「うーーわ! なんだ! イモリに撃たれた!」
『やられてやんの。唯月、ダセぇ!』
 スマートフォンアプリのグループ通話から、友人たちの声が鼓膜を突き刺す。
 電気を消したリビングの闇に浮かぶ画面に大きく映る戦闘不能の文字。萎びた葉っぱみたいにやる気を削がれて、コントローラーをソファのクッションに投げつけた。

 ファーストパーソン・シューティングゲームのマルチプレイを、中学校からの友人と通話しながら深夜まで遊ぶのがここ最近の日課になっている。
『でも唯月の家のテレビでかいから良いよな。俺の部屋のテレビ小せぇし』
『ゲームやりやすそうだよな』
 両親が映画好きと言うのも手伝って、うちのテレビは確かに大きい。五〇インチある。それでも自室にテレビがある方が良いだろうと思うのは俺の我が儘だろうか。一度母さんに、部屋にテレビが欲しいなと呟いたら「テレビは家族で観るもんだ」と一蹴された。
 友人の声を右から左へと流しつつ、もう一回やろうかとコントローラーを探していると、背後でコトリと小さな音がした。
「悪ぃ。一時になったし眠くなったから落ちる」
 本当はまだ眠くも何ともないが、慌てて通話を切ってゲームを止めた。
 明日は入学式があるから、二年生に進級した俺は休み。別に夜更かししていても構わないけど、世間は平日だし親父も会社がある。多分さっきの音は様子を見に来た母さんだろう。
 息を潜めるように慎重に座り直す。ソファの横のスタンドライトをつけて、今日買ってもらった参考書を広げて勉強していたように言い訳作りを展開する。
 イモリのようにしばらく肩をすぼめて様子を伺っていたが、声をかけられることは無かった。
 盛大にため息を吐き散らして寝転がった。あれが親父だったら、絶対説教の嵐だっただろう。散弾銃みたいな言葉に撃たれて今頃蜂の巣だ。小さな物音だけで的確に俺を撃ち抜いて萎縮させる母さんはスナイパーみたいだ。細くなった血管に一気に血が流れる感覚を味わいながら、ふとそう思った。

 買ってもらった参考書のページをパラパラと落としながら、昼間のことを思い出す。
 今日は進級後のクラス替え発表と始業式だけで昼過ぎに帰った。ちょうど母さんが買い物に行こうとしていたので、特に用事もないし荷物持ちとして着いていった。
 友人たちは、もう母親と出かけるなんてないそうだ。まあ、俺も普通ならそう思ったかもしれない。
 でも、母さんは昔から体が弱く、数年前からリウマチも患って重い物を持てなくなっていた。ご機嫌取りも兼ねて、買い物に行くときはできる限り付き添っている。荷物持ちの駄賃代わりにこうして参考書や漫画本を買ってくれるし、何より母さんと話すのは意外と楽しかった。友人や本人には絶対に言えないけど。
 スーパーのカートを俺が押すと、横で母さんは入念にピーマンやタマネギを選んでカゴに入れる。あ、挽肉。今夜はピーマンの肉詰めだなと思いながら、いつものように今日あったことや、先日観に行った映画の話をした。
 はじめは少しハスキーな声を震わせて笑っていた母さんが、ふいに俺に目線を合わせてきた。顔は笑ってるけど目が笑ってねぇ……。
「そういやさ、アンタ、彼女はどうしたの? 最近家に来ないね」
「え? 陽菜乃? う、ん。まあ、普通?」
「へぇ? でも映画も彼女とじゃなかったんでしょ?」
 きた。こういうとき母さんはやけに鋭い。
 元から猫みたいな目を更に丸く大きくして顔を覗き込んでくる。取調室で刑事に囲まれたような気分になって首筋がチリチリする。
「実は、さ。ちょっと悩んでて。本当に好きなのかなーって」
「どっちが?」
「陽菜乃が、俺……を」
 すると、ふふんと笑って俺の正面に回り込んで向きあう。
「それは、アンタが信じてないからじゃない? 自分の気持ちを」
 心臓をきゅっと握られたような気がした。
「彼女だけじゃないんじゃない? 唯月は誰にでもどっか自分の本音を隠して、良いヤツでいようとするから。疲れるんじゃないの?」
 俺は無意識に母さんから視線を外して、俯きながらレジに向かう後ろ姿を追った。
 いくら母さんと話すのが楽だ、と言っても、そんなに詳しく何があったかとか何を言われたとかまで話したこともないのに。なんで俺が彼女のこと、友達との付き合いまで疲れてるなんて言うんだ? 背中にじんわり汗が滲む。
「俺、はさ。別に疲れてねぇよ? ……普通に遊んでるし」
 こたえたものの、奥歯に何か挟まったような返事しかできない。
 会計の済んだカゴを音をたてて母さんの横に置く。
 母さんはエコバッグを広げながら、遠くの音を聞くような顔で俺の次の言葉を待っていた。
 頭の中でいろんなことがない交ぜになって、次に繋ぐことができなかった。母さんは知らず知らず俯いてしまった俺の頬を一撫でして、そのあとはなんにも言わなかった。
 帰ってきてエレベーターで一緒になった上の階のおばちゃんが「イケメンになったわねぇ」と母さんにやたら話しかけてたけど、二人揃って愛想笑いするだけで済んだ。いつもだったらベチャクチャ喋り倒すのに。

