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「おいおやじ」
「へい」
「この蕎麦、十割なんかじゃねえだろう」
「何をおっしゃいますか。正真正銘、十割以外の何物でもありゃしません」

この客、自分がこの店に来るようになってだいぶたつが
いつも何やらけんかをしている。

どうしてそれほどけんかの種が尽きないのか。毎度毎度えらい剣幕だ。
しかしそういうおれもよくまあこりずにこの店に来るね。
たいしてうまい蕎麦でもないが、
なんだかここに寄らないと一日が終わった気がしない。

そうだよく見ると、たいてい同じ時間に同じ客が同じ席に座っている。

おれはいつもどおりのもの
(ビール たこわさ 揚げだし豆腐 鳥のから揚げ もろきゅう シメはカレー蕎麦だ)
を食べ、そして帰るのだ。

勘定をすませ、店の戸に手を添える。
「・・・」
戸がピクリともしない。開かない。
「ちょっとこの戸変ですよ」
そう言い振り返る。
息をのむ。
あたりは上も下も夜空だった。
足元にも星がかなたに広がる。

奇妙なアナウンスが頭に響く。
‘再生数の減少により、この時空データは消去フォルダへと移されます。
フォーマット完了までもうしばらくお待ちください’

何、初期化・・・

はたと気づく。

蕎麦屋のメンツがかわらないはずだ。

おれはこのパビリオンの一角にある〈ヒト再生機データ〉の一部に過ぎなかった。
地球上に繁殖していたヒトはずいぶん以前滅亡した。
その日常に触れるには、もはやこういったデータとして残っているものに頼るしかなくなっている。

ほら、そこいらはもう数字の海だ。
この蕎麦屋に来るのも今日で最後だな。

010001011110101001011111000101011・・・

0000000000000000000000000000000000
0000000000000000000000000000000000
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0000000000000000000000000000000000

初期化しました。
データ記録可能です。



おれがこの戸を開くとき、
それはこの空間が閉じるときだ。
今やっとこの戸は開くことができるのだろう。
決してひらかなかった戸が軽くなる。

カラリ。

おれは主人にこう言う。
「ごっつおさん」


のれんの向こうには、ただただ静寂を保ちながら、
そ知らぬ顔で銀河系がゆっくりと廻っていた。

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