若い頃は東京の冬がこんなに寒いと恭一郎は感じたことはなかった。それは今年四十五歳になるが今までにも寒い年は確かにあったが、自分の体がこんなに芯から冷えてしまうと感じたことも無かったのだ。
部屋のストーブに火を入れて手をかざすと一層寒さが身に染みた。
「ああ、寒いな。全くどうしたのか」
 何気なく独り言を呟くと、斜め後ろから
「そりゃあお前が歳とったからだよ」
 いきなりの声に驚て振り向くと、歳は七十を既に超えていようか、白髪の髪が肩の下まで伸び、顔は深い皺に刻まれていた。着ているものは以前はちゃんとした色があったのだろうが、もはや元の色も判らないほど薄汚れていた。
 自分しかこの部屋には居ないと思っていた恭一郎は腰を抜かして
「あ、あんた誰? それにどうやってここに入ったの?」
 それだけを言うのが精一杯だった。
「俺か? 俺は『死神』だ。そうお前らが死ぬと俺達があの世に案内する習わしになっているんだ。それなのに、お前らと来たら、最近は長生きばかりで、ろくに死やしねえ。俺達はな、お前らが死なないとおまんまの食い上げになっちまうんだ。だから見ろ! こんな薄汚れた格好しか出来ねえじゃねえか」
「し、死神さん……ですか? じゃあ~僕死んじゃうんですか?」
 恭一郎は驚きながらもやっとそれだけを尋ねた。
「早合点するな。お前の寿命はまだ沢山残ってるわ。今日お前の前に現れたのはな、俺らが暇なもう一つの理由を少しでも解消する為に現れたんだ」
「もうひとつの理由って何ですか?」
 恭一郎は思ったより死神が怖くないので何とか普通の口を利けるようになって来た。
「それはな、お前らが結婚せずに子供を作らないからだ。子供が生まれて子沢山になれば、人口が増える。そうなれば俺達の仕事も活況を呈すると言うものだ」
 恭一郎は、そんなものかと感心していたが
「お前のことだぞ! いい年しやがって独身で、子供も作らないと来ている。全くお前のような奴が居るから俺らが困るんだ」
 何だか言いがかりのような気もしたが、でもそれでどうするのだろうかと気になった。自慢じゃないが彼女なぞ大学の時に振られて以来、全く出来る気配も無かった。会社に入っても出世とは縁がなく、未だに平社員だし嫁さんもいない。そんな自分に誰か世話してくれるのだろうか? もしそうなら恭一郎はこの侘しい一人暮らしに決着を着けることが出来るなら自分にとっても素晴らしいことだと思った。
「死神さん。でも僕、彼女いない歴二十三年なんですよ。そんな僕に誰かいますでしょうか? モテない事にかけては自信があるんです。上司が世話してくれたお見合いも連続五十回振られましてね。未だに独身なんです」
 恭一郎の言葉を最後まで聞いた死神は
「あのな、俺だって仕事なんだ。それに飯の種だから、ヘマはしない。今回お前に丁度良い相応しい娘が見つかったから現れたと言うものだ」
