「ん?」
 不意に引かれた袖の感覚に振り返ると、そこには浴衣姿の幼い女の子がくっついていた。
 俺の腰ほどの背しかないその子は、両手で袖を掴んだままその場にオレを繋ぎとめるように立っている。
 腰辺りまで伸ばされた白っぽい髪の毛。それだけでも目を引くのに、その上には赤いトサカのようなものをかぶり、お尻のあたりには尾がついている。まるっきりニワトリを連想させる格好だ。これもコスプレの一種なのだろうか。
 その恰好にどこか見覚えがあったような気もしたが、こんな格好の子と遭遇すればまず忘れることはない。ならば恐らくは勘違いだろう。その『恐らく』という単語は、明晰な頭脳を有するオレには珍しいことだが、さすがのオレも全知というわけではない。ならば思い出せぬことのひとつくらいあってもしかたないだろう。
 オレは特に女の子の手を振り払うこともなく、進むべき方向を確認する。
 あたりはまだ薄暗く、どこかモヤのかかったように見通しが悪い。そこへまっすぐと道が伸びている。
「とりあえずは進んでみるか」
 だが、この子はどうするべきか。見知らぬ子とはいえ、このままひとり置き去りにするのも気が引ける。
 自他共に認める人格者であるオレは、無理に女の子の手をふりほどくマネはせず、とりあえずは相手をしてやることにした。
「おまえ名前は?」
 膝を折り、視線の高さを合わせ聞いてみるが、女の子は口を閉ざしたままなにも応えない。口が利けないのか、それとも見知らぬ相手に萎縮しているのか。萎縮するようなら最初から足を止めるようなマネなどしないで欲しいものだが。もっとも生まれたときから完全無欠なオレと違って、まだ幼いただの女の子に理論的な行動を求めても無理な話か。
 女の子の名はわからぬままだが、このままこうしていても埒が明かない。気にせず前に進むとしよう。
 しかし、オレが進もうとしても女の子は袖を握ったまま動こうとはしない。
「なんだ、オレの行動を邪魔しようというのか? そんなことは胸がちゃんと成長してからにしろ」
 そう言い、ひょいとその身体を持ち上げ肩車をして歩き出す。女の子の身体はとても軽く、ほとんどその重さを感じることはない。
 オレは女の子を肩車したまま、いつもどおり道をまっすぐに進んでいく。
 子ども扱いされたのが不満なのか、女の子は不機嫌そうにオレの高貴な頭をギュッと握った。手が開放された分歩きやすくはなったが、ヘアスタイルが崩れていそうだな。小さな女の子を肩車している時点で格好など気にするだけ無駄な気もするが。
「嫌なら降りてもらってもいっこうに構わないぞ?」
 尋ねてはみるが、またもなにも返事はない。黙ったままオレにしがみついている。
 オレからすれば、この子が一人になるのが嫌そうだったから連れていくにすぎない。無理に連れ去ろうとは思わないし、途中、引き取り手が現れればそのまま渡す所存だ。しかしこの場には誰も現れず、またこの子がオレから離れるそぶりを見せない。であれば、やはりこのまま連れていくしかないだろう。
 オレが女の子と道を進んで行くと、そこには大きな酒樽が一つ、道を遮る様に置かれていた。
 見るとそこには女の生首が載っている。いや、血が出ていない様子から察するに、生首があるのではなく酒樽に身体を入れ、首から上だけを出しているだけなのだろう。その理由までは想像出来んが、きっとそういう性癖の持ち主なのだ。
 女は寝ているのか、長い睫毛をあわせたまま微動だにしない。髪は丁度樽に入るのに邪魔にならない長さで切りそろえられている。
「この状態で寝られるとは大物だな」
 性別的に女と表現したが歳の頃はいくつくらいだろうか。少女と言うほど若くはないだろうが、女性と言うに適した年齢かどうかあやしい。表情を伴わない寝顔だけで相手の年齢を判断しようというのは困難である。まぁ、若い女という括りでかまわないだろう。
 それよりも気になるのは、何故かその脇には幾本もの剣が並べられていることだ。湾曲した片刃の剣はサーベルとでも言った方がよいだろうか。
「なにかのゲームか?」
 尋ねてみるが女は目を閉じたまま応えない。もちろん、オレの頭を掴んでいる女の子も無言だ。
 オレだけしゃべっている状況は独り言のようで気分が悪いが、それでも問わないわけにもいかないだろう。だが返事がないとはどうしたらいいものか。
 何故だかサーベルで酒樽を突き刺せと要求されているような気がする。多分そんなゲーム……いやオモチャを知っているからだろう。
