~龍の祠・⑥~

 瞬間。横に大きく広がっていた巨獣の口は戻り、大らかな雰囲気が重苦しい空気に変貌する。
 首が僅かに下がって、黄色い双眼が私を睨みつける。たったそれだけの動作なのに、まるでそれは私という人間を食いちぎるための初動にすら感じられた。
 並大抵の者ならば気絶してしまうであろうその気迫に負けず、私は凛として佇む。

『――あ゛?』
「どうした? 怒ったか? 激怒したか? それはこっちの方だ。私が目先の名誉のためにあの街を、この国の人々を犠牲にするとでも思ったか? ただ安穏とした日々を願って生きているだけの市民を見殺しにして、喝采を得ようとするとでも? ふざけたことを抜かすなよ蜥蜴もどき(、、、、、)。私は騎士だ、略奪者じゃない。理不尽に人の幸せを奪うつもりも権利も私にはありはしないんだよ。これ以上侮辱の言葉を吐き散らすんなら、本気で斬り落とすぞ、その首」

 例え相手が一国を揺るがしかねない炎龍だろうと知ったことか。馬鹿のすることだと誰かに罵られようと知ったことか。
 私は私だ。国に命じられるまま、国の為だけに動く駒じゃない。
 自分のためだけに、他から何もかもを奪い去る横暴者でもない。


 ――テメェが拾った命だ、好きにしろよ――


 私の命は、私のものだ。
 私は、人に死を振りまく存在になどならない。
 私は、私が正しいと思ったように生きてやる。

『…………………………………………』
「…………………………………………」

 一瞬が、とてつもなく長く感じられる時間。
 そこにいる人間とドラゴンの両者は沈黙し、静寂が重苦しい大気にさらなる重圧をかけた。
 拍動する心臓の音が大きく鳴り響き、額に一筋の汗が流れる。
 どちらもが互いを睨み、些細な刺激でも与えれば即座に殺し合いが始まるかと思われた刹那。

『ガァーッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハ!!』

堪え切れなくなったように、ドラゴンは大地が揺れ、耳の奥を直接殴打するような爆音が響く。
 眼前で爆発が起こったのかとすら思える轟音。私は反射的に耳を覆ったが一瞬遅く、耳に届いた音は私の頭を内側から爆発させようとしているかのように暴れまわる。頭蓋の奥まで揺さぶられた私は、立ちくらみながらもなんとか意識を保っていた。

『断るとは思ってたが、ドラゴンの俺に喧嘩売るなんざ豪胆な野郎だな!! カカカカカ、気に入った、ますます気に入ったぞ小娘!!』

 抱腹絶倒。まさにその一言がふさわしいほどの大爆笑。
 ゲラゲラと笑い転げ、巨獣が歓喜の感情を大声で叫ぶ一方……あまりのやかましさに、私は耳を押さえて片膝をついていた。
 未だ激しい頭痛を覚えながらも、ふらつく足取りで立ち上がった私は巨獣に向かって怒鳴る。

「~~~~ッ、やかましいヤツだな!! もうちょっと声を抑えろ、頭に響く!!」
『おお、悪い悪い。人間って大声出すと耳が簡単に潰れるんだったな。長年封印されてたもんですっかり忘れてたよ、カカカカカ』

 謝罪を口にしながらも、炎龍は全く悪びれる様子が見えない。
 本気でその首を逆鱗ごと斬り落としてやろうか。そんなことを頭の片隅で考えていると、ドラゴンは高笑いをやめて私に語り掛けてきた。

『冗談はやめにするか。解放されたいのは山々だが、最初から期待なんざしちゃいない。お前を呼んだのは、もっと別のことを頼みたかったからだ』
「……別のこと、だと?」
『ああ。もちろんタダとは言わねぇ。お前が成し遂げてくれたなら、お前の要求も一つ呑んでやる。金が欲しいなら俺の鱗だろうが牙だろうが、なんでも取って換金すればいい』

 妙に引っかかる言い方をするドラゴンの言葉に、私は疑問を抱く。
 「最初から期待なんざしちゃいない」。
確かにこいつは今、そう言った。
 どうにもおかしい。ドラゴンが、己を封印から解放するよりも優先しようとする事情など、いったい何があるというのか。
 見ての通り、ドラゴンは全身をがんじがらめにされている挙句、自身の命と同等とも言える逆鱗すら封じられている。これは当然封印の役割も果たしているとともに、この炎龍の大幅な弱体化すら意味している。
 この地へと訪れた人間に呼びかけ、己の目の前にまで誘い出す……これは解放の好機とも言うことは出来るが、それよりも『討伐』される危険性の方が遥かに高いだろう。動き回ることも出来ず、魔導すら使えない。ましてや急所である心臓を射抜かれたドラゴンなど、もはや脅威ですらない。今のこの巨獣に出来ることと言えば吠えることと、首が動き回れる範囲で噛みつくことくらいだろう。
 言ってしまえば、背後から回って、胸を貫いている槍を引っ掻き回してやればもう終わってしまうのである。そんな状態で私のような騎士を呼び込むというのは、賭けというよりももはや自棄だ。
 ――とどのつまり、こいつにとって私のような者を呼び出すという行為は、下手を打てば自らの命を落としかねない危険極まりないことになり得るのである。
 なのにこいつは、自身の解放以外の頼み事のために、私を呼んだという。しかもその解決のために、自身の肉体すら犠牲にする報酬を出してまで、だ。
 炎龍が、命を懸けてまで実行したいと願うもの……いったいそれが何なのか、私には皆目見当がつかなかった。

「……お前の鱗も牙もいらん。ただ、ある者の情報が欲しい。お前のその地獄耳ならば居場所も知ってるだろう相手のことだ」
『いいぜ。それくらいならお安い御用だ、誰のことか言ってみろ』
「いや、その前に私も貴様の要求が何なのかを知りたい。そちらから言え」

 困惑する一方で、それほどまでして私個人に懇願することとはいったい何なのかという一種の興味心を抱いて、私はドラゴンの言葉に耳を傾ける。

『……お前達が介抱してくれたダークエルフ……そいつの子供が、街に行ったっきり帰ってこない。そいつを見つけて、連れ帰ってきてくれないか』

陸海空人
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陸海空人

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