第1話-1-

その日私は珍しく、携帯の目覚ましより早く目を覚ました。

夏休みに入り毎日をだらだらと過ごしていたわけだが、当然登校用にセットしている携帯の目覚ましは切らずにいた。

いざ学校が始まった時に起きられなくなってしまうからだ。

さて、今は何時なのだろう?

枕元の携帯を開く。

「--あれ?」

……電源が落ちている。

ハッとして置き時計を見ると、美鈴との約束の時間、午前11時30分を10分程回っている。

急いでリビングに降りると、由美がいた。

「ちょっとちょっと! 何で起こしてくんないのよ」

ソファーに座った由美は嫌味なほどに落ち着いており、テレビをつけたままお気に入りの小説を読んでいた。二階からバタバタと降りてきた私を横目でチラ見すると、また小説に目を戻して口を開いた。

「何でって、別に頼まれてなかったし。お姉ちゃんいつも一人で起きてくるじゃん。いつもの携帯目覚ましは?」

「電源落ちてた。で、不思議なのが、電源そっからつけたんだけど、電池残量80%だったの」

「壊れてんじゃない?」

由美は冷たく即答した。妹のくせに可愛げのないやつだ。

小さい頃は一緒にままごとをやったり近所の公園に遊びに行ったりしていたが、最近は家での会話すら少なくなっている始末。

会話の疎遠になっている夫婦をネタにしたニュースを今しがたテレビでやってるのを指摘したかったが、それが私と、今まさに目の前にいる由美との問題なこともあって黙っておくことにした。

いや、まあその事を気にしているのはもしかしたら私だけであって、由美は全く気にもかけていないのかもしれないわけだが。

これが美鈴だったらきっと笑ってくれるのだろうと、心の中で「私が美鈴にこの話題を振って、それを美鈴が笑いながらバカにして--」というような一連の流れを想像すると、それだけで可笑しくなって笑いそうになった。

由美はその言葉を最後にソファーから立ち上がると、今度は本棚から白い卒業アルバムを引っ張り出してきた。

昔見せてもらったことのあるお母さんの高校の卒業アルバムだ。

そしてまたソファーに、静かに座るとアルバムを広げ、“ある”ページを開いた。

「お姉ちゃん、これ」

「ん? 何々?」

由美が見せてきたページは、クラスごとに顔写真と一言コメントが載っているページ。お母さんは旧姓の「田中冬美」で載っていた。気になる一言コメントは--

「二人の事は忘れない。ありがとう。--だって」

私が見ていたところを察してか否かは分からないが、ちょうど読んでいたところを由美が声に出してみせた。

「どういう意味だろうね。これ。……お姉ちゃん、何か知ってるんじゃないの?」

由美は、まるで私がその事を間違いなく知ってるかのような口振りで聞いてきた。突然アルバムを引っ張り出して、どのページにも目もくれずこのページを見せてくる辺りをみても、私に“そういう確信”を持っての行動なのだろうか。

「え? どうして?」

「昨日お母さんにそれらしい事聞いてたじゃない。お母さんの昔の友達の誰かが死んじゃうとか死なないとか。……あれ? 何か違ったかな?」

「私が? そんな事聞いたかな?」

……全く身に覚えのない事に納得はいかなかったが、ここで、聞いた聞いてないの押し問答をしても、口で勝てる相手では無いのでそそくさとリビングを後にした。

昔からそうだ。由美は絶対に怒らないが、冷静に痛いところをついてくる。

ついこの前の、珍しく口答えをしない由美に一方的に怒っていたら、私がお母さんに怒鳴られてしまったのを除くと、今のところ勝率はゼロだ。

あれは、私の勝ちだった……はず。

にしても、昨日私がお母さんに聞いてたって、何時頃だろう? 夜お母さんに聞いてみよう。

急いで着替えて顔を洗って髪を解いてポニーに纏めると、由美に行ってきますを言うためにリビングへ戻った。

由美は、今度はお母さんの小さい頃のアルバムを眺めて「なるほどねー。だからあのコメントか」と一人でぶつぶつと呟いていた。

一言コメントの真相も気になったが、今は美鈴の機嫌の方が気になる。

絶対怒っている。


いや、「絶対!」怒っている。


玄関を出ると、目を開けていられないくらいの光を放つ太陽と、八月とは思えない程の涼しい風に歓迎された。


空も高い。


うん、今日は何か良いことありそう!