 そうか、死神は成功確実な所にしかやって来ないと言う訳かと恭一郎は思い
「あの、どんな娘なんですか、僕に釣り合う娘というとやはり歳なんかは四十過ぎの熟女かなんかですかねえ?」
 自分のことにかけては全く自信が無い恭一郎だから、ついこんな事も言ってしまう。
「馬鹿! 四十過ぎなら子供を作れないだろう! お前だってあと五年も過ぎれば種が薄くなって子供を作りたくても出来難くなるんだぞ」
 そんな仕組みになってるとは思わなかった。のんびりと暮らして来たが、タイムリミットはあと五年なのかと思った。
「判ったか! お前に紹介するのはこの娘だ」
 死神は懐からタブレットを取り出すと指で操作して画像を表示させて恭一郎の前に見せた。
「今どきの死神さんは便利なもの持っていますね。僕もスマホなら持ってますがタブレットは持ってないです。あれ、これiPadじゃないですか、それも最新の!」
 驚いて覗き込む恭一郎に死神は
「最近はな、色々と地獄庁が煩くてな。それにあの男、スティーブ・ジョブズがやって来て地獄の機械を全部リンゴマークに変えよった。それから支給されるのはこればかりよ。そんな事より、どうだ、この娘は」
 死神の手にあるiPadに写された画像は、着物を着ていて日本髪の娘だったが、かなりの美人でカワイイ娘だった。踊りか何かの時に写したのだろうか? 写真の後ろの景色も見慣れない光景だった。
「この娘なあ、実は九州の佐賀の出身でな、事情があって今は東京に暮らしているのだが、いざ結婚となると、もしかしたら向こうに住むかも知れんのだ。それはどうかな?」
 そんな事は構わなかった。東京生まれの恭一郎だが、別に結婚してどこで暮らしても構わないと思った。会社も、佐賀には支社があり希望すれば転任させてくれる社風だったからだ。
「いいですよ! この写真見るだけではちょっと古風ですが、この娘幾つなんですか?」
 恭一郎の問に死神はやや間を置いて
「幾つぐらいに見える?」
 逆に質問して来た
「そうですね~二十三か二十二ぐらいですかね?」
「惜しいな。聞いて驚くなよ。十八だ!」
 十八にしては老けていると思ったが、こういう娘の方がいつまでも変わらない感じで四十を過ぎても全く老けないと思う恭一郎だった。
「どうだ、逢って見たいか? ならばここに連れて来てやってもいいぞ」
「今からですか?」
「ああ、嫌か?」
「いいえ、出来れば今直ぐにでも。善は急げって言うじゃないですか」
「これは善なのか? 死神の俺がか?」
「何でもいいじゃないですか。これで上手く行って結婚して子供が沢山出来れば死神さんだって万々歳なんでしょう?」
 今度は死神は恭一郎に言われて納得する番だった。
「よし、判った。ちょっと待っていろ」
 そう言ったかと思うと死神の姿が風のように消えていた。

