私は、荒木太陽がものすごく、しつっこい男だということを知っている。
ついでに言えば、何事もなければ、
彼があと70年はピンピン元気で生きていくだろうことも知っている。
私には他人の寿命が”影の濃さ”で見えるのだ。
最初にこの能力に気が付いたのは小学校3年生の時だった。
放課後、校庭で”影踏み鬼”の遊びをしていた時のことだ。
その時のルールは、みんなで一斉に鬼にも逃げる側にもなるもので、
私はみんなと同じように無邪気に何人かの影を踏んでいた。
そのうち一人の女の子に、影がないことに気が付いた。
当時の私はただ単純に、「最初から影がないなんてずるい!」と思い、
そのままそういうことを彼女に伝えてしまったんだと思う。
何かの冗談かと思われたようで、その子と話しているうちに他の誰かが
彼女の影があると思われる位置を踏んで、その時の影踏みは終わった。
それでも私が食い下がってみんなに訴えていると、
そんな私がだんだんと気味が悪くなってきたようで、
クラスメートたちはばらばらとランドセルをしょって
校門を飛び出して行った。
一人になった私は、真っ赤な夕日を浴びてトボトボと一人で家に帰った。
あの時のみじめな気持はよく覚えている。
翌日のことだった、緊急で朝、全校集会が開かれ、
前日影のなかったあの子が、帰り道に自動車に轢かれて
亡くなったことを教えられたのは。
田舎の小さな小学校だったから、クラスは一つきり。
それから地元から少し離れた私立の中学校に入るまで、
私は彼女を呪い殺した妖怪みたいな目で見られ続けた。
そう、これからすぐに亡くなる人間の影は、
私の目には映らないのだ。
そんな小学校の時の経験以来私は、人と積極的に関わらなくなった。
日々誰かと仲良くしていればどうしたって相手の影は目につく。
ふとした瞬間に誰かの影が昨日よりも薄いことに気が付いてしまったら、
もう平常心でその人とは関われない。
私だって最初は、中学や高校のクラスメートや教師などで、
死の前兆に気が付いた人間には、それとなく注意喚起をしてみたり、
悩みがあるなら相談にのるからと訴えてみたり、
健康診断を勧めたりしてみた。
すると当たり前だが気味悪がられて、距離を置かれた。
そしてその後しばらくして本人が死んでしまうと、
私の死の予知の噂だけが一人歩きする。
そうしてまた私は、クラスで一人きりになった。
大学の頃になると私は、家族以外に関わるすべての人間を
他人だと思うことに決めた。
誰かの影なんて見ない。関わらず、気が付かなければ良い。
そうすればなんの能力もない、他の普通の人間と同じだ。
こんな能力を持って生まれた自分と、そんな風に産んだ親と、
創造した神様を恨んだこともあった。
でもある日、社会に出て、働くようになってふと思いついたのだ。
もしみんなが何か一つ、特殊な能力を持っていて、
それを私のように隠して暮らしているんだとしたら、と。
一つ一つは小さな仕事でも、それが最終的には世の中を動かす力になる。
そんな風に、ひょっとしたら私が知らないだけで、
私も誰かの何かの力に、助けられて生きているのかもしれない。
私の能力は、死の期限が見えるだけのものだ。
それを回避や延長させることはほとんどの場合できない。
この能力で何かできるとすれば――。
これからすぐ死ぬと解っている人間の役に立つことくらいだ。
だから私は、気が付いてしまった時だけは、
死のその瞬間まで、その人に優しくすることに決めたのだ。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
だからただ、こっぴどく振るだけで良かったのだ。本来なら。
乗換駅で、会社までまだ距離もあるからと気を抜いていた。
私が人を助けているところをたまたま見られたのだ、
同僚の、荒木太陽に。
彼は同期入社で部署も同じだが、それ以上でもそれ以下でもない、
ただの同僚だ。仕事以外で話したことはなかった。その時までは。
それから彼はお節介なことに、会社の同期連中にその事を広め、
私が「本当は優しい人」だと吹聴しているらしい。
その上私に告白し、しつこく付きまとうようになってきた。
……。
だから私も即、振ったのだ。
少なくとも、何度も、普通の男なら立ち直れないくらいに
冷たい態度で接してきたはずなのだ。
なのに彼ときたらまったく諦める様子がない。
3ヶ月ほどそんなことを繰り返していたが、さすがにこちらも限界だ。
社内ではもはや彼のキャラクターと私がセットで扱われ始めている。
彼は知らないだろうが、女子社員の、
男性社員のいない場所での嫌味はかなり悪質なものがある。
私はただ、目立たず、一人で生きていければそれで良かったのだ。
そこで私は考えた。
一度付き合ってみて、そして変な女だと思われればいい。
向こうから振ってくれるまで、嫌われるようなことをすれば良い。
それで――。
それで今夜。
言ってしまった。
私には、人の死の期限が見えることを。
なぜ本当のことを言ってしまったのか解らない。
確かに嫌われるにはこれ以上ない情報だ。
だけど変な宗教にハマってるだとか、アイドル以外に興味がないとか、
実は女の子が好きなの、とか、
嘘をつこうと思えばいくらでも思いついていたはずなのに。
これでお終いだ。
彼は悪い人じゃないけれど、友達が多く、口が軽い。
悪気はなくとも、興味本位でこの事を知った人間から
私がどう扱われるかは解らない。
そんなことを考え、俯きながら駅までの道を一人歩いている。
長い髪はこんな時に便利だ。
人の影も、私の涙も、隠してくれる。
転職も考えなくてはいけないかな、と思ったその時、
腕をつかまれた。
「あっ、ごめんなさい、泣いてるとは思わなくてその……」
たぶん食事をしていた場所から追いかけて走ってきたのであろう、
荒木太陽がそこにいた。息も荒いし、顔も赤い。
恥ずかしいのは泣き顔を見られたこっちのほうだ。
どうしていつもこっちのペースを乱すんだこの男は!
「あのっ、僕はっ!
……もし、僕が死ぬんでも!
それでもその間くらいは光さんと一緒にいたいです!!」
一瞬、意味が解らなかった。
ああそうか、さっきの話を丸ごと信じてくれたんだ。
そして自分がもうすぐ死ぬと、勘違いしてるんだこの人は。
私は声をあげて笑ってしまった。
そして泣いた。大声で。
こんな人通りの多い、駅前の道のど真ん中で。
すると太陽は、さらに真っ赤になって、周りを見回したあげく、
思い切ったように私を胸に抱きしめた。
「ごめんなさい、僕は死にません、とか言えたらいいんですけど……
えーと……人間いつかは死ぬものだと思うので!
だから、僕は、光さんのその力は、
やっぱり優しいものだと思うんです!
死んじゃう前くらい、誰かに優しくしてほしいって人、
きっと今は、世界中にいると思うから!! だから僕は――」
私はさらに大声で泣き始めた。
彼は少し声をおとして、そして私を優しく抱きしめ直すと、こう言った。
「だから僕は、残りの人生、光さんと一緒に、
これから死んでしまう誰かを、助けて生きたいです」
私は、荒木太陽が、ものすごくしつっこくて、
そして本当に優しい人だということを、知ってしまった。
〈了〉
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