「行ってきまーす!」


気分が良かったので大声で言うと、丁度道向かいに住んでる同級生の砥用(ともち)美里が家から出てきた。

同じクラスにはなったことが無い為、あまり喋ったことはない。

小さい頃は近所ということもあり、本当に少しだけ遊んではいたのだが、彼女は幼稚園から中学生まで私立に通っていたせいで殆ど面識の無いままできている。

見た目はショートカットでスポーツの方が得意そうだけど、きっと私より、うんと頭が切れるのだろう。彼女といつも一緒にいる高江美波さんも頭が良いと評判だ。

それなのに私と同じ高校に通っている……。

何か理由がありそうだが、それを聞く勇気は生憎持ち合わせていない。

そんな彼女が突然喋りかけてきた。このような、ばったり鉢合わせ的なシチュエーションはよくあったのだが、喋りかけてきたのは初めてだ。

「あ、那覇軒(なはのき)さん」

「は、はい!」

……あまりの突然の出来事に、声が上擦ってしまった。

「あの、変なこと聞くようだけど、“石”って、持ってない?」

何を言い出すのかと思えば、“石”を探しているようだ。
あの、“石”を。
誰しもが蹴飛ばしたことのある、あの“石”をだ。

いやいや、どこにでもあるだろう。と、思ったが、同時に、まさかこの頭のキレる彼女に限ってそんなこと聞いてくるわけないか。と、どこか急に冷静になった。

「石? 何の?」

「あ、えと、何のっていうか、何か、特殊なやつ」

彼女は変なジェスチャーをしながら説明をするが、一向に伝わらない。
というより、彼女がこんな変なジェスチャーをするような人だったのかと、少し彼女の中に人間味を見た気がして嬉しかった。

「特殊なって言われても。特殊な石とかは持ってないけど、どうかしたの?」

「あ、持ってないならいいんだ。ありがと」

彼女はそれだけ言うと、「しまった、もうちょっと前だったのかな……」と走って行ってしまった。

……一体、何だったのだろう。

そんなことより急がなくては。美鈴が絶対怒ってるから。

……あ、「絶対!」怒ってるから。


うちは家を出るとすぐ目の前は坂道になっている。坂道の両脇に住宅が長くつらなっている感じだ。

空を仰ぐと、キャンバスに青い絵の具をこぼしたような青空が広がるわけだが、悲しいかな、そこに似つかわしくない電線が必ず視界に入る。

この坂道を下りた所にうどん屋があり、そこで美鈴と待ち合わせをしている。

私は自転車にまたがると一気に坂を下った。
蝉がうるさい程に鳴いているが、頬を撫でる風が心地よい為まったく気にならない。

坂道を半分ほど下ると、緩やかな左カーブに差し掛かった。このカーブを曲がると、うどん屋までは一直線だ。

遠くにうどん屋が見えてきた。その脇で腕組をした美鈴も。

そして、うどん屋に着くなり美鈴に一喝された。

「ちょっと何やってたのよ! あんた携帯も壊れてるから連絡もつかないし!」

ほら、やっぱり怒ってた。

美鈴は今年の4月から編入してきた子だ。
ベリーショートと右目の泣きボクロが彼女の可愛さの武器と言える。

ご両親の事情で、今はアパートを借りて一人で暮らしているらしい。

うちのクラスに入って早々、席は離れていたのに私に喋りかけてきた。転入生はまず、前後左右の人と仲良くなるのがセオリーだと思うのだが。

まあ、そんな彼女の気さくな性格のお陰で仲良くなれたのだが。

私は美鈴の事が大好きだ。何故かは分からないが、この気さくなところや、天真爛漫なところにひかれているのかもしれない。

「え? やっぱり壊れてるの? てか何で知ってるの?」

「あんた昨日自分で言ってたじゃない。しかもあんな夜中に“どんどん”ドア叩いて」

「え? 私が?」

「そうよ。携帯壊れてたからドア叩いたって、そう言ってたじゃない。まあいいけど。あ、石は絶対に返してよ。あれお母さんに貰った大切な石なんだから」

「……え? 石?」

……。

…………。

ちょっと待ってー! さっきから“石”って何なのよー! 

「ちょっと、あんた石借りた事も忘れたなんて言い出すんじゃないでしょうね」

やばい。これは「怒り」が「激怒」に変わる前兆だ。何とかしないと。

「あ、ああ! あれね。う、うん。返す返す! すぐに返すから、もうちょっと待ってて。……アハハ」

「……あんたねえ」


何とかその場をやり過ごす事に成功 (?) し、その日目的としていた私のネックレスを買いにショッピングへ出発した。

みそっかす
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