第1節  いつもの朝、それはもうこれが通常運行なんですよ


      プロローグ



 もう昼前になるのだろうか。ずっと書類との睨めっこを続けているレイスにとって最早時間の概念なんかは無きに等しかった。何故なら時間を気にする事ほど自分の集中力を切らす事は無かったからだ。朝からずっと最近出来ていなかった書類の整理をしているのだが、もう少しでようやく一段落着くというところまで来ていたのだった。
 しかし、こんな作業をして数ヶ月になるが未だに慣れたものではなかった。
 元々レイスはこういう事務作業よりも戦場の前線などで活躍する所謂戦士だから、戦ったり防衛したり警護してる方が向いてるのだ。元よりレイスはこの町を治める城の騎士団に使えていた身だというのに、何の因果か、はたまた厄介払い的なものなのか、こんな街中の少し寂れた事務室で何十何百とある紙達の相手をしているのだ。これだったら魔物相手にしている方が何倍も充実感があるぞと愚痴りながらも書類整理に勤しむのだった。
 そしてレイスにはもう一つ自分を苛立たせる大きな理由があった。
「……ああ、くそ! やってられるか! 大体いつまで寝てやがるんだ! あいつはっ!」
 レイスはついに怒り爆発し、机の上の書類達を一斉に床にぶちまけた。時計を見やると案の定正午だった。軽く腹の虫がなったのを感じて改めて時間を認識するのだった。
「……あ・い・つ・はぁぁぁ……今日という今日こそ絶対に許さんからな……」
 レイスがゆらりと席を立つ。その後姿は鬼気迫るものがあった。
その時だった。事務室の壁一枚隔てた向こう側で大きな音がしたのだ。それはあたかも何かが床に落ちるような――レイスには少なくともそう聞き取れた。もっと聴いてみると呻き声みたいなのも微かに聞こえる。
「……そうかそうか……本当に今の今まで寝てたって言うのか……」
 そう一言口にすると、レイスは改めて扉へと歩を進めるのだった。

  

「てめぇッ! 今何時だと思ってやがんだ!」
 入って一声、怒鳴り声と共に部屋の主を睨み付けた。主は入った瞬間すぐに認識できたのだ。何故ならベットから落ちて白色のシーツと共に床の上で転げていたからだった。シーツで全身こそ確認出来ないものの、異様なまでの肌の露出が前日からあられもない姿でベットに入り爆睡している姿が容易に想像できた。
「あ、あー……うー……あー……」
「人間の言葉を喋れ。バカ野郎」
 寝ぼけ眼で虚ろな相手にレイスが冷たく罵った。
「んなっ……馬鹿とは何よ! それじゃあまるでアタシが馬鹿みたいじゃない!?」
 馬鹿の言葉に意識を覚醒させた相手――彼女は興奮しつつ抗議した。が
「……どうでもいいから……あー……その、何だ。つまりだ……服。服着ろ。まともに見ながら喋れん」
 レイスは赤面しつつ言い放つ。が――
「あらあら~……相変わらずこっち系には弱いのね~? なんならこれを機会に……」
「つ、つまんねー事言ってねぇでさっさと服着ろバカ!」
 最終的にはレイス自らが退く形での終局になった。
「……相も変わらず弱いことで……てね」
 そう言うとすっと立ち上がり、そそくさと身支度を整えるのだった。


