>ハロー。私はここにいるよ。

 二十時半ジャスト。必ずこの時間に流れてくるツイート。高台から望む夜景の画像を眺めながら僕はすかさずリプライをした。

>@yukixxx234 噂のスイッチバック初体験。ビックリしたw

>@akito5889 あんまりないんだっけ。初めてはビビるよねw いまだに焦るwww

 彼女からすぐにリプライが入ったことに僕はほっとして息を吐き出す。スマホを握る手が汗ばんでいて失笑。
 そんなに緊張するか?
 いや、するだろ。するに決まってんだろ。
 だって、これから会いに行くんだからさ。
 彼女が毎晩流すツイートの夜景がどこなのかは偶然観たテレビ番組で知っていた。日本三大車窓の一つだ。
 いつか、その夜景が見える場所に彼女を訪ねに行けたらいいと思っていた。
 けれど、仕事の移動時間に開いたツイッターを見て僕はいてもたってもいられなくなった。

>価値のない人間は生きてても意味ないのかな。

 気づいたら新幹線に飛び乗っていた。
 ツイッターの通知を知らせる短いバイブレーションを感じて、僕はスマホの画面を操る。

>@akito5889 どこのスイッチバック? 東京にもあるの?

 その答えに、

>@yukixxx234 篠ノ井線。姨捨駅着いたとこ。

 ツイートを送信した。
 送信完了を確認してスマホから顔を上げると、寂しいホームの電灯の中でカミ雪が舞っていた。
 名古屋からの特急電車が雪の影響で遅れているらしく、待ち合わせのためにしばらくの間姨捨駅で停車するようだ。
 僕はゆっくりと立ち上がると、手動式の重たいドアを開けて電車から降りた。
 途端に目の前に広がるのは、善光寺平を覆い尽くす夜景。その真ん中を黒々とうねりながら横切るのは千曲川だ。
 東京のきらびやかな夜景とは比べようもないほど静かな夜景だが、ぽつりぽつりと点在する街灯や家々に灯る明かり、そして暗い道を移動する車のヘッドライトには、そこに住まう人たちの温もりに直接触れているようで温かい。
 山の中腹に位置する開けた駅は、冷たい風が絶えず吹き付けている。東京とはレベルの違う風の冷たさに僕は思わず声を上げた。
「いってぇ」
 むき出しの耳が千切れそうなほどに痛い。せめてマフラーくらい巻いてくるんだったとごちながら薄いコートの襟を立てる。

>@akito5889 マジで? あきっち長野来ちゃったの? 今時長野って時代遅れだしw 今からでも遅くない、グランクラスで金沢に向かえ!

>@yukixxx234 そんな金ないし。あさまで十分だよw

>@akito5889 善光寺ご開帳にはまだ早くない?w

>@yukixxx234 知らないよw ゆきむら、姨捨のどこにいるの? 駅?

 僕は彼女、「ゆきむら」に話しかけた。だが即リプで返してくれたはずの彼女が唐突に沈黙する。
 不安になってタイムラインを確認するが、「ゆきむら」のアイコンは見当たらない。
 急に来たのはマズかったか?
 でも、知らせていたらきっと彼女はいつものツイートを流してはくれなかっただろう。
 焦った僕は「ゆきむら」に宛ててリプライを送ろうとした。
 その瞬間、ダイレクトメッセージの通知が入る。

>TLで場所バラさないでよ。

>>ごめん。まだそこにいる? 今姨捨なんだ。会えたら嬉しい。

 直球過ぎたかな? でも、はっきり言わないと彼女には伝わらない。
 僕は駅のホームを振り返って人影を探した。
 ヘアスタイルはショートボム。
 身長は低め。
 お気に入りのコートは芥子色のダッフル。
 全てツイッター情報。
 けれど、そこにいるのは電車の乗客ばかりで「ゆきむら」らしき人影はなかった。

>>ゆきむら、どこにいるの?

