order2.ガンスミスは甘いのがお好き
<シカゴ市街地、高級住宅街>
こういう所には縁もゆかりもないと思っていたが、グレイは心底自分のコートを着る彼女が羨ましいと思った。
どこもかしこも綺麗な造りの家ばかり。
並ぶ有名ブランドの高級車。
普通に安くて美味い飯を食い、イイ女を引っかけて、馴染みのバーで酒を飲みながら一日を過ごすのが幸せだと思っていた彼は、ここに辿り着いてから溜息が止まない。
「……グレイさん? どうかしたんですか? 」
「いやぁ、なんか差を感じちゃうと思いましてね。俺とあなたじゃまるっきり住む世界が違うみたいですねぇ」
「そうでしょうか……。あまり気にした事はありませんが……。あ、次の角を左でお願いします」
「でしょうね」
タクシーの車内で、彼は一人頬杖をつきながら窓の景色を眺めた。
憂鬱な気分を抑えなければ、報酬がもらえないかもしれない。
運転手が車を左に曲がると、そこには大金持ちと言わんばかりの大豪邸が見える。
思わず口を開けっぱなしにしてしまい、クリスに変な目で見られた。
「本当にありがとうございました、グレイさん」
「あー、こちらこそ。報酬も頂く約束をしていますし」
「そういえば忘れてました。今持ち合わせがないので執事に持って来させますね」
「典型的なお嬢様じゃねーかよ……」
「何か仰いました? 」
「いえ何も。独り言ですよ」
タクシー代を出して車から降りると、その豪邸の大きさを改めて実感させられる。
自分のコートを持って行ったまま彼女は家へと走って戻っていく。
しかし本当にテレビ番組で見たような大きなの豪邸だ。
金と黒の装飾が散りばめられた門、庭にはリゾート地のようなプールと色鮮やかなガーデニングの数々と挙げたらキリがない。
シャツの胸ポケットに仕舞っていたタバコの箱から一本取り出し、ジーパンの左ポケットからライターを取り出して火を点ける。
憂鬱を払うように煙を吹き、彼はまたタバコを吸い始めた。
「いいねぇ……こういう暮らしもしてみたいよ。けど……」
確かにクリスのようなセレブな生活は羨ましい。
いい服を着て、いい車に乗り、高級な飯を食い、いい家で寝る。
人間の幸せというものがそこに集結してるだろう。
だがグレイはそういった場所へはもう戻れないと確信していた。
自分は人間の幸せを踏みにじって金を稼いでいる。
そんな男にそんな幸せになる資格があるはずだろうか。
「――――ま、俺には関係ないさ。まだ俺にはやらなきゃいけない事もあるしな」
「グレイさーん! すいませーん! 」
感傷に浸りつつタバコを吸っていると、豪邸の中から新しい服に着替えたクリスが走って来るのが見える。
後ろには黒いスーツ姿の老人が歩いており、彼のコートを持っていた。
「はぁ……はぁ……。お待たせししました! 」
「いや、急がしちゃって申し訳ない。んじゃ、きっちり75ドル頂きますっと」
「はい、本当にありがとうございました! じい、この人のコートを」
「仰せのままに、お嬢様。今回はお嬢様を救っていただきこの家の者全員が感謝しております」
「そんな畏まらなくても。それじゃ、またどこかでお会いしましょう」
「さようならー! 」
執事の老人からコートを貰い、お助け料金の75ドルを受け取るとグレイは颯爽と煙草を吹かしながらその場を立ち去る。
クリスが手を振りながら別れを告げると彼は後ろを向かぬまま手を挙げて応え、待たせていたタクシーへと乗り込んだ。
「あの執事のじいさん……。相当の手練れだな」
「ん? 何か言ったかい? 」
「いいや、なんでもねえよ。とりあえずウェッソン鉄砲店まで出してくれ」
「あいよ」
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<シカゴ市街、北ミシガン通り>
高い建物の間を掻き分け、グレイはタクシー料金を払った後にコートのポケットの中でお気に入りのライターを弄びつつ目的地である"ウェッソン鉄砲店"へと歩みを進めていた。
元々はこんな時間をかけるつもりはなかったのだが、クリスのオーダーを受けてもう昼過ぎになる。
鉄砲店の知り合いには午前中には出向くと伝えておいたのにも関わらず、だ。
ため息を吐きつつ、彼はウェッソン鉄砲店の扉を開ける。
「悪い、急に仕事が入って――――」
「おっそい!! 今何時だと思ってんのアンタは!! 」
聞こえてきたのは20代前半の女性の怒鳴り声。
腰まであるポニーテールと豊満な胸を揺らしながら、彼女はグレイに歩み寄ってきた。
彼女こそがこの"ウェッソン鉄砲店"の店主、"シエラ・ウェッソン"である。
グレイとは旧知の仲であり、いわゆる腐れ縁というものであった。
「入って早々大声あげるなっての! こうして謝ってんだろ!? 」
「遅れるってのにも限度があるでしょうが! 何が"午前中には顔出す"よ、思いっ切りオーバーしてるじゃない! 」
「悪かった、悪かったって! 今度新しく出来たスイーツ店のケーキ奢ってやるから! 」
「……クリームブリュレだからね」
"スイーツ店"、"奢る"という言葉に反応した彼女は不満そうな顔を向けてグレイを見上げる。
また出費がかさむなぁと心でため息を吐きつつ彼は腰のホルスターから愛銃のM586を抜いてグリップ側をシエラに向けた。
「んで、こいつを見てくれるか? 」
「はいはい、メンテナンスでしょ。分かってる」
「ちょっと最近メンテしてなくてな……。どうなってる? 」
「えーとね……うっわ、すごいスス。ハンマーも少し摩耗してるわね」
シリンダーをスイングアウトして弾倉の中を確認すると、確かに中は黒ずんだままになっている。
