[咲かない花を見に]

トントンとローファーを履き、右手に鞄を持った私は、
玄関でお見送りをしてくれている母親に対して、
今まで正常な女の子として育ててくれた肉親に対して真っ赤な嘘をついた。

「いってきます」
「いってらっしゃい。気をつけてね」
「うん」

駅までは歩いて10分。そこから学校まで電車で15分。
本当ならとっくに着いてる時間だけど。

お母さん、ごめんなさい。
私、学校休みます。

桜の花が丁度満開の頃。
まだ咲いていない紫陽花を見るために、
通学とは反対側の電車に乗っていた。

「おはよ、愛花」
「あ、柚香。おはよう」

駅のホーム。
いつもの時間、いつもの場所。
別に待ち合わせをしていないのに、柚香はいつもそこにいる。
あのときからずっと、いてくれる。

「今日は花柄のヘアピンなんだ。かわいいね」
「……柚香はいつも気づいて欲しいところにすぐ気づく」
「だって気づいてほしそうな顔してるんだもーん」
「そんなところ、少し嫌い」
「えっ、なんで?」
「だって、他の子にも同じように言ってそう……」
「そんな事気にしてるの?」
「言って欲しくない」
「ふーん。…………ねぇ」
「なによ」
「ほんとに似合ってる。可愛い」
「……ばか」

いつもそうやって私の感情を簡単に制御してしまう。
そんな柚香の性格は、ずるいと思う。
何も言えないまま丸めこまれる。
だから最後の最後まで丸め込まれるんだ。

2人で立つ駅のホーム。
いつも柚香が後ろに立って、私の背中を見つめてくる。

「好きな花って何?」
「……百合」
「まったく、愛花らしいね」
「柚香は?」
「私はアジサイ。あの美しい青紫色の花、素敵だわ」
「あっ、私も好き」
「愛花は紫陽花の花の中って見たことある?」
「見たことない」
「あの花は遠い所から見るから美しいんだよ。花の魅力にやられて奥深くまで知ろうとするのはやめた方がいい。絶対に覗いたらダメだからね」
あまりに真剣な顔をして言うものだから、余計に覗いて見たくなってくる。
「わかったよ。覗かない」
「うん。よかったよかった」
いつもの笑顔に戻った。
「今は丁度桜が咲いてるね」
「そうだねー……」

私達が乗る電車はあと5分待つとやってくる。
反対の電車がホームに入ってきた。

今は4月7日で始業式。二年生となって最初の日。
もう入学して一年が経つ。
一年前の入学式。女子高で女の子しかいないものだから、
私みたいな背の高い女は目立っていた。
同じ一年生、二、三年生もみんなが私を見てくる。
人見知りの私はそんな状況が続くと思うと、
これからの学校生活に対して不安でいっぱいだった。
「君、背が高いね。ちょっと背比べしようよ」
柚香とのはじめての会話。
背と背をくっつけ合わせて、どっちが高いかを頭のてっぺんで確認する。
「勝ったー!私のが大きいね。あ、私、安達柚香(ゆずか)。これから三年間、宜しくね」
「藤月愛花(あいか)です」
きっと私が背の高い女じゃなかったら知り合うことはなかったと思う。
でも、まさかこんなことになるなんて。

「ねぇ」
「なに?」
「今からアジサイ、見にいかない?」
「えっ?」
「ほら、行こうよ」
「今から? 本当に?」
「うん、本当。愛花、ついてくる?」
彼女は反対方面の電車に乗って、私に手を差し伸べている。
乗ったら、始業式には出れない。
もう元には戻れない。
生まれてから一度も学校をサボった事のない人が、
その手を取るのにどれほどの勇気がいるのだろう。

でも私は、もう戻れない位置にいる。
だから簡単に手を取れた。
差し伸べられた小さな手を、しっかりと掴んで離さなかった。

  ――――

[アジサイとサクラ]