 沈黙する彼女にダイレクトメッセージを送る。
 やきもきしながら返事を待つ。
 数分後、勿体つけるように送られてきたのはさっきタイムラインに流れた夜景の画像。

>ここ

>会いたいなら見つけてよ。あきっちのいるところから三十分圏内にいる。

 その言葉に僕の心臓は飛び跳ねた。
 三十分で会えるのか!
 けど、この夜景は駅から見えるのとは違うのか?
 僕は送られてきた画像と目の前の景色を見比べた。
 同じように見えるがどこか違う。
 何が違うんだ?
 期待に不安が入り交じる。
 僕は画像と景色を見比べながらホームの端から端まで歩いてみた。でもいまいちピンとこない。もう少し高いところから撮っているような気がする。
 どこにいるんだよ!
 叫び出したいのを堪えて落ち着こうと息を吐き出す。
 わずかに冷静になった頭で辺りを見回すと、数百メートル高い場所が明るく輝いていた。
 なんだあれ?
 思わず車掌を捕まえて聞いた。
「高速道路のサービスエリアですよ」
「歩いて行けますか?」
「行けないことはないと思いますけど……、足元が悪いのでおすすめはしません」
 そう言って僕の足元を見ると苦笑した。
 仕事終わりに思いつくまま来たから革靴のままだ。
 確かに、この雪の中で歩き回るには適してないな。
 かと言って、ここまで来て諦めるわけにはいかない。
「ありがとうございます!」
 車掌に礼を言ってホームを走った。
「駅舎出たら右に曲がってください! そしたら看板が見えてくるはずなので!」
 車掌の声が追ってきて、僕は肩越しに振り返ると小さく会釈をした。


>>もしかして、車?

 車掌に教えられた通り駅舎の前の道を右に曲がると僕は「ゆきむら」にメッセージを送った。

>ピンポン♪ 一歩近づいた? 残り二十五分だからね☆

>>なにそれ。制限時間あり?

>どうせなら楽しもうよw

>間に合ったらご褒美あげるよ♪ 一秒でも過ぎたら帰るけどwww

>>鬼。

>さあ、あきっちは間に合うでしょうか?!w

>>こっちは二時間かけて来てるんだよ! せめてねぎらって(>_<)

>頼んでないしw 貴重な三十分をあきっちにあげてるんだから。

 全く、素直じゃない。
 毎日『ここにいる』と画像付きでツイートするのは、見つけてくれと言っているようなものじゃないか。
 そのツイートを見る度に『寂しい』と叫んでいるように見えたのは僕の勘違いじゃないだろう。僕が「ゆきむら」に興味を持ったのはそんな寂しさを孕んだ短いツイートだった。
 最初はただの好奇心。それが恋心に変化していったのはごく自然なことだったのかもしれない。気づけば、彼女のタイムラインばかりを追っていた。
 彼女は僕の心に気づいているだろうか?
 たぶん、うすうす気づいているだろう。
 つかず離れずの微妙な関係。ただのツイッター友達かそれ以下かもしれない。それでも、彼女が僕のことを親しみを込めて「あきっち」と呼んでくれることが嬉しかった。

 道なりに進むと、すぐに緑色の看板が見えた。
『姨捨スマートIC この先』
 その看板が指す方を見て思わず声を上げる。
「げっ! この坂登るのかよ!」
 斜角三十度といったところだろうか。とてつもなく急な坂道に衝撃を受ける。その上街灯などはなく、先は暗闇の中に続いていた。
 僕はサービスエリアの煌々とした明かりを頼りに坂道を登った。
 どれくらい登っただろうか。
「ゆきむら」からのカウントダウンメッセージが二分おきに入ってくる。
 そのたびに急かされて歩みを早めようとするが、靴底がつるつると滑って思うように前に進まない。コートについた雪はいくら払い落としても降り積もるので面倒になってやめた。
 ようやくサービスエリアに着くと、

>>車種は?

>白の軽。正解だったらすぐにわかるよ。

「ゆきむら」からのヒントに俄然やる気を出すが、サービスエリアの駐車場を見て一瞬にして萎えた。広い駐車場には数十台の車が止まっている。白の軽自動車などありすぎてどれか分からない。
 一台ずつ確認しようとして、気づいた。
『ここ』と送られてきた画像は駐車場ではなく夜景だった。
 慌てて夜景の見える場所を探すが、やはり人影はない。
 しんしんと降る雪のせいでせっかくの夜景がぼやけて見える。

>あと十五分♪

 楽しげな「ゆきむら」からのメッセージに焦りが募る。

>>サービスエリアじゃないの?

