このあたりは意外と畑が多い。
首都圏には違いないが住宅の隙間にある土地を貸して、
趣味程度で野菜を栽培している人が多いのだ。
その無人販売所は私もたまに利用していた。
駅から自宅までの途中にある。
スーパーで買うよりも安く、新鮮。
看護士という職業柄、夜勤が入るとどうしても生活リズムが崩れてしまいがちだが、
コンビニ弁当には頼らないようにしている。
以前あまりに適当すぎて体を壊したのだ。
野菜中心の献立で自炊を心がけるようになってから体調も良い。
多分私はこのまま一人で生活するのだろう。
来年で40。
諦めというか慣れというか、このままでいても何ら不満のない自分がいた。
それは夜勤明けの昼のこと。
会社帰りに、いつものように無人販売所へ立ち寄った。
夏はナス。袋いっぱいに入って50円。
うーん安い。
おそらく趣味でたくさん作って、家では食べ切れなくてこうしておいてあるのだろう。
他にも何かないかなあと私は目をやる。
『ひじき草 特価 500円』
ひじき草。聞いた事がない。
しかも特価で500円。
他の野菜と比べると妙に高く感じる。
その値札の下には、なにやら真っ黒なボールが数個袋に入って並んでいた。
真っ黒。
土のような、石のような、墨のような。
なんだかよくわからないもの。
袋の中にはおそらくこの説明であろうものが書かれた紙切れがひとつ。
ひじき草をうまく袋の中を転がしながらその文を読む。
『ひじき草は、きのこの一種です。白樺の洞の上部に球状のものが群れて生えます。
繊維質が固まったもので、海草のひじきと同様に水またはお湯で戻してから調理します。
煮物・炒め物・お味噌汁にどうぞ。※乾物ですので一年ほど保存できます』
白樺…この辺に生えてたかな。
北海道産かな。キクラゲみたいに中華料理に使われるのかもしれない。
500円というのはちょっとお高い気もする。これだけ余っているのを見ると、きっとみんなそれで買わないのだろう。
私はなんだかそのひじき草がかわいそうになってきた。
繊維質ならお腹にも良さそうだし、ものは試しで買ってみよう。
自宅に着くと私は早速それを料理する。
面倒なので水の中にそれをひとつ落としいれ、そのまま火にかけた。
黒い塊がみるみるうちに芽ひじきのような小さな繊維となり、お湯全体が墨のよう。
どうやって味をつけようか。
ひじき草をざるに上げ、水煮の大豆と人参と油揚げを加えて油で炒めたところに加える。
醤油と砂糖で和えるとできあがり。
…見た目も味も、まるでひじき。
なんだか損した気分だ。
ああー、眠い。昨日は急患が多かったから…
バシー
「いてー」
「ばかたれ、寝るな。お前これを食っただろう。これを食ったら寝ちゃあ駄目だ」
「ええ、いてて」
誰かが私の頭をぶった。
甲高い男の声。なんだなんだ。
ここは私のアパートに違いない。鍵もちゃんと閉めたはず。
わけがわからずきょろきょろする私はその声の主を見た。
三国志の孔明みたいな格好の男が宙に浮いている。
「誰あんた。何」
「これをひじきと間違えて食ったのか。それは大きな間違いだった。
食った量にもよるが、お前はとんだ夢を見るだろうよ」
「夢。ああ、これも夢か」
「ちがうちがう、俺の声が聞こえる程度の事は全くもって夢ではない。
いいか、お前が食ったあのひじきのようなものは『夢だんご』というのが本当だ。
めったなことでは市場に出回らないのだが、無人販売所までは管轄外であった」
「『夢だんご』。もしかして毒。変な味はしなかったけど」
「次に目が覚めるまでに見る夢が、何のことはない。正夢になるだけだ。
そう考えると大したことではないのだが、内容によっちゃあ大したことだ。
最近の人間ときたら、眠ることを損だと勘違いしている輩が大体だ。どっちが損だ。
そうやって寝てる間の夢を食わせてやって、頭がおかしくなっちゃあ元も子もないだろうに。
おい、お前はこれからどんな夢を見る」
「そんなことわかりっこないじゃない」
「そうだろうな。それでは俺が、お前の夢を食ってやる」
「ええっ、そうして私はどうなるの」
「いつもと変わりないことさ。お前はせっかく見た夢を、いつも覚えちゃいないじゃないか」
「あっ」
いつもと同じ朝が来た。
台所で水を飲む。
棚の上にナス。
あれ…
まだ何か買ったような気もしたけれど、なんにも、ない。
まあいっか。
覚えていないのは、何もなかったのと同じこと。
私はタオルを持って洗面所へ向かった。
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