……聞こえる。愛花の心臓の音。
……私のも聞いて。ほら、私も凄くドキドキしてるんだよ。

ドクンドクン。
ドクンドクン。
ドクンドクン。
ガタンゴトン。
ガタンゴトン。

「……ねぇ愛花ったら、ほんとに聞いてるのー?」
「えっ? あ、うん。ごめん。聞いてなかった」
「もう、学校サボった事は忘れようって言った矢先にこれだもんなー。急に誘ったのは悪かったけど」
「サボった事はもう何も気にしてないってば」
「じゃあ何を気にしてたの?」
「それは……」

だめだ。このペースはだめだわ。
考えていた事がどんなに恥ずかしい事でも
柚香の口車に乗せられて、いずれ言ってしまう。

「ど、どこに行くの?」
「んー、内緒。ちょっと遠いとこ」
「よりによって、なんで今日?」
「何となく学校行きたくなかったから」
「何で?」
「内緒」

ガタンゴトン。
ガタンゴトン。

柚香は電車の窓の向こうを、遠い目をして見つめていた。

「内緒ばっかでずるい」
「じゃあ愛花がさっき考えてた事教えてくれたらいいよ?」
「それは……」
「それわ?」
「こ、今度教えるよっ」
「ふーん。まぁ今回は許してあげよう」

はぁー良かった。なんて胸を撫で下ろしたのも束の間、
その後の柚香の一言は私の心を更に動揺させた。

「私、昨日ね、男の子に告白されちゃった」
「え」

柚香は今までに男の子とも付き合った事がある。
彼女はレズというよりバイなのだ。
女の子は好きだけど、男の子も愛せる人。
それは私との決定的な違いだった。
もう一つ違うところといえば、柚香は処女じゃない。
私より経験豊富な彼女に対して、身体をあずけるしか出来ない。
今はわたしの前にいてくれるけれど、私の事が飽きてしまえば、
きっといつかは何処かへ行ってしまう。

「それで、なんて答えたの?」
「そりゃあもちろん断ったさー。私の好みじゃなかったよ」
「好みだったら……どうするの?」
「愛花がいるから断るね」
「ふーん。本当かなー」
「はいはい。やきもち焼いちゃって困った子だなあ」

ヤな気持ち。ヤキモチ。
それが心を締め付ける。今日はもうずっと縛られっばなしだろうなあ。
でも仕方のない事だ。確かに私の彼女はモテるのだから。

柚香は学校では一目おかれるほど人気者なのだが、
普段は静かで大人しい。
注目される瞬間は歌う時だった。
ギターを持って歌う柚香の姿は本当に格好いい。
彼女の全身から全力で奏でられる曲が、私は本当に好きなんだけど、
他にもたくさん好きな人がいる。
学校内にはファンクラブが作られて、
学園祭では柚香目当てに来る他の男子高校生がいるほどだからね。

対して私は皆と同じく柚香のファンだったけれど、
その一線を超えちゃっただけの人。
なぜ柚香が隣にいてくれるのかがわからない。
隣にいてくれれば誰でもいいのかも知れない。

「さて着いた。これからちょっとだけ歩くよ」
「うん」

まあ、何でもいいか。
終わりまでを幸せに感じられるならば。

二人はゆっくりと歩いている。
いつもは後ろを歩く柚香が、今回は前を歩いて私を導いてくれる。
車もほとんど通らない道を歩いて20分。
ようやく目的地に着いた。

「あーあ。やっぱりアジサイは咲いてないか」
「でも桜が凄く綺麗……」
「少し目をつぶってくれる?」
「え?うん」

「え?」
「何となくしたかったから」
「……もう」
「愛花を例えるなら桜が似合ってる」
「でもアジサイを見たかったんだよね」
「アジサイより桜のほうがいい」
「私は桜もアジサイも好きだけど」
「愛花らしいよ」
「え?」「ううん、なんでもない」

