高校二年にもなってくると、夏休みの宿題なんてものは新学期が始まってからが勝負だって分かってくる。
要は最初の授業に間に合いさえすればいいのだ。
八月三十一日。
俺は余裕をかまして夏休み最終日をノンビリと過ごしていた。
そう、一本の電話がかかってくるまでは。
『おい、数学の宿題、もう出来てるんだろうな?』
「先生、わざわざ電話で確認ですか?」
『提出は九月一日だからな』
「え?数学の最初の授業は九月四日ですよね?」
『だから、どうした。お前は普段から宿題を忘れ過ぎなんだ。お前だけ九月一日提出だ。間に合わなかったら土日補習だからな。二学期は遊べないと思え』
一方的に切られた。
実は数学の宿題は手付かずだった。金曜日の四日も忘れたことにして、週明けまで時間を稼ぐつもりでいた。
学校は歩いて行ける距離にあるとは言え、朝八時には出ないと遅刻してしまう。
今、午後八時。
残り十二時間。
補習だけは勘弁だった。
仕方なくテキストを開く。
問題を解いていくが、すぐに集中力が切れてしまう。
元々数学は苦手だった。
あの教師も苦手だった。
いつも俺を目の敵にして、順番関係なしに当ててきたりするのだ。
授業なんて聞いていないんだから、答えられる訳がなかった。
今回だってそうだ。
よりにもよって前日の夜に電話をかけてくるとか、嫌がらせ以外の何ものでもなかった。
奴は真性のサドだ。間違いない。
午後九時、いきなり部屋の扉が開かれた。
「姉ちゃん、ノックぐらいしろよ」
「マンガ見せてよ、マンガ」
姉ちゃんは勝手に俺の本棚を漁り始める。
「酒クサ、また飲んできたのかよ?」
「休みの日に飲みに行って何が悪いのさ。あんたこそ夏休みの宿題は?」
「ただ今休憩中」
「休憩してる場合なの?新学期早々、宿題やって来ませんでしたとかカッコ悪。あんたが好きなあの娘が一層遠ざかるよね」
ちっ、同じクラスに好きな娘がいるなんて、姉ちゃんに相談するんじゃなかった。
「あの娘の事は言うなって。分かったよ。分かりましたよ」
もう一度テーブルに向かって宿題を始める。
姉ちゃんはベッドの上に寝そべってマンガを読み始める。
「自分の部屋で読めよ」
「監視だよ、監視。あんた、一人だとすぐサボるだろ?見張っててやるよ」
また勝手な事を言う。
もう放っとこう。
問題に取り組むが、やっぱり苦手なものは苦手だ。
全然前に進まない。
「教えてやろうか?」
姉ちゃんがベッドから身体を乗り出してくる。
「交換条件ありだろ?」
「週末、私の部屋の片付け手伝って?」
「ええ?姉ちゃんの部屋、腐海だろ。あんなものどうやって片付けるんだよ」
「お母さんがうるさいんだよ。でも一人じゃ絶対に無理だし」
「情けないなぁ。いい年した大人が自分の部屋も片付けられないのかよ。酒飲む前にやる事あるだろ」
「あんただって、夏休み最後の日に宿題とか情けないよ。しかもさっきから全然進んでないし。情けないの二乗だね」
言い争ってる間も時間は過ぎていく。
ここは妥協してやるか。
「わかった。片付け手伝うから、宿題手伝ってくれよ」
「よし、約束だぞ」
姉ちゃんは基本ただの酒飲みだが、勉強を教えるのだけはうまい。
ようやく問題が解け始めてくる。
「全然分かってないな。授業ちゃんと聞いてる?」
「聞いてるって」
嘘である。
授業中は妄想に費やすのだ。
好きなあの娘とデートしたり、巨大なドラゴンと戦ったり、テロリスト相手に一人で立ち向かったり、高校男子は妄想するのに忙しいのだ。
「お姉さんは悲しいよ」
それでも宿題は片付いていく。
このペースなら、ギリギリ間に合いそうだ。
さらば、補習。
「ちょっと失礼」
姉ちゃんが立ち上がる。
「トイレ?さっさと済ませろよな」
「お前にはデリカシーってものがないのか」
頭を小突かれる。
俺もひと休憩だ。
姉ちゃんなしに問題を解くなんて無理なのだ。
部屋の扉が開く。
そこにいたのは数学教師?
「九月一日だ。宿題を出せ」
「え?まだ十二時ですよ?」
「ゼロ時だ。もう九月一日だ。さっさと出せ」
「非道いですよ。嫌がらせですよ」
この教師はあまりにもサド過ぎる。
「いいから出せ。美人のお姉様に手伝ってもらったんだろ?出来てないと嘘だ」
「自分で言うかな?」
「自分しか言う人がいないんだ」
「わざわざスーツ着てくるとかご苦労だよな」
「ケジメだ。スーツを着たら教師モード。一年の時から言ってるだろ?」
「でも姉ちゃんも見てたろ。まだまだたっぷり残ってるんだよ」
「じゃあ補習だ」
「マジで勘弁してよ」
「私だって勘弁だよ。あーあ、これで飲みに行く時間がなくなった。何で全然やってないかな?」
「これって母さんの指示?」
「当然。しかも今日言い出したんだ。飲んでたところに電話してきてさ。そして次は私だよ。週明けまでに部屋を片付けないと家でも飲酒禁止だとさ。あの人、絶対サドだって」
「後ろに母さんいるぞ」
そう、深い深いため息をついている。
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