 
 それから女――エイシアがレイスのいる事務室に戻ったのはあれから十分後だった。眠気を取り除きつついつもの仕事スタイルに着替えて事務室に行くのにエイシアにとっては充分な時間だった。一般の女性よりも明らかに支度時間の短いエイシアだが、本人にとっては充分すぎる時間だった。言うなればアバウト、いい加減。エイシアという人間像を表すのにこれ以上適当な言葉は無かった。夜は遅くまで起きて酒や遊びに興じ、寝てからは基本昼までは起きてこない。恥じらいや気品といった言葉にも縁遠く、先ほどの一件でも分かるように、基本男性が同じ屋根の下にいようが自分の生活スタイルというのが変わらない。昨晩酒を飲んでいたら体が火照ってきたので服を脱いでそのままベッドに入ったのだとエイシアはレイスに説明していたがそんな理由がレイスに通るはずもなかった。
 逆にレイスは基本真面目というか固いと言おうか。そして男特有の若さゆえの感情の起伏もあったりする。熱い所もあるが妙な所で冷めた部分も持っている。また、女性経験に疎い部分もあり、女体の事を考えたことなぞ一回も無いというのは本人曰く。冒頭にもあったよう本人は元々騎士団の団員だったのだが、何の因果か行き成り勤務地の移転。早い話が左遷のような内容だった。そもそも細かい作業が苦手なレイスなのだが、本人的には戦前で剣を掲げこの街の住民を守ることを生きがいにしまた誇りにも思っていたのだが、何故か事務作業でしかも城から離れ町外れにある古ぼけた建物のカビ臭い事務室(これは入った当初エイシアが殆ど掃除をしていなかったためで今は普通の内装になっている)で書類とにらめっこ。挙句の果てに事務室の長であるこの女エイシアは基本この事務室にいることも少ないので実質ここでの仕事の大半はレイスがやっているというのが現状だった。
 とにかくレイスが最初ここに来た時が大変だったとエイシアは言う。愚痴に愚痴が重なって更なる愚痴を呼び寄せるかの如く凄い愚痴を延々と言っていたとエイシアは語るがレイスは割と否定気味。レイスが入所した当初は剣を握る機会すらなくひたすら書類に目を通す作業に、時に家出、時に逃亡ととにかく大変だったのだ。これが現実、諦めろと諭したつもりのエイシアの発言が結果として火に油となって逃走劇のきっかけとなったのはエイシア的にはいい思い出だったりもするが、ここではそのエピソードは割愛する。それから数ヶ月経ちレイスもようやくそんな日常に慣れ、今に至るのだった。レイスにとって最大の難関はいかにエイシアの発言や横行に自我を失うことなく立ち振るまえれるかという事だったと言うがそれに関する話もここではしっかり割愛させていただく。敢えて少し触れるのならば、その量たるや演説会が二時間丸々開けるほどだと言う。このエイシア率いる事務所はそんな二人だけで構成される小さな小さな事務所だった。
 さて、この事務所そもそもは基本何でも屋というものだった。内容はいたって単純。人様が持ってる悩みに対し成功報酬つきで相談にのる、行動すると言うものだった。小さな規模から大きなものまで何でもうけるのが信条のこの事務所だが、できてまだ間もないというのもあるがまだ相談した件数が四件しかないという悲しいところもあった。エイシア曰く立地条件が悪すぎるんだと言うが、レイスに言わせれば大よそ中央の大通りのど真ん中にたったところで殆どかわらんだろうとの事だった。因みにレイスが目を通す書類の殆どは過去の解決済みの件の書類や宣伝広告用のビラ依頼の業者の広告など、最早雑用に近い内容だった。
 そんな事務所――『エイシア何でも相談事務所』であるが(名前はエイシア命名)、この事務所には今とある現実問題に直面していた。事務室の椅子に座るや机につっぷしそのまま昼寝に興じようとするエイシアに向かいレイスがずっと怒鳴りかけていた話がそれだった。
「いいからとにかく話聞けっての!」
「あーもー……うっさい。頭痛いんだから、もうちょっと声のトーン落とせないの?」
「酔っ払いの言い分なんざ聞く耳もつかぁ!」
「ばっかねー……もう酔いなんか覚めてるんだから酔っ払いなワケないでしょうが」
「だぁぁぁ! そんな掛け合いやってる場合じゃねえんだ! いいから聞け! このままじゃ数日後に金欠になるんだよ! 分かるか!? 金がなくなるんだよ! 文無し! 次の日から食うモノにすら困る生活になっちまうんだよ!」
 レイスが毎日こつこつとつけてる帳簿に指差し訴えかけた。
「…………………………は?」
 エイシアの思考がしばし停止する。
「ぇ……えええええええええええ!?」
 それまで突っ伏していたエイシアの顔が急に起き上がった。その眼はまさに真剣そのものだった。
「さっきから何度も言ってるだろ! このままじゃ本当に金が底を尽きるんだ!」
「なっ……なんでよ!? あんだけあった金がそう簡単に無くなる分けないじゃない!? 今月の初めには確かに金庫に大量の金があったわよ!?」
「……そうかそうか……所長相手だからこれだけは言うまいと思っていたが……今回こそは加減なく言ってやった方がいいみてぇだなぁ……?」
「な、なによその言い方……まるであたしに原因があるみたいじゃない……?」
「大アリだバカ野郎! いいか!? まず酒代! これがはっきり言って酷過ぎる! それに加えて最近はまったギャンブルでの負け分! 挙句に酒のつまみに衣装代! はっきり言って私利私欲に金を使いすぎなんだてめぇは! このまま仕事がなけりゃはっきり言って破産! この稼業も終いだって話なんだッ!」
 レイスが血相変えて捲くし立てる。
「……ということはまずいじゃない……」
 ここに来てエイシアはようやく冷静な表情に戻る。
「わ、分かってくれたかようやく……」
 理解を得れた安心からか、レイスが少し冷静になる。が――
「早く仕事見つけなきゃ私の生活ピンチって事じゃない!」
「そういう事じゃねぇぇぇぇぇぇぇえええ!」
 声を荒げ手に持っていた帳簿をぶん投げたが、エイシアにひらりとかわされた。
「一体どこの脳の部分がそんな事抜かしやがる……白状し・や・が・れぇぇ……」
 すらりと抜いた剣をエイシアに向ける。きらりと光った眼がエイシアにはマジに映ったという。
「じ、冗談よ、やぁねぇ……この事務所存続のピンチだもんね、さすがにおふざけは無し。早急に仕事を見つけるか節約しろって話ね? てか怖すぎだからその剣をしまいなさい」
 レイスは息を荒げつつ、ゆっくりを剣を鞘にしまった。
「とにかく! 宣伝活動するなり何なりで仕事を見つけにゃ話にならん! 基本的には相談事務所だから人が来ないと話にならんのだからまずは広報活動だ!」
「あのー……」
「とりあえず明日からにするって事で、とりあえずもっかい寝ていい?」
「何寝言言ってやがる! とにかく今すぐだ! ここに広報活動の支援となりそうな所ピックアップしたのがあるから、それを頼りにだな……!」
「すいませ~ん……」
「まぁまぁ~。とりあえずメシにしようよ~。腹が減っては戦は出来ないっていうでしょ~?」
「あのなぁ……今はその昼飯すら食えるかどうかって状況って時に良くそんな温い発言なんざ出来るな……!」
「す・み・ま・せーん!!」
 二人ははっと玄関を見やる。いつの間にか立っていた男性が息を荒げていた。



 男性は郵便局員で、エイシア宛の手紙を持って来ていた。渡した後そそくさと出て行くのを見送りエイシアはさっと封を開け中身を読んだ。
「中身なんだったんだ?」
「ちょっとね……いつもの所からよ。悪いけど行って来るから後宜しくね」
「ああ……成る程な。わかった。」
 レイスは淡々と頷いた。
「あー、もぅ……こんな一大事って時にどんな仕事押し付けられるのかねー……」
 少しボサついた髪を手櫛で整えつつため息を一つ突いた。
 エイシアの持つ手紙の便箋にはこの地域を治める王宮の名が記されていた。



神崎雄太
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