 ひとりになって見ると恭一郎は今あったことが事実かどうか自信が無かった。だってそうだろう、得体の知れない老人がいきなり現れて自分が『死神』だと名乗り、あまつさえ独身の自分の嫁さんを世話してくれるという。そんな都合の良い現実があるとは思われなかった。
「きっと夢だ。これは俺が見ている夢なんだ」
 そう思い込むことにした。だが、その決意も直ぐに破られる。さっきの『死神』と名乗った老人が再び現れたのだ。しかも今度は黒いブラウスにミニスカート姿の髪の長い女の子を連れていた。
「よう、待たせたな。約束通り連れて来てやったぜ。この前に居るのが恭一郎だ。歳は多少喰ってるが気のいいやつだ。挨拶しな」
「初めまして、この度死神のおじさまから紹介されました、たま、と申します。どうぞ宜しくお願い致します」
 三指をついた丁寧な挨拶に思わず恭一郎も
「あ、初めまして恭一郎と申します。どうぞ宜しくお願い致します」
 両手をついて挨拶をしてしまった。
「どうだ? いい娘だろう。お前特別だからな。上手くやれよ。俺は邪魔者になるから消えるからよ。ああ、それからこいつ犬だけは駄目だからな。そのう……犬アレルギーという奴だ。それだけだ。それじゃな。産めよ増やせよ……どこかで聞いたセリフだな。まあいいや」
 死神は自分の言いたいことだけを言うと風の様に消えてしまった。
「……消えちゃいましたね死神さん。あのう、たまさんとおっしゃいましたけど、たま子とかたま江とか言う名前なのですか?」
 恭一郎は自分の目の前でにこにこしながら座っている少女に尋ねてみた。
「いいえ、ただ、たまって言うんです。ちなみに苗字もありません。だから一緒になれば恭一郎様の苗字がわたしの苗字になります。どうぞ宜しく願い致しますニャ」
「ニャ? って……」
「ああ、なんでも無いですニャ……あ」
 そう言いながら恭一郎に向って頭を下げると白いブラウスの胸の前が広がり豊かな谷間が覗いた。思わす目が行きそうになるのを必死で抑える。
「やはり気になるなぁ~その語尾のニャって癖なの。それとも確か死神さんが佐賀出身って言っていたから、そっちの方言なの?」
 恭一郎はあくまでも語尾が気になるのだった。たまは最初は笑っていたが、段々と辛くなって来たみたいで、それほど恭一郎の視線が痛かったのだ。
「佐賀ってさぁ~昔は鍋島藩だったよね。あそこって化け猫の伝説があったね。色々と昔は映画にもなったよね? なんか気になるんだよね。でも今の世の中、そんなこと無いか、まさかたまちゃんが、その化け猫だなんてさ、俺ね大学の頃は落研だったんだ。だからその辺詳しいんだ」
 冗談半分のつもりだった。そう本当にただのいたずら心だったのだが……たまは突然
「申し訳ありませんでした。恭一郎様を騙すつもりはなかったのですが、わたし達も子孫繁栄のために、わたしのお婿さんになってくれる方を探していたのです。それで知り合いの死神さんに相談した訳です。最近あの方そっちの方に力を入れていましたから……」
「ということは、たまちゃんは、その……もしかして……」
「はい、佐賀鍋島藩の化け猫の子孫です。化け猫なんですが代々人間界で暮らして来たので殆ど人間みたいなものです」
 殆ど人間みたいなものって、人間じゃ無いと言うことじゃないかと恭一郎は思った。それと同時に、自分が猫好きであること、このまま暮らしていても嫁さんは愚か、彼女だって出来やしないと判ってることを考えるのだった。
「あのさ、子孫繁栄って、やはりすることするの?」
「勿論です! それは人間も猫も変わりません。大丈夫です。わたしの一族は多産系ですから、いっぱい恭一郎様の子供を産んで見せます」
「いや、見せますと言われてもなぁ~」
「駄目でしょうか? 恭一郎様素敵です!」
 そんなことを言われたのは初めてだった。いま、目の前の美少女を見ていると、人間ならば何の文句もない! ならば何が問題かと恭一郎は自問自答した。答えはやはり、この“たま”なる娘が一見美少女に見えるが本当は猫で、自分が見ている姿が幻ではなかろうかということだった。
「もし、一緒になれたら、恭一郎様は文字通り、わたしのご主人様になります。毎日『ご主人様行ってらっしゃいませ』とか『お帰りなさいませご主人様』とか言えます。それを言うのが夢だったのです」
 何と言う健気さだろうか。だが、恭一郎にはそこまでやるならもうひとつだけ確認したいことがあった。
「その時の格好は?」
「勿論! エプロン姿です。エプロンだけでもいいですよ」
「じゃあ、もしかして、『猫耳』なんかは?」
「得意ですニャ」
 たまはそう言って艶やかな髪の毛の間から可愛らしい小さな三角の耳を出して見せたのだった。
 決まりだ! 恭一郎は心の中で喜びの声をあげた。全て叶った。自分の人生で、可愛くて、髪が長く、巨乳で脚が綺麗で、そして従順で、おまけに「猫耳」まである。しかも本物! これ以上望むものがあろうか。
「判った! こちらこそ宜しくお願い致します」
 恭一郎はたまに向って頭を下げた。

 それから数年後、恭一郎とたまの間には沢山の子供が生まれ、日本の少子化を食い止める一助になったのだった。めでたしめでたし。その頃、死神は

「全く、俺も気が長いよな。生まれた子供が寿命で死ぬことを待ってるんだからな。だが猫の子なら寿命はそんなに長くはないだろう。それだけが救いさ」

 二人の家の屋根の上で死神は呟くのだった。

 了

風速健二
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