「……何がわかるんだっつーの」
 弄んでいた参考書をテーブルに放り投げる。勢い余ってお茶を入れていたコップと一緒に落ちてしまって慌てて飛び起きた。ほとんど空だったからテーブルの下にあった本屋の袋の端が少し濡れただけでホッとした。
 ティッシュを何枚か引き抜いてお茶が飛び散った絨毯を拭いた。袋を捨てようとしたらまだ何か入ってる。なんだろうと中を見てみると、黒いノートが入っていた。
 母さんのだったら汚したらうるさいなと思いつつ摘まんで出すと、ノートの表紙にメモが貼り付けてあった。

『今できることをやりなさい』

 日本代表のサッカー選手がコマーシャルでやってる夢ノートだった。
 一つずつ目標を書いたり、その日できたことを書こうってアレだ。
「俺は小学生か!」
 頭から湯気がでそうになりながら、やたら達筆な字に突っ込んだ。いつの間にこんなモノ買ってたんだよ。ブツブツと文句を口の中に溜め込んで、空いた手で落ちてた参考書を拾う。
 左手に夢ノート。
 右手に参考書。
 奇妙な取り合わせの向こう側に、俺の胸の位置から見上げて話しかける母さんの顔が浮かんだ。
 あれ。あんな小さかったっけと今更気づく。
 そういや四〇歳すぎたんだよな。普段の服装も小綺麗にしてるし、友人らの母親に比べたら随分と若く見える。
 ――――だからあのとき頬に当てられた手が、いつの間にか折れそうなほど華奢になったことからも目を背けていたんだ。
 浮かんだ顔をピン留めするようにしつつ、ソファに座りなおし改めて両手のものを見た。
 俺は考えることから逃げていたのか。また投げ出したままにしようとしたのか。
 まだ何をすべきか、何からやるべきかもわかってなかったのは事実だ。
 がむしゃらに頑張って、好きだったバレーボールもうちの高校は弱いってだけで入らなかった。
 だから部活で今もバレーボールを続けてるみんなに置いて行かれてるような変な疎外感もあった。深夜まで取り留めも無い話をしながらゲームをするのも、俺なりに奴らと繋がっていようとしてるのかも知れない。
 陽菜乃とは学校も違うし、一緒の大学に行けるかどうかも不安がある。学校で授業が何処まで進んだとか、そんな話ばかりで正直面白くなかった。それでなんとなく距離を取ってしまっていたのか。
 夏には三者面談もある。本当ならもう志望校決めて動かなきゃいけない時期なんだよな。
 ゲームから覚めた脳に目を反らしていたいろんな出来事が過ぎっていった。
 正論で論破しようとする親父とだったら、反発してこんなに考えることもなかっただろうな。
「あながち間違っちゃねぇな」
 参考書を脇に退けて、夢ノートを開いてペンを取った。
 何からやればいいのかなんてまだわかんねえけど、一つずつ思ったこと書いていくか。
 一文字一文字ゆっくりと書きながら、ギリースーツを着て、スナイパーライフルを構えた母さんを思い浮かべたら笑いがこみ上げてきた。
 プッと小さく吹き出したとき、ラインのコールが鳴った。

『半歩でも進めたら上等だ。母より』

 ……やっぱり起きてやがった。っていうか、こっそり見てたのか!
 ヘッドショットを食らった惨敗兵のように俺はテーブルに突っ伏して降参した。

ちよ
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