(2)

「部長、おはようございます」
「おはよー」
ああ、他人には結構言ってるじゃん、この単語。デスクに座り、パソコンを立ち上げ、メールチェック。キーボードには山のような書類とファックス。なんでバラバラに置くわけ? ていうか、クリップでまとめるとか、そういう頭はないのかしら? ああ、またイライラしてきた。
「あの、部長……」
オドオドと報告書を出しに来たのは、入社二年目のノジマくん。見た目はイマドキだけど、気が弱いのか、いつもオドオドしてる。なんかイライラするのよねえ。
「昨日のプレゼンの報告書なんですけど……」
「却下されたんでしょ? 企画自体はよかったのに。もうちょっとプレゼン|力《りょく》つけないと」
「はあ……あの、僕……」
「何?」
「向いてないと思うんです」
「何に」
「企画は楽しいんですけど、プレゼンは……」
「プレゼンまでやって企画でしょ?」
「……すみません」
ジャケットのポケットから出したのは『退職願』。マジで? そんなすぐ?
「何これ」
「病んでるんです。僕。きっとうつ病です」
あのねえ……そんな簡単に『うつ病』とか言わないの。でも、かなり落ち込んでるわね。こういう時の『願』は受け取らないのがマニュアル。
「病院行ったの? 診断書あれば、休職扱いにできるから。そんな簡単に辞めるとかいわないで。ね、よかったら、私、病院について行ってあげるよ?」
ああ、私って優しい。
「部長……」
ちょっと、泣かないでよ。私がなんかしてるみたいじゃん。
「ノジマくん、病院、行く?」
「はい……一人だと行けなくて……」
「わかった。じゃあ、一緒に行こう。とりあえず、医務室に行こうか」
グズグズと泣く二十四歳の男を連れ、医務室へ。途中でチーフのタヤマくんに声をかける。
「ノジマくん、体調悪いみたいなの。病院まで送っていくから、なんかあったら電話して」
「わかりました」
タヤマくんは三十五歳の独身。まあまあイケメン。やり手のビジネスマンって感じ。少し神経質で、融通が利かないところはあるけど、この企画部では一番優秀で、信頼できる。

 医務室からの紹介状を持って、心療内科へ。よくわからないが、投薬するらしい。診断書には『抑うつ症状により出社困難を認める』って書いてある。ああ、そう。もう明日から来ないんだ。誰か補充しないと。
「部長さん、彼、一人暮らしのようなので、ご実家に帰らせたほうがいいんですけどね」
「そうですか。わかりました。話してみます」
なんで私がここまで……もう十二時……仕事溜まってるのに、午前中何もできなかった。
「ねえ、ノジマくん。実家、どこだっけ?」
「岩手です」
「実家、帰る? 一人で家にいるより家族といるほうがいいでしょ?」
「はい……」
ノジマくんはずっとグズグズ泣いている。一人で岩手まで帰すのは無理よねえ……
「一人で帰れる?」
「……部長、一緒に来てください……」
はあ、やっぱりね。そうなるよね。
「いいよ。でも、今夜はちょっと予定があるのよ。明日まで、家に一人でいれる?」
「一人……一人が、寂しくて……」
もう、どうしよう……でも万が一ってこともあるし……ああ、タヤマくん。彼も一人暮らしよね。ちょっと聞いてみようかな。
「はい、タヤマです」
「ああ、私。今病院から帰るんだけどね。ちょっと……ノジマくん、休職するのよ」
「そうですか。人事部に伝えておきます」
まあ、それもそうなんだけどね。大丈夫? とかはないんだね、キミには。
「うん。それでね、明日から実家に帰るんだけど、今晩、タヤマくんの家に泊めてあげてくれない?」
「は? どうしてですか?」
「いや、あの……一人にするとね……その……」
「自殺ってことですか」
そんなズバっと言わないで。
「まあ、そうね。ね、お願い。今晩だけでいいから」
「わかりました。どうすればいいですか。病院に行けばいいですか?」
「うん。悪いんだけど、迎えに来てあげて。お昼から早退してくれていいから」
「仕事、たまってるんですよね」
私もたまってるし!
「ほんとごめん。頼れるの、タヤマくんしかいないのよ」
なんで私がここまで頭下げなきゃいけないのよ!
「部長がそこまでおっしゃるなら。一時間程で行きますので」
「ありがとう。やっぱりタヤマくんだわ。ほんと、頼りになる」

 病院の近くのファミレスでご飯を食べている間も、ノジマくんはずっとグズグズと泣いていた。周りのお客さんからチラチラ見られてる。私の天敵、ママ軍団! どうせオツボネのおばさんが、若い部下をいじめてるとか思ってんでしょ?
 うんざりしながらノートPCでメールをチェックしていると、駐車場にタヤマくんの車が入ってきた。ああ、やっと来た! こっちこっち! ガラス越しに手を振ってみると、タヤマくんが店に入ってきた。
「お待たせしました」
「ほんと、ごめんね。さ、ノジマくん。タヤマくんが来てくれたから。今日はタヤマくんの所に泊めてもらってね」
やっと解放される……と思ったら、ノジマくんがとんでもないことを言いだした。
「僕、部長と一緒にいたいです」
はあ? 何言ってるの? バカなの?
「えーと、ノジマくん? どうして?」
「部長のこと、好きなんです」
目眩がする。何言ってんの、この子。
「そう、でもね、私は結婚してるしね……」
私も何言ってんだろ。
「部長と一緒じゃないと、僕死にます!」
ちょっと……ちょっと待って……タヤマくん、何とか言って。って、笑ってんの? 必死で笑い隠してんじゃないわよ!
「部長、僕のこと、嫌いですか」
うん、どっちかっつうとね。嫌い。
「ノジマ、とりあえず俺の家に来いよ」
タヤマくん! ありがとう!
「部長、夜来てください。ノジマ、それでいいだろ?」
ノジマくんは半分納得したようで、うん、と頷き、またグズグズと泣き始めた。タヤマくんはノジマくんを車に乗せると、住所は後でメールします、と言って行ってしまった。そんな、勝手に……でも収集つけてくれたのよね。さすが、タヤマくん。頼りになる。

