初出社と誤算
東京・赤坂の一等地。この日、鮑は目の前のビルの4階にある会社に赴任する予定だった。
鮑はちびた煙草を噛みながら、ビルに喧嘩を売るつもりで睨め上げた。
「ここか」
煙草を吐き捨て、中に入ろうとする。ところが笛の鋭い音が聞こえ、鮑は思わず後ろを振り返る。
「ここ港区なんで、路上喫煙は禁止ですし、ポイ捨てはマナー違反です」
鮑の前には警察官が立っていた。出社早々、いや出社目前にして、不運に見舞われていた。初出社日に会社の前でトラブルに巻き込まれているのを社内の人間に見られるのはまずいと考え、鮑はすぐさま吸い殻を拾い、警官に詫び、ビルに逃げ込んだ。4階に上がるにはエレベーターを使うしかない。ボタンを押して、待っていると背後に人が来る気配を感じた。挨拶するのを一瞬戸惑った。なぜなら、このビルには他にもテナントがあり、他社の人間である可能性もあるからだ。そんなことを考えているうちにエレベーターは到着し、鮑ともう一人の男を乗せた。もう一人の男の出方を伺った。その男が4階を押せば挨拶をしようと考えた。しかし、いつまで待ってもその男はボタンを押そうとしない。なんなんだこいつと訝って、表情を探ろうとするとその男と目があった。
「あの、エスケーエスエスエスエーは何階でしょうか」
その名前に聞き覚えがあった。男が向かおうとしている4階の会社がまさにそれであった。
「はじめまして、本日出社の鴨貝と言います。よろしくどうぞ」
「私も今日が初出社でして。貝の鮑と書いて、そのままあわびと言います。よろしくお願いします」
「同じ貝なんですね、心強いなあ」
鮑は出向社員だったが、鴨貝はSKSSSA社に直接雇用された社員だった。立場は違えど、同期に他ならない。鮑は鴨貝のことを覚えておくことにした。普段は人の名前や顔を覚える方ではないが、鮑にはそうするべきだという直感のようなものがあった。
4階にエレベーターが着き、扉が開いた。
「ようこそ、我が社へ。社長の近藤です」
二人を待ち構えていたのは、大柄で割腹のいい男だった。社長ということもあり、二人はすかさず挨拶した。鮑は出向のため、面接などもなく、赤坂のこのビルを訪れるのも初めてであった。鴨貝の方もその態度から察するに社長とは面識がないようだった。