『次は西高入口、西高入口…』
バスのアナウンスがそう告げる。
僕はブザーを押し、運賃を小銭入れから探り出す。

ここは僕の母校だ。卒業したのは20年前。
現在は東京でサラリーマン。
懐かしさに浸りながら、久々に会う約束をした友人の家へ向かってゆっくりと歩き出す。


車内は冷房でだいぶん涼しかったが、降りたとたんにまるで蒸し風呂だ。
太陽がこれでもかと言わんばかりにじりじりとコンクリートを照りつけている。

バス停に入口と書いているわりに、高校到着まで徒歩で20分近くかかる。
まあ田舎にはよくあること。汗が止まらない。友人の家は学校よりもさらに向こう。
帽子でも被ってくるべきであった。

とにかく暑い。
ハンカチはびしょびしょだ。何の役にも立たない。搾れば汗が滴り落ちる。
確かこのあたりに高校時代たむろしたカキ氷屋があったはず。
ちらと時計を見る。
約束の時間はまだ先だ。
ちょっと涼んでから出直そう。


果たしてその店はその場所にあった。
佇まいはまるで切り絵のよう。

高校の時分もすでに古めかしい木造の甘味処ではあった。
今ここにあるこの店の柱はさらに黒光りを増している。
格子の窓にはゆがんだガラス。店先に『氷』の布切れが一枚はためいている。
風鈴の音。

僕はカラカラと戸を開ける。店内は薄暗い。
足を踏み入れると、スッと空気が変わる。
いい風が入ってきた。

「いらっしゃい」
「あ、カキ氷ひとつ。えっとイチゴかな」
「ミルクどうする。サービスだけど」
「じゃあください」
「アイヨ」

ハルばあちゃん。
あれから20年経つというのに、ずいぶんと達者だ。
慣れた手つきで機械のハンドルをぐるぐると回す。
巨大な氷の塊がそれにあわせてキラリキラリと光を反射させる。

やがて細雪のようなそれがソーダガラスの器に盛られる。これでもかというほどの大きさ。
ショッキングピンクの蜜の上には練乳。
子どものころに練乳のチューブを口につけて吸っていたら姉貴に思い切り殴られたっけ。
古い記憶が頭をかすめた。

そうだ、ここにはこのばあちゃんの孫嫁サチコさんとひ孫のみっちゃんがいたはず。
サチコさんはあの当時20代半ば。とてもきれいで優しかった。
またきてね、という声と笑顔が大好きだった。今でも心に焼き付いている。

「あの、僕ここの卒業生なんです」
「あや、んだー」
「もう20年経ちました」
「ずいぶんと昔だこと」
「そうですね。この店は変わりませんね。ひ孫さん、大きくなられたでしょう」
「なあに、甘えんぼ甘えんぼ」
「まあそういったものですよね。サチコさんもお元気ですか」
「かわらねえよぉ。みんな。おういサチコ、みっちゃん」
ハルばあちゃんが店の奥に向かって声をかける。
「ハーイ」
「おばあちゃんお会計ですか。アラ、いらっしゃいませ」

あれから20年経った。
サチコさんは美しかった。
そして今、目の前にサチコさんはいる。

美しい。高校時代に見た彼女と、少しも変わっていない。

サチコさん子ども。みっちゃん。
相変わらずかわいい。
当時六歳だったはず。
今も…

「え」
「ん。サチコとみっちゃん」
「え、ハルばあちゃん」
「ん、サチコとみっちゃんだべ」
「だって…20年…アア、みっちゃんに子どもが生まれたの」
「あに寝ぼけてんだ。おらの孫嫁どひ孫だ」

変わっていないな、この店は。

『氷』の文字がはためいている。土間に並べられたテーブルと丸椅子。
達者なハルばあちゃん。
美しいままのサチコさん。
そして、6歳のままの、みっちゃん。

みっちゃん。君は今26歳のはず。いくらなんだって、おかしいだろうそれは。



突然目がくらむ。

天地が逆になる。
グラリグラリと世界が揺れ、猛烈な吐き気が僕を襲う。



「オイ、オイ朔太郎。大丈夫かよ」

聞き覚えのある声。
約束をしていた友人の顔がそこにあった。
「あ、あれ、ちょっと。カキ氷のお代…」
「何。何言ってんの。水飲みなよ、まず」


僕はバス停から少し歩いたところで倒れていた。

ハルばあちゃんは僕の卒業後すぐに亡くなっていた。
しばらくはサチコさんが切り盛りしていたものの、隣の家から火事が出た。
隣接していた木造の店はひとたまりもなかった。
引火し全焼したその焼け跡からは、成人女性と女の子の遺体が見つかる。



あのころ、大好きだったもの。
それはなんでもないごく普通の日常。



真っ白に照りつける太陽。
切り絵のようなあの店。

風鈴の、音。

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