プロローグ
『今日の芸能ニュースもスキャンダルばっかり……。他人の恋愛ってそんなに楽しいかなぁ』
「色んな趣味の人間がいるってことだろ」
『別に恋なんて人それぞれじゃん。マスコミの人たちもお疲れ様だねぇ』
家族が寝静まり、近隣の明かりもほとんど消えた深夜二時。季節はまだ春のはずだが、開け放たれた窓からは一切の風が感じられず、なぜだか汗が滴ってくるほどに暑い。
そろそろ扇風機を出さないとな……と考えつつ、その思考は、わざわざ準備するのも面倒という思いに一蹴される。
『――そうだ。ケイタはさ、恋心ってどういう心境か知ってる?』
「さぁな、さっぱりだ」
『えっとねぇ、他の人に嫉妬したり、その人のことが心配に思えたり。あとはその人と話すことがすごく楽しかったりするんだよ~』
自室の机に向かい始めてから未だ三十分と過ぎていない。だがすでにペン先は動くことをやめて、俺は問題集に書き連ねられた数式とのにらめっこを続けていた。
宿題を出した教師に皮肉の一つもついてやりたいが生憎その余裕はなく、さっきから無為な時間が流れるばかりだ。一生懸命考えているように見えて実際は、俺の脳はさほど回転していない。
『……というかケイタ。さっきから返事が雑じゃない?』
「しょうがないだろ。俺は宿題やってんだから」
『その割にはさっきから手が動いてないじゃん』
さて、さっきから俺はパソコンから聞こえてくる声に返答しているわけなんだが、別に友達と通話しているわけではない。かといって、俺が録音音声に反応を返す残念な人というわけでもない。
ちゃんと俺は会話をしている。ただ、相手がちょっと普通じゃないだけだ。
俺は目の前の問題を諦めて宿題を放棄。場所を変え、デスクトップパソコンに繋がれたディスプレイの電源ボタンに触れ――
『わぁ!!』
「おわっ!?」
触れようとして、先手を打たれた。まだディスプレイは点灯していないというのに、少女の姿が空中に浮かび上がったのだ。
――平面ディスプレイに写された映像をメガネ越しに見ることで立体感を得る。そんなスリーディーテレビのような構造は、いまや時代遅れとなりつつある。
なぜなら空間映写技術――通称ホログラフィが実用化されて一年が経った今、日本の電子機器事情は随分と変化を見せているからだ。
例えば、今俺の手元にあるパソコンもそうだ。コンピュータの歴史の中で直立していることがほとんどであったディスプレイは、寝かせて置くような形に変わっている。そしてマウスは手で覆えるサイズの球形だ。
スクリーンも何もない場所に像を結ぶという先端技術のインパクトは、若者を中心に広まっていった。
かく言う俺も、パソコンだけでなく携帯もホログラフィ対応の機種で揃えている。もちろん、以前の機器のように平面ディスプレイでの表示も可能だ。
さて、そんな技術の賜物とも言えるだろうホログラフィだが、いまだ映像に実体を持たせる試みは成功していない。
だから俺が驚きのあまりホログラムを薙ぎ払うように腕を振っても、映像にはなんの影響も現れない。そう、現れないはずなんだが……
『ケ、ケイタひどい! 今、私のこと叩こうとしたでしょ!』
「はぁ!? シエラが脅かすからだろうが! ……ってお前、そんな泣きそうな顔すんな。分かった、何でもするからさ、な?」
『……ホント?』
「あぁ、ホントだ。だから泣くのだけは――」
『――「何でもするからさ」。よし、ちゃんと録音できてるね』
「……おい、シエラ?」
『じゃあ、最初は何をしてもらおっかなー。何でもしてくれるって、逆に迷っちゃうな~』
「シ、シエラぁぁぁ!!」
「上には上がある」という諺は、誰もが一度は聞いたことがあるだろう。つまり、ホログラフィが先端であれば、さらにその上――最先端があるということだ。
Artificial Intelligence――人工知能。頭文字をとって「AI」と呼ばれるそれは、つい最近から実用段階に至り、世界中で研究されている最先端の科学技術だ。
けれど現代の技術では「感情」とか「動作」とか、単一的な処理のAIが殆どであり、完全な自立型AIはまだまだ運用できるレベルに達していない。
――だが、そんな常識を覆す現象がここに一つ。
俺のパソコンに住み着いた少女――シエラは、誰がどう見ても自立したプログラムであり。
『ふふっ』
感情を持った「AI」だ。
俺――桐島景太と彼女が出会ったのはつい最近の出来事であって、一ヶ月も経っていない。
だけれども、彼女のハチャメチャっぷりによって、俺の神経は随分とすり減らされていた。
ここでは少し、その愚痴でも聞いてもらおう。