その時、またピコピコした電子音と共に、自動ドアの開く音が聞こえた。振り返ると、上下黒ジャージで、マスクをした40代くらいの男性が店内に入ってきた。
僕は少し驚いた。さっきのお客が帰ってからまだ1時間も経っていないからだ。そんな頻繁な来店など、僕がここでバイトを始めてから4、5回しかなかった。
僕があの夏の夜に山口さんから向けられた奇妙な驚きの表情を、今度は僕がお客さんに向けてしまっていた。マスクによって強調された目が、鋭かった。先ほどのおじさんと同様、その人も真っ直ぐにレジに向かってくる。たぶん、煙草だろう。若しくは、失礼な表情で見つめてしまった僕に文句でも言いに来るつもりかもしれない。でも、そんなのどうだっていい、今度は落ち着いて対処してやる。就職活動の面接なんか、この何倍緊張するかわからないんだ。圧迫面接だったら何十倍かもしれない。こんなところで失敗してちゃいけない。
僕の優秀さと強い精神を証明するんだ!
「いらっしゃいませ!」完璧な挨拶、そしてさっきの失礼な表情を帳消しにして余りある笑顔。これは上手くやれそうだ。
「煙草でございますか。銘柄はどちらになり...ひいっ!」
突然、男はジャージのポケットからナイフを取り出し、僕の顔に突き付けてきたのだ。
「レジの金を全部出せ。変な事したら刺すからな。わかったら急いでやれえ!」
あまりに想定外の事態に、頭の中が真っ白になる。状況が掴めない。呼吸が速くなり、鼓動は音が店内に響き渡るのではないかというくらい激しく打っている。そそ、そうだ、お、お金を渡さなきゃ!レジを開けようとするのだが、手の震えが大きすぎて、うまく操作が出来ない。
「何ちんたらやってんだよ!ああ!?殺されてえのかてめええ!」
更にナイフを近づけられる。刃はもはや目の前に迫っている。それが更に恐怖を増大させ、僕はもうパニック状態になってしまった。何をすれば良いのかさっぱりわからない。ただ、ひたすら、死にたくない。
その時だった。バックヤードがバタン!と開いたかと思うと、
「うおおおおおおお!!」
と雄叫びをあげながら山口さんが走って出てきた。頭にはヘルメット、上着は冷蔵庫内作業用の分厚いジャンパー、そしていつも顎ひげをいじっている右手には強盗用に設置されていた警棒が握られている。
完全武装した山口さんは、驚いた様子で振り返った強盗へと、全速力で向かっていく。そして残り2メートル程のところで、両足で踏み切って思いきりジャンプした、それも水平に!
ロケット弾のように強盗へと飛んで行く山口さん。そのヘルメットの装着された弾頭が、強盗のみぞおちにめり込み、次の瞬間、天下一武闘会を彷彿とさせるかのごとく、強盗はレジを越えて吹っ飛び、けたたましい音を立てて煙草の棚に激突した。
強盗はレジの床に倒れたまま、動かない。気絶したようだ。そして、突進の衝撃は自分にも跳ね返ってきているのだろう、レジ台に腹を乗っけてだらんと垂れ下がっている山口さんも動かないままだ。しかし、こちらは肩で息をしていることから、意識はありそうだった。
僕はその一瞬の壮絶な出来事を、ただ立ち尽くして眺めていることしか出来なかった。
それから間もなく、パトカーのサイレンの音が近づいてきた。三人の警察官が、ぐったりとしている強盗を頑張って車へと担ぎ込んでいった。どうやら山口さんが、あの捨て身ロケットを敢行する前に警察に通報していたらしい。
サイレンが遠ざかって消えかける頃、「よっこらせ」とレジ台から漸く降りて、立ち上がった山口さん。両方の鼻の穴から血がたれていた。
「いやね、ここ、深夜はお客が滅多に来ないじゃないですか。だから強盗の狙いになりやすいんですよね。本田君がやって来る前にも、二回経験してますからね。もう慣れたもんなんですよ。まあ、怖かったですけどね。はっはっ」
そう言って、やっぱり右手の人差し指に顎ひげを巻きつけている山口さんは、どこか誇らしげだった。とんでもない人だ、と僕は思った。
何事も無かったかのようにバックヤードに戻ろうとする山口さんを呼び止める。
僕はさっきまでの自分の浅はかさを反省していた。
「山口さん」
「はい?」
「山口さんは、廃棄商品なんかじゃないですよ」
山口さんは少し驚いたような顔をしたが、また「はっはっ」と笑って、山口さんはドリンク整理のために、冷蔵庫へ入って行った。
バイトから帰ってきた僕は、こっそり持ち帰ってきた廃棄のお弁当を温めて食べた。おいしかった。
商品だろうが、廃棄だろうが、どっちでも良いんだ。中身が美味しいかどうかなんて、貼られたラベルでわかってたまるか。
僕も、山口さんのように美味しいお弁当になりたい。
そうそう、山口さんが右手に持った警棒が結局何の役にも立たなかったことと、強盗が吹っ飛んだとき、持ってたナイフが僕の頬を掠めて飛んで来たことは、山口さんには内緒にしておいてくださいね。
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