グレイに離れてるように促すと、彼女は額に掛けてあったゴーグルを目の部分に装着し、専用の掃除機で丁寧に中の掃除を始めた。
20代前半とは思えないほどシエラの腕は熟練しており、彼女はいとも簡単に煤けたリボルバーを新品同様に綺麗にしてみせる。
「バレルはどうだ? 」
「そうね……。今の所問題はないかな。一応変えとく? 強硬な造りがウリのリボルバーだけど、結構その子使ってるから……」
「いや、撃てなくならないんなら遠慮しとくわ。出費も結構かさむし」
「分かったわ。グリップはサービスで変えとくからね」
「サンキュー。やっぱさすがだな」
「どういたしまして。これが仕事だし」
彼女はバレルの中をもう一度確認してから、シリンダーを戻してリアサイトとフロントサイトで狙いを付けてM586を構えた。
照準に一寸の狂いもない事を確認すると、今度はグリップ部分のネジを取り外してダンボールから新しい木製のグリップを取り付ける。
使い古した物から新品同様となったグレイの愛銃"M586"を彼に渡すと、グレイは笑顔で礼を言いつつ腰のホルスターに戻した。
「あ、そうだ。シエラ、前注文してたスピードローダーあるか? 」
「ああ、あれね。ちゃんとメーカーに問い合わせて送って貰ってるわ。5つで良かったのよね? 」
「そうそう。あれあると便利でな。いくらだっけ? 」
「一つ30ドルで合計150ドル。結構するわよ」
「うへー、さっきの報酬全部消えたのかよ……」
「まあ買わないならとっておくけど。このご時世オートマチックが主流だし、アンタみたいな物好きが現れない限り売れないから大丈夫だと思うわよ」
"スピードローダー"とは、リボルバーのシリンダー内の弾丸が空になった時に素早く全弾をリロードする為に作られた器具の一つである。
リボルバーとオートマチックの決定的な差はリロードの手軽さであり、オートマチックがマガジンのみを入れ替えるだけに対してリボルバーは全て自らの手によって弾をいちいち込め直さなければならない。
グレイのM586の場合はシリンダーがスイングアウトする銃だから良いものの、SAAシングルアクションアーミーなどは全てリロードなどの作業が手動なために現代では殆ど使用されていないのである。
「ま、一応3つだけ買っておくわ。メンテナンス代金はいくらだっけ? 」
「掃除とハンマーの研磨で60ドル。計150ドルね」
「あいよ、カードでいいか? 」
「ん、サイン忘れないでね」
クレジットカードをシエラに手渡し、彼女はそれをカウンターにあるカードリーダーに通してレジからレシートとボールペンをグレイに渡した。
当分飲みには行けなさそうだ、と心の中でため息を吐きつつ彼は財布にクレジットカードを仕舞う。
「ほい。んじゃまた何かあったら頼むわ。ありがとな、シエラ」
「どういたしまして。これが仕事だしね。クリームブリュレの件、忘れないでよ? 」
「げっ、忘れてると思ったのに……。分かったよ、今度の日曜日な」
「楽しみにしてるわね! 」
釘を刺すようにシエラに言われ、グレイは顔をしかめた。
笑顔で送り出してくれているものの忘れたら承知しないという雰囲気である。
逃げるようにして彼女に手を振り、彼は"ウェッソン鉄砲店"を出た。
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<なんでも屋アールグレイ事務所>
愛銃のメンテナンスを済ませ、昼食にSUBWAYのBLTサンドを食いながら事務所へ戻ると、朝の業務を終えたシノの姿が見える。
長い銀髪は後ろから見るとつくづく美女のように見えるが、前にそのことを彼に言って怒られたのを思い出したグレイはそっと胸に仕舞っておくことにした。
どうやらシノにとってかなりのコンプレックスらしく、普段はクールな彼が顔を真っ赤にして怒ったのはこれが初ではないだろうか。
「よっ、シノ。お疲れさん、ベビーシッターどうだった? 」
「どうやら上の子の方が熱を出してしまったみたいでな。母親が病院から帰って来るまでの間赤ん坊の面倒を見てほしいとのことだった」
「なるほどねぇ。代金の方は? 」
「予約なしだったから1.5倍増しだが、場合が場合だ。普通料金で対応させてもらった」
「オーケーオーケー。それでいい」
この"なんでも屋アールグレイ"は相談によって料金が決まる。
先程のシノのように従業員と相談することによって本来より安くすることも可能だ。
まあグレイが評判を上げる為にやっているだけに過ぎないのだが。
「それよりグレイ。今夜9時に仕事だ」
「内容は? 」
「ミシガン湖の倉庫で麻薬取引が行われる。それの見張りだ」
「うっわ、胡散臭え」
「どうする? 報酬は50万ドル出すと言っているが」
「最近金欠だし飛びつかない手はねぇな。もし内容と違うのが飛び出したら追加料金を申し込んでみりゃいいし」
思い出したかのようにシノが彼に振り向くと、どうやら話の内容は夜の依頼についての事だった。
"麻薬取引の見張り"という仕事で、無論ギャンググループの幹部からのオーダーである。
胡散臭いとは口では言いつつも、彼はその依頼を承諾した。
金が成る所には必ず飛びつく、それがアールグレイ・ハウンドという男である。
「クライアントには俺が電話を入れておく。シノは休んどけよ」
「了解した。昼飯でも食ってくるとするさ」
先程の飄々とした雰囲気とは打って変わって、グレイは夜の依頼に備えて弾薬やスピードローダー、ナイフの準備をし始めた。
今夜、再び死の芳香が市内に漂うことだろう。