~閑話 死の嵐・②~
「んー、いねぇな。ここも外れか」
男性にしては高く、女性にしては少し低いと感じる声音。
牢屋の中にいる女や子供たちを一人一人確認すると、淡々とした調子で『そいつ』は独り言ちる。
「こりゃ殺すヤツ稼げるだけマシだけど、早くしなきゃ手遅れになるかもしれねぇなぁ……せっかくの手がかりなのに、みすみす機会を逃すわけにもいかねぇし……どうしたもんかね?」
うーん、と首をひねってこれからのことを独り言でつぶやく『そいつ』は、少しの間思案するように腕を組んで瞑想するものの、良案が浮かばなかったのか眉をひそめる。
その様は、まるで無邪気な子供のよう。悪戯好きでやんちゃな子が、失敗してふてくされたように頬を膨らませていた。
実際にこの男が行った所業は、そんなものなどよりもずっと邪悪でどす黒いものであるというのに、そんなこととは無縁と思えるほど、『そいつ』は幼かった。
「……まぁ、つってもダークエルフの子供だもんな。こいつら話してたみたいに、こんな奴らに管理任せるよか自分の懐で大事に大事に調教するに決まってるか。んー、だとしてもどこに閉じ込めてるのやら」
チラ、と自分が首を吹っ飛ばした二人の男を見てうんざりした様子でため息をつく。
血と肉で彩られた無残な光景。鉄くさい匂いがツンと鼻をつくそれを見ても、『そいつ』は一切顔色を変えることがなかった。
嫌悪も、憎悪も抱かない。だが、快楽も感じない。
『死』という現象を目の当たりにしても、その心は微塵も正にも負にも揺れ動くことなくその出来事を淡々と眺めている。
おぞましい。端的に言葉にするならば、まさにその一言に尽きる。
普通の人間ならば万人が持つであろう死生観。それが、『そいつ』からはすっぽりと抜け落ちてしまっているかのようだった。
「どーしよっかなー……またこの荒野を探し回るか、それとも街に行ってみたりするか……」
鞘に納めたその刀を立てて寄りかかり、子供のように忙しなく前後に揺れながら今後の計画をつぶやいていく。
そんなとき。ふと、『そいつ』の視線が牢屋の奥へと移る。
「……どしたー。別に出てもいいぞー」
『そいつ』が声をかけると、闇の奥で何かが二つ、ビクリと震える。
『そいつ』の声に反応した何かは怯えた様子でゆっくりと動き、松明の灯りに照らされるところへと徐々に入ってきた。
それは、小さな男の子と、女の子。
兄妹であろうか、男の子は女の子の手を掴んで庇うように前に立っている。散々あの男どもに乱暴に扱われてきたためかボロボロの服を纏い、手足に擦り傷や打撲の痕が目立つ。ろくな食事が与えられなかったせいで手足は痩せこけ、その双眼は恐れで淀んでいた。
「……う……」
牢屋の出口を眼前にしても、二人はそこからなかなか出ようとしなかった。
この場所で何度も行われた、服従を強要する暴力。
幾度となく繰り返された行為によって、彼らの精神は疲弊しきっていた。
思考の奥深くまで刻み込まれた恐怖という感情は、自由を掴める機会を得た二人の足を留めようとする。
加えて外から流れてくる、おびただしい死の臭い。そして血で縁取られた壮絶な光景。
その子が外へ出ようとすることを躊躇ったとしても、無理はなかった。
そんな様子を見ていた『そいつ』は、呆れたように首を振ると、子供たちが立ち尽くしている牢屋の目の前にまで歩み寄る。
屈んで姿勢を低くして子供たちと目線を合わせると、外へ繋がる……死体が転がる通路を指さして口を開く。
「お外あっち。お前らを殴ったり犯したりしてたバカ共は死んでます。今ならここから逃げられるよ。あー、あとここから南に行ったら街あるから。じゃあ、バイバイ」
気怠そうにそう告げると、『そいつ』はそのまま立ち上がって洞穴の外へと向かおうとする。
そのとき。
「ま、待って……!」
男の子が、『そいつ』を呼び止めた。
その声を耳にした『そいつ』は立ち止まると、振り返って不機嫌そうに片眉を吊り上げる。
「なに? 俺もう行くんだけど」
声をかけられた本人は、返事の声音に不愉快さを隠そうともしない。
一瞬怯えたように身を竦ませる男の子だったが、恐る恐る口を開く。
「……どうして……僕たち……生きてるの?」
幼い子供が、震える口でたどたどしく紡ぐ問いかけ。
それを耳にした『そいつ』は、視線を子供から洞穴の奥へと向ける。
そこにあったのは……まさに、阿鼻叫喚という言葉でしか表現することのできぬ場景。
閉じ込められていた『人形』たち全員が腹を、足を、腕を、首を、ありとあらゆる箇所を鋭利な刃物でズタズタに斬り裂かれ、物言わぬ『肉塊』へと変貌する、地獄があった。
壁や天井は殴りつけるように描かれた赤一色で染まり、鉄格子の向こうには鮮血滴る肉や臓器であふれている。一文字に斬り捨てられた者は上半身と下半身が泣き別れ、脳天から股下まで真っ二つにされた者は頭蓋や肋骨がむき出しになり……刃という風が吹き荒れる嵐に晒されたかのように、皆が無残な死に様を露呈していた。
『そいつ』は地獄から目を離し、再び視線を子供たちに戻すと、
「気分」
どうでもよさそうに、いい加減としか思えないような一言だけを放つ。
それを聞いた子供二人は目を点にして、まじまじと『そいつ』を見つめた。
「もしかして、俺がお前らを助けたとでも思っちゃいねぇよな? ここにいるヤツらを殺すのも、生かすのも、全部俺の気まぐれで決まるんだぜ? 別段俺は殺す相手をえり好みするわけじゃない。テキトーに殺すし、気分じゃないと感じたら殺さない。そんだけ」
『殺した』。その一言を、『そいつ』は何気なく放った。
それは、まるで日常の出来事を誰かと語るときのような、重みも何も存在しない言葉だった。
命を、その者の未来を奪い去る行為。常人であるならば、『殺す』ということの重みを理解して然るべきだというのに、『そいつ』はあっさりと言ってのけた。
『そいつ』にとって『死』とは、『そいつ』自身にとってありふれたことでしかないのだ。
その事実を本能的に感じ取った二人は、すでに青白くなった顔をさらに青ざめさせる。
「とっとと行くなら行けば? 所詮俺の気まぐれでお前ら生きてるだけだしさぁ……さっさとしなきゃ、気分変わっちゃうよ」
「――ッ!!」
嗜虐的な微笑みを浮かべて、『そいつ』は兄妹に警告する。
一見慈愛に満ちた優しげなものであるのに、言動のせいでそれは恐ろしく暴力的なものへと変貌している。
その一言と表情で戦慄した男の子は、女の子の手を引いて『そいつ』の横を通り過ぎ……洞穴の外へと向かって走る。
自分たちが進む先に死骸が転がっていても、足が止まることはない。それ以上に、背後に佇む『そいつ』が恐ろしかった。
自身の気まぐれで人を殺し、死をまき散らす『そいつ』は……自分たちに横暴をはたらいた男たちなんかよりも、ずっと恐ろしかった。
『そいつ』を言い表すならば――それは、そう。まさに――
「ハハハッ、皆殺しにしてやらなかったのなんていつぶりだろうな……そろそろ俺もここ出るかね」
――『死神』は、歩き出す。
本人でしかわからぬ目的のために。
訪れたその先で、殺戮の嵐を吹き荒らしながら。