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あきらかに在庫が減っている…
総務課滝野は気づいていた。
いつからか。あの派遣社員が来てからだ。
そもそもクリップはそうそう社外に出たりしない。
会社の中をめぐりめぐって、たいていどこかに停滞している。
それでも消耗品だから、月単位である程度の在庫は確保しておかなくてはいけない。
しかし、この減り方は尋常ではない。
その派遣社員佐々木は、産休を取っている事務の代わりに雇った。
31歳。白髪が数本生えていることを除けば、たいそうな美人だった。
染めていないその髪を黒いゴムで一本に結い、まじめな印象を与える。
早い段階で仕事を理解し、勤務態度に文句もない。
ただその目だ。
うつろで暗い。
変だ。なぜクリップなんだ。
金銭ならわかる。まあ、ノートやペンでもまだ理解できる。
だが個人がそれほどクリップを持って、何か得するようなこともあるのかと考えると、どうもわからない。
滝野は声をかけた。
「佐々木さん。ちょっと」
「何ですか」
「ききたいことがあるんだけど、いいかな」
「え」
「クリップのこと…心当たりある」
「…」
「ちょっと、話聞かせてくれる」
「あの」
社内では話しづらいからと佐々木は言った。
今日の仕事があがったら食事をすることにした。
「滝野さん。これは本当の話なんです」
「何のことだい」
彼女はこう続ける。
滝野さん。あなたは私がクリップを盗んでいることに気がついたのですね。
私自身の話になってしまいますが、聞いてください。
私は養父母に育てられ、短大を卒業しました。
その後事情があり、何とかひとり自立をして食べていかなくてはいけなかったのです。
しかしその当時は就職難の真っ只中でした。
結局正社員になることはできず、寮で生活できる派遣社員になることにしました。
はじめは普通にやっていました。
でも、いつからか、何かが壊れ始めたのです。
私は、何か私でいられることを見つけなくてはならない状況に陥りました。
これにすがらなくてはという恐怖に駆られるようになりました。
職場のクリップは私にそれを教えてくれたのです。
そうして私はクリップを集めるようになりました。
派遣先では常にクリップを探していました。
今の職場でもそうしてクリップを見つけ、気づかれない程度にいただいていました。
でも見つかってしまった。
気づかれてはいけなかったのに。
しかしあるいはそろそろ誰かにこの壊れ始めた状況を見つけてほしかったのかもしれません。
クリップは素材です。
それと戯れているとき、私はこの世で一番尊い芸術家になっているのです。
あなたはその瞬間の心地よさがわかりますか。
わからないでしょうね。
滝野さん。あなたは安定というレールをきちんと進んでらっしゃいます。
それはとても大事なことです。
すべての人があなたのような生活ができたら、ユートピアに違いありません。
しかし違うのです。
脳内物質がおかしくなるまで働いて、おかしくなったら捨てられる人間もたくさんいるのです。
そしてそのような人間があなたの歩むレールの下に敷かれているのです。
あなた方は私のような人間がいないと今の生活すらできない状況にあるのです。
クリップは私の大事な素材です。
滝野さん。あなたは私の作品を見る勇気がありますか。
いえ、見るべきなのです。
滝野はある部屋に連れてこられた。
敷き詰められたクリップ。
天井から垂れ下がるクリップ。
それらはどこか一点ですべて繋がっていて、四次元のくもの糸のようにはりめぐらされていた。
いったいいくつのクリップがこの部屋にあるのか。
心臓がざわつき、その場にいられなくなった。
滝野は吐いた。
「滝野さんごめんなさい。
でも私はまたこの芸術を続けなくてはいけない。
私が私でなくなっても、これはさらに拡がって、やがて世界を覆いつくす日がきっと来る。
そういうものでなくてはいけないと思っています」
その日以来、佐々木は行方が知れなくなった。
滝野は路上で死んでいるのが見つかった。
死因は脳腫瘍によるくも膜下出血だった。