくなった。

 

  マナたちの部族の言葉の単語は少ないが、
感情をそのままのせることで、たとえ僅かな抑揚の違いでも
 部族間の者にならば誰にでもきちんと心が伝わるのだ。

 
  そんなふうに一度でも地球の人たちに
 ちゃんと伝わったことがあっただろうか?

 
  もし伝わるならば、マナと母を引き離したりしなかったはずだ。

 



  あの日、何も知らされず、
 小屋に閉じ込められたマナの耳に聞こえたのは、
 マナを呼んで悲しげに叫ぶ母の声だった。

 


  「どれい」と、やさしい人たちは言っていたようだった。


「まして望まない相手との性交や妊娠など……」
 そこまでで、マナが聞いているのに気がついて会話をやめてしまった。

 


 マナは父を知らなかった。



 マナや母の暮らす小屋では、たまに『妊娠』した他の女性がいたが、
 やはり父親というものは見たことがなかった。

 
 一度だけ母にたずねたことがあるが、
 とても悲しそうな眼で困ったようにマナを見つめただけだった。

 

  それでもあの日までは良かったのだ。

 


  地球の人たちも、マナたちに冷たかったわけではない。



 いつでも自由に、とはいかなかったが、
 可愛らしい花の咲く草原で遊ばせてくれたし、
 日々食事も与えてくれた。そこにはたくさんの仲間もいた。

 
 それに何より、母やマナを美しい、とよく褒めてくれた。

 
  とくに黒い瞳や長い睫、褐色の肌を褒めてくれた。
 やがて母のように美しくなると。

 
  マナはそれが誇らしかった。

 


  その美しさが仇となったのかもしれない。

 


 母は『街』に売られたのだという。
 
  一度『街』に売られたものは帰ってこない。それはマナも聞いていた。

 
 だがなんの権利があって、
 地球の人たちはマナたちを離れ離れにしたのだろう? 
 別れの挨拶ひとつさせずに。ただ悲しかった。

 


  夜の小屋の片隅で、ひとり泣いた。
 長い睫を伝って涙がいくつもこぼれた。

 

  もし、神様がいるなら、マナも連れて行ってほしいと思った。
 帰って来られなくてもいい、もう一度母に会うことさえできたら。

 


  そう願った時に、空から光が降ってきた。



 そうしていつのまにかマナたちは、この宇宙船の中にいたのだ。

 

  やさしい人たちは、「地球を浄化する」のだと言った。
 もう悲しいことのない世界、自然で、
 愛に満ちたすばらしい世界になるのだ。

 
  そのためには、
 地球にとって一番の悪の根を抜き取ってしまわなければならない。

 
 だからその間だけ、この船の中にいて欲しいと。

 


  ひょっとしたら、とマナは思う。

  母も助けてもらって、この船に乗っているのかもしれない。

 
 そうして、地球がきれいになって、帰してもらったら、
 あの花の咲く草原で母に会えるんではないかと。



 
  その時、船内に声が響いた。

 


  「地球の浄化は完了しました」

 




  気がつくと、マナはあの草原に立っていた。

 
  私たちの草原だ、とマナは思った。

 
  ただ、マナたちの住んでいた小屋がない。
 地球の人たちの住んでいた『家』もない。

 
 地球の人たちも、いなかった。

 

  ふと、マナは懐かしい視線を感じて振り向いた。

 やさしく、黒い瞳。艶やかな褐色の肌。

 これからの幸せを約束するような、
 その日の朝の光にも似た、美しいマナの母だった。

 

  マナは思わず、「モウ」と声をあげた。
 

 草原には、自由と再会を祝う、牛たちの声がこだましていた。        

 

 〈了〉

 

 

樹樹
この作品の作者

樹樹

作品目次
作者の作品一覧 クリエイターページ ツイート 違反報告
{"id":"nov141049990938440","category":["cat0006","cat0008","cat0009","cat0017"],"title":"\u5e30\u90f7","copy":"\u30de\u30ca\u306f\u5b87\u5b99\u8239\u306e\u7a93\u304b\u3089 \u61d0\u304b\u3057\u3044\u5730\u7403\u3092\u898b\u3064\u3081\u3066\u3044\u305f\u3002\n \u305d\u3053\u306b\u306f\u6bcd\u3068\u5f15\u304d\u88c2\u304b\u308c\u305f\u60b2\u3057\u3044\u601d\u3044\u51fa\u304c\u3042\u3063\u305f\u3002 \n \u73fe\u4ee3\uff5e\u8fd1\u672a\u6765\u306e\u30b7\u30e7\u30fc\u30c8\u30b7\u30e7\u30fc\u30c8\u3002 ","color":"lawngreen"}