 しかし論理的に考えて、実際の人間相手にそんなことをする理由はない。『道を通るのに邪魔だから』そんな理由でいちいち人に怪我をさせるほどオレは短気ではない。
「まぁ、効率主義であることは認めるがな」
 そう言ってオレは酒樽の女を無視し、道から少し外れその横にまわって先に進むことにした。
 その行動に女の子は「まさか」という表情をしたような気がした。
 相変わらず見通しの悪い道を進むと、今度は二人の女が道を塞いでいた。
「しかもこんどは全裸か」
 いや、全裸という表現はこの場合正しいのだろうか。女たちは確かに服も下着も着ていなかったが、まるっきりなにも身に着けていなかった訳ではないのだ。
 二人の女の身体には赤いロープが巻かれている。結び目が一つしかないことを見れば一本のロープなのだろう。各々一本ずつではなく、ふたりで一本のロープで繋げられている。より詳細な説明すれば、女たちは大きく開いた足に手を絡め、更には互いに正面を合わせるように地面に直接座っている。そして、その四肢と首を結ぶように赤いロープがかけられている。
 これを全裸と呼ぶかそれとも半裸と呼ぶかオレがより全知に近づくためにも、誰かに指導して欲しいものだ。生憎と近くにいるのは肩車をしている幼女だけで、その回答を持っているとは思えないが。
「あんたらなにしてるんだ?」
 オレの極わかりやすい日本語に女たちはなにも返さない。
 もっとも、目隠しされた上に口輪まで噛まされていればしゃべりようもないか。ただなにかを訴える様に……いや、誘うように蠢いては、赤いロープを汗の浮かぶ色白な肌に食い込ませていた。女たちが動く度にロープの赤が湿り気を帯びて変色していく。
 女たちの長い髪の毛が要所要所を隠していて肝心なところが見えないが、別にそれが残念だなんてことはこれっぽっちも思ってはいない。
「しかし、これはどうしたものかな」
 確かに女たちの身体は魅惑的なものだが、その相手をするのは流石のオレでも少々難易度が高い。
「悪いがあやとりは苦手なんだ」
 そう女たちの誘いを断り、先ほどと同じように道の外側を回り、その場を立ち去ることにした。
 女たちから離れ、そろそろ頃合いだろうと白い髪の女の子に声をかける。
「んじゃ、答えは出たからオレは帰ることにする」
 オレの言葉に反応したようにあたりが明るくなってくる。
 その変化に驚いた女の子は、引き返せと言わんがばかりにオレの髪を引き方向転換を求める。
 しかし、引っぱられた髪はまるで痛くはなかった。
 ここはそういう場所なのだから、不思議でもなんでもない。
「整合性のない世界、意味を持たない異常現象、鈍い痛覚、そして……」
 いつもの仕草で眼鏡のフレームを上げようとすると、思った通りその感触はなく素通りした。
「眼鏡なしで物が見える上に、視界の外の事まで認識出来るってことは答えは決まったな」
 それが正しいことを証明するように、それまで歩いていたの道が光の中へ消えていく……オレの身体も一緒に。
 それでもオレにしがみついた女の子は嫌々とするように、しがみついたまま頭を振る。
『もうちょっとだけ……』
 女の子はそう言いたげだった。しかし答えにたどり着いてしまった以上この場に留まることはできない。
 そして、オレはそのまま夢から目覚めた。
 開かれた両目にはいつものボヤけた世界が広がっている。
 定位置から眼鏡をとり、目覚まし時計を確認する。
「ふむ、7時の5分前か。今日もいつも通りだな」
 寝ている間に妙な夢を見ていた気がするがどうでもいいことだ。夢などは所詮は脳の最適化処理の最中に起きる現象のひとつにすぎない。
 寝る前にセットしたアラームを解除し、再び目覚まし時計を枕元に置く。
 その時計の針の下にはニワトリを擬人化したような、幼い女の子のイラストが描かれている。
 時計は「お前には遊び心がない」と言った友人からの贈り物あるが、時間を指し示す以外の機能は使われていない。
 たしか設定した時間になると、可愛い女の子の声で起こしてくれるという話だが、まだそれを聞いたことはない。
 まぁ、無駄に電池を消耗させることもあるまい。
 オレは布団から抜け出すと、身体を伸ばす。
「しかし、日に日に顔がふくれっ面になってる気がするんだが……」
 こんな安っぽい時計に、不思議な機能がついているものだ。

〈了〉

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