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俺はいつものようにそこで歌う。
ノートに書きなぐった詩。
体の一部になったようなギター。
たいていのひとは通り過ぎる。
俺はそこらの石と変わりないかのように。
もしくはそれ以下の、害虫でも見たかのように侮蔑の視線を投げかけて。
俺は歌う。それらすべてが俺のパワーだ。
俺はかき鳴らす。自分の居場所を確認するために。
何かを残して死にたい。
何かのために生きたい。
俺はぶきっちょだから、こんな方法しか思いつかないし、がなるしかない。
才能なんてないのだろう。
夢だってないのかもしれない。
でも、ここでこうやって歌っていると、世界のすべてがちゃんと本当なんだっていう気持ちになる。
結局は自分のために歌うのだろう。
俺は夢中で歌う。
終電が来るまで。
警察が止めるまで。
声が枯れてしまったって。
「すてきね」
「…どうも」
ある日、ひとりの女の子が立ち止まって俺に拍手をしていた。
こんなことはかつてない。
夜の仕事をしているのだろうか。
年齢のわりに少し派手な服と化粧。
でも違和感がある。
アクセサリーがネックレスにピアスに、きらきらしている。
しかし指輪ときたら右の薬指におもちゃみたいな青いガラスのそれがひとつあるきり。
マスカラの奥に光るひとみはまるで哲学者のように深く黒かった。
何か理由があるのだろう。
言葉が標準語のイントネーションとはちょっと異なる。
東北かどこかから来たのだろうか。
その子は俺がその場所で歌うとほぼ立ち寄り、聴いていくのだ。
そして拍手をし、数曲すると手を振りその場を立ち去る。
俺はうれしかった。
そんな風にしてくれる人が今までいなかったから。
やはり自分のためといいながらも、こうして聴いてくれる人がいることは、
何よりもうれしい。
恋の歌なんて書いたことも歌ったこともなかったけれども、
俺はそういったものをつくってみようとさえ思い始めた。
書いては消し、歌っては捨て、迷いながら何かを形にしようともがいた。
そうこうしているうちに時は過ぎ、気づくとあの子はもう来なくなっていた。
しばらく経ったある日、あの女の子の友達だというひとが俺のところに来た。
「これ、渡してって。あの子病気で死んじゃったのよ」
小さな紙袋を受け取り、開ける。
おもちゃの指輪が転げ出る。
ガラスの青が深く、冷たい。
俺の手の中に、あの子の涙がある。
何かが震えている。
響いている。
あの子の故郷なのか。
彼方遠く遠くで、潮騒とあの子が溶け合い、はじけそしてまた消えていった。