 タクシーでオフィスに戻るともう三時を過ぎていた。デスクの上の書類はさらに増えている。ああ、もう……今日はやる気しない……あ、内線。
「はい、サクラです」
「シミズだけど」
人事部長。コイツ、苦手。
「ちょっと、人事部まで来て」
「はい」
ノジマくんのことか……
 人事部のこの雰囲気……息が詰まんないのかな。重い。
「ノジマのことですか」
「困るんだよね。勝手に休職とか。病院に行く前に相談してくれないと」
「明らかにメンタルヘルス不調を認めましたので。マニュアル通りに行動したまでです」
「メンタルヘルス不調を引き起こしたのは誰の責任かね」
はあ? 私のせいだっていうわけ? 冗談じゃない。プレゼンが苦手だと訴え続けていたノジマくんを企画部から異動させなかったのはアンタでしょ!
「人事に問題はありませんでしたか。異動の希望は出ていたはずです」
「人事の責任だというのか!」
ええ、そうですよ。アンタの責任。能無し人事部長シミズ、アンタの責任。
「そうですね。企画部にいる以上は、企画部の仕事をしてもらわないといけませんので。私は管理監督者として、当然の業務配分を行い、教育をしたまでです」
ふん、そんなユデダコみたいに顔真っ赤にしちゃって。私はプレゼンの鬼と呼ばれた女ですよ? 私に論戦で勝てると思ってるの? これだから嫌なのよ。年功序列で昇進した能無しのオッサンは。バッカみたい。
「休職届は、ご家族に説明してから提出します。もうよろしいですか? 仕事がありますので」
アンタと違って私は超忙しいの。
「サクラ」
「はい。何でしょうか」
「人事部長にそんな態度でいいのか?」
出た。職権乱用。公私混同。パワハラモラハラ。ハラスメントの見本みたいなヤツ。
「どういう意味ですか。私の能力や希望と関係なしに、私情によって不合理な人事をされるおつもりですか。そのような事態になったらパワーハラスメントで訴えますよ」
ああ、いい世の中になったわね。こんなバカな上司を正当に追求できるんだから。
「……ノジマの報告はマメにするように」
「はい、失礼します」
 えっ! もう四時! 全然仕事終わってないし……とりあえず、至急の分からやっつけるか。企画書の承認に報告書のチェック、営業部と広報部との折衝、クライエントとの打合せ、部下の相談、同期の愚痴、上司の小言。はいはい、全部一気に背負いますよ。解決しますよ。だって私はできる女だから。
 私はビジネスマンとして、部長として、部下として、同胞として、オシャレなスーツに身を包み、完璧なメイクで、毎日朝九時半から夜七時まで、かっこいいキャリアウーマン。
仕事の能力も、部下からの信頼も、上司からの評価も、お給料も、ステイタスも、みんなハイクラス。そう、それが私の目指していた姿。
プライベートは? そうね、充実してる。公認会計士のイケメンの夫、都心にそびえるタワーマンション、週三回現れるハウスキーパー、クロゼットに並ぶハイブランドの服にバッグ。エステも美容院も時間さえあれば自由に行ける。
ねえ、憧れるでしょ? そこのママ軍団。私の夫のスーツはハルヤマじゃなくってアルマーニ。ランチは千五百円のフレンチに毎日でも行けるの。ああ、なんて幸せ。あ、幸せに浸ってたらもう六時じゃない。ノジマくんのこと、みんなに言わないと。
「ねえ、ちょっと聞いてくれる? ノジマくんなんだけど、体調不良で、しばらく療養することになったの。明日から休職になるから、みんなカバーしてあげてね」
「ノジマくん、なんか病気なんですか?」
「うん、ちょっとね。でも、大丈夫だから。心配しないで」
「部長、でも、結構いっぱいいっぱいですよ、みんな」
「そうね、わかってる。人事部には、補充をお願いしてるから。私もできるだけカバーするから、みんなも協力して。お願いします。ノジマくんが戻ってこれるように、みんなでフォローしましょう」
ああ、私ってなんていい上司! ほら、みんな、しょうがないなって、笑ってくれてる。私の教育のおかげよね。
 定時の六時半になると、みんなポツポツと帰り始める。基本、残業は禁止。時間内に仕事が終えられないのは、能力か、配分か。それを見極めるのが私の仕事よね。そう、我が企画部はほとんど残業はなし。長い時間会社にいればいいっていうもんじゃないのよね。今だに営業部とかそんな感じだけど。
さて、そろそろ私も帰ろうっと。
「おつかれさまー」
タイムカードの打刻は六時四十五分。余裕ね。


葉月零
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葉月零

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