「実験を開始します」
白衣の男がオレに告げた。
やつらは、防弾ガラスの向こう側からオレを監視している。
オレは死刑囚だ。
いや正確に言うともう死刑囚ではない。
本来ならもう処刑されているところだ。
この国では昨今、『死刑』か『死ぬまで人体実験の被験者になる』か、
死刑囚本人が選べるようになったのだ。
もちろん、人道的な問題や、死刑そのものが犯罪抑制になるという観点から、
そんなことは表向きの社会には知らされていない。
オレも死刑が決まってから知らされたのだ。
実験の内容にもよるだろうが、
”肉体への苦痛を与えることは禁じられている”そうだから、
誰だってこっちを選ぶだろう。
そもそもオレは何も悪いことなどしていないのだ。
この世界を汚している、蛆虫どもを殺して何が悪い。
オレは選ばれた正しい人間なのだ。
汚れた魂の人間を何人か始末したところで捕まってしまった。
こんなところでオレの夢が潰えるなんて神が許すはずがない。
オレは狂っているのだといろんな人間に言われたが、そんなことはない。
この世界のオレ以外の人間のほうが狂っているからこんな世界なのだ。
そもそもオレが狂っているなら、精神鑑定の結果、無罪で逃げられるはずだ。
だがそれにはあまりにも多くの人間を無差別に殺しすぎたのだと
役立たずの弁護士は言っていた。
そんなわけで、オレは死刑か実験体になるか、
どちらか選ばされることになった。
どんな実験にせよ、生きていれば体調不良を訴えるなり何なりして、
実験所の外に出る隙も出来るかもしれない。だからオレは後者を選んだ。
「体調はどうですか?」白衣のメガネがマイクを通してオレに話しかけてきた。
「すこぶる良いよ」オレは答えた。
実際、実験所に連れてこられてからは、
食事や睡眠も良質に管理されていて、健康そのものだ。
「今回あなたには、『理想の世界』をバーチャルに体験していただきます。
この実験は、人間が自分の思い通りの世界を自由に生きることができた場合、
精神面でどのような影響があるのかを調べるためのものです」
「説明は何度も聞いたよ。さっさと始めてくれ」
オレは今、体がまるごとスッポリ入るような、卵形の機械の中にいる。
体は固定され、顔面全体を覆うゴーグル付きの
ヘルメットのようなものを被せられている。
「四肢への麻酔後、脳に直接信号を送り込みますから、
肉体そのものは動き出す心配はありません。
まあ、夜眠る時に見る夢が、
自分のシナリオ通りに進められるといった感じですね。
こちらではあなたの見ている夢が映像としてモニタリングされます。
そちらに出てくる世界、および登場人物はリアルに感じるはずですが、
この実験装置はまだ試作段階なので、
ある一定のパターンの繰り返しになります。よろしいですか?」
「ゲームの中の登場人物みたいなもんだろ?そんなもん、どうでも良いよ。
どうせやることは決まってるんだからな」
オレは答えた。
殺して殺して殺しまくってやる。それがオレの夢だ。
実験を見ているやつらもさぞかし恐れおののくことだろう。
なんでも思い通りになる世界でなら、
オレが大人しくしているとでも思ったんだろうが、
そんな期待通りの実験結果なんて与えてやるものか。
オレの夢は、オレ以外の人間をこの世界からすべて消滅させることなんだ。
「ではリラックスし、目をつぶってください。送信を始めます」
白衣の男はそう告げると、マイクを切って周りの人間と目配せしあい、
何かのスイッチを入れた。
目の前で一瞬火花が散ったように感じた。
世界が闇に落ち、光の点が遠くに現れたかと思うと、
急激にその光の中に飲み込まれた。
気が付くと、オレは懐かしい町並みに立っていた。
どこかで見たことがあると思ったら、
小学生の時に登下校していた商店街の道路だった。人気はあまりない。
目の前には小学生のガキがランドセルをしょって一人ぽつんと歩いている。
子供が相手なら遠慮するとでも思ったのか?
オレはガキに近づいて行ってランドセルを引っ張って振り向かせた。
そこにいるのは昔のオレだった。子供の頃のオレの顔だった。
ガキのオレは泣き出した。
なるほどな、子供時代でも思い出させて改心させようってでも言うのか。
気持ちが悪い。オレはガキのオレを突き飛ばした。
ますます激しく泣き出した声に、商店街から人が出てきた気配がした。
むしゃくしゃする、手当りしだいみんな殺してやる!
振り向くと、そこにいるのはすべてオレだった。
近所のババアのオレ、夕刊配達の若造のオレ、
女子高生のオレ、野良犬のオレ……。
どの顔もみんなオレだ。
年齢も性別もみんな違うのはわかるが、だがどう見てもオレだった。
向こうもオレがオレだというのが解っている、みんなそんな表情をしていた。
オレはオレを殺すべきだろうか?
いやオレはオレだから殺す必要はないんだろうか?
周りのオレも同じようにオレを殺そうか迷っているようだった。
さっき突き飛ばした小学生のオレでさえ、
ランドセルからカッターを取り出し始めた。
白衣のメガネの男が言った。
「どうでしょうね。
こんな実験で犯罪抑制のヒントになる結果が得られますかね?」
「正直どっちでも良いよ。これで殺される側の気持ちが少しは解るだろ」
もう一人の白衣の男が答えた。
近年増え始めた、大量無差別殺人の被害者遺族からの
『一度の死刑では生ぬるい』との訴えから、
このような刑罰が新たに作られたのだ。
国としても貴重な精神サンプルで実験できる、望ましい方針だった。
だがそれは刑罰を望む被害者遺族と、一部の執行人にしか知らされない事実だ。
オレはなぜオレが狂っていると言われるのか、少し解ったような気がした。
〈了〉
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