>ちがいまーす☆

>>どこにいるの?

>教えたら帰るけどいいの?( ̄ー ̄)

>>鬼。

>鬼だから会わない方がいいと思うけどなー。

>>やだ。会いたい。

>わがままボーヤめ! 会ってもろくなことないと思うけどなー。

>>それでもいい。

>私にはそこまでする価値ないよ。

 その言葉に僕は躍起になった。否定したかった。そんなことないと言いたかった。会って、満足した僕の顔を見せて「ほらね」って笑ってやりたかった。
 それがそんなに自己満足だったとしても、それ以外に「ゆきむら」を元気づけることはないような気がした。
 彼女の寂しさを受信している人間がいることをどうしても伝えたかったんだ。

「すみません。ここの他に夜景の見える場所ありませんか?」
 サービスエリアの職員に尋ねると相手は不思議そうに首をかしげた。
「下りの方が少し高い場所にありますが……?」
「サービスエリアじゃなくて、もっと別の場所ありませんか?」
「別と言われても……。ああ! そういえば、ここから三百メートルほど高い場所に公園がありますよ。でもこの雪なので、除雪もされていないと思いますが?」
「それってどうやったら行けるんですか!」
 掴みかからんばかりに身を乗り出した。

 例の坂道まで数百メートル戻ると、教えられた通り反対方向に向かう。
 しばらく進むと今度は青い看板が見えてきた。
「国道四○三号 麻績方面……と」
 殴り書かれたメモを頼りに標識通りさらに坂道を登っていく。広い道に出たらすぐ左手が「千曲川展望公園」だ。
「ゆきむら」はきっとそこにいる。


>なんでそんなに必死になるの?

「ゆきむら」からのメッセージに僕は凍えた手でスマホを操る。

>>ゆきむらをその場所から引き上げたい。二人で手をつないで日だまりの中を歩いていたい。そう願うのはいけないの?

>あきっちは私を見誤ってるよ。そんな資格ないし。

>>それを決めるのは僕だ。僕はゆきむらがいい。

>会ったこともないのに?

>>だから会いに来た。確信するために。

>ばかみたい。

>>どう思ってくれてもかまわない。でも、僕の惚れた人を貶めることだけはしないで欲しい。

>それ、自分で言ってて恥ずかしくない?

>>寒すぎてマヒしてるのかも。

>タイムオーバーだよ、あきっち。回れ右して駅に戻った方がいい。今ならまだ最終の新幹線に間に合うから。


 それきり、「ゆきむら」からのダイレクトメッセージが途絶えた。
 帰ったのか?
 諦めが冷え切った体を重くさせる。
 それでも、彼女がここにいた痕跡を確かめたくて僕は坂道を登った。
 どうしても彼女に会いたかった。会って確かめずにはいられなかった。
 好きなんだ、と。
 それだけで良かった。その先がなくても、僕はそう思った自分の心を大切にしまって生きていける。
 一緒に歩んでいきたいと思った人がいること自体が、今の僕にとっては奇跡のようだったから。
 きっかけがツイッターだなんて、きっと眉を顰める人もいるだろう。けれどそれはかけがえのない出会いなんだと、僕は勝手に確信していた。

 それから十分ほどかけてようやく長い坂を登り切った。
 疲れ切った体で小さな公園を見渡して驚く。
 そこには雪に埋もれて白い軽自動車が一台駐まっていた。
 少し離れたベンチにビニール傘を差す芥子色のコートが見える。
 僕は彼女の姿を認めて叫ぶように呼んだ。
「ゆきむら!」
 その声に彼女は弾かれたように振り向いた。
 カミ雪がしんしんと降り積もって世界が白く染まる。その向こうに見えたのは姨捨から眺める夜景よりももっと純粋に輝くものだった。僕にとってそれは世界で一番価値のあるものだ。


 そうして僕たちはこの世界(リアル)で出会う。

ましの
この作品の作者

ましの

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