「私が学校行きたくない理由、聞きたい?」
「うん。聞きたい」
「どうしよっかなー。愛花からディープキスしてくれたら言おうかなー」
「えっ! それは……ちょっと、恥ずかしすぎる……な」
「あはは、嘘ウソ。実は告白されたの、八板先生なの」
「え、本当に?」
「うん。これは本当」

八板恵先生、まだ若くて女子生徒にも人気のある先生。
先生なのに生徒に告白するなんて普通はあり得ない。
あり得ないけど、私は全然驚かない。
驚く立場にいない。

「返事は?」
「さっきもいったけど、断った。お付き合いしてる人がいるので無理って」
「誰にでもモテすぎだよ、ほんと」
「そんな事言われても困るなあ。私もちょっとどうしたらいいか悩んでるんだから」
「ごめん。そうだよね」
「いや、でもヤキモチ焼きっぱなしの愛花を見てたら閃いた」
「閃いた?」
「うん。愛花、今から一緒に先生のところに行ってくれない? 私のお付き合いしてる人を見せびらかしてやるの」
「え! そんな事して大丈夫なの?」
「愛花が大丈夫なら私は本気だよ。先生は絶対に無いって証明しないと後先が大変だろうし。だからお願い!一緒に行こ!」
「えー、どうしよう……。柚香がディープキスしてくれたら行こうかなー」
「いいよ」
「えっ」
「愛花、こっち向いて」
「ん……」

手を結んでしてくれた。
今の私の顔は、サクラの花びらのようにピンク色なのだろう。
先生に会うのは怖いけど、柚香がそばにいてくれるなら大丈夫。

  ――――

[咲いてはいけない花]

恵先生は英語教師で美術部の顧問で、
若くてかっこいい感じで。
それはもう女子たちの間では人気の先生。
恵先生が教室に入ってくるだけで空気が変わる。
授業中も静かにどよめく。
趣味はバスケらしく身長は高くて体格もいい。
顔は耳とアゴのヒゲが繋がっていて渋い。
そしてなんといってもあの低い声。
教師になる前は高級ホテルのボーイをしていただけあって
流暢な発音で通った声質。
確かにかっこいいしモテるのも頷ける。
頷けるけど、何で。
「失礼します」
「英語を教えてもらいたいのですが恵先生いらっしゃいますか」
「ああいるよ。ちょっと待って。恵先生ー」

何でそんな人が柚香なの?

「こんにちわ、先生」
「こんにちは。あれ君達、今日学校来てなかったよね」
(……それは)
「ズル休みです」
「そんなはっきり言われると困るなあ。俺も一応先生なんだけど」
「先生なら生徒に向かってあんな事頼まないとおもうけど?」
「んー…まあ、そうかもね」
恵先生は自前のカップに入ったコーヒーをズズッと飲みながら、私を見ていた。
そしてカップをソーサーの上に置いた。
このほんの数秒の間、沈黙の時間だった。
先生は蚊帳の外のはずの私がどうしてここにいるのか不思議なんだと思う。
私もどうしてかよくわからない。
そう、
どうしていいか一番わからないのは私。
私は動揺していた。

「えっ? ヌード?」
「そう、告白の前に言われたの。描かせてくれって。まあ言い返したけどね。その発言、通報したら犯罪になりますよって。軽く脅しちゃった」
「笑い事じゃないよね」
「 あはは……そうだよね。そうなんだけどそれ以上に真剣な顔で言ってくるもんだから少し悩んじゃってさ。まあヌードは断ったんだけとね」
(じゃあそこに居てくれているだけでいい)
「……結局モデルにはなったんだ」
「ごめん。断りきれなくて」
断わって欲しかったが本音。
私は蚊帳の外なんかじゃないんだから。

もう時間は昼前。
学校に行く途中の電車内で、
私は多分ムスッとした顔してるんだろう。
流石に困ってしまったらしい。
いつもなら適当に私をあやしてくれるはずなのに、
ごめん。と一言いって電車の窓の外を見ていた。

ひと気のないところを選んで美術室についた。
先生と私、そして柚香の3人。

「で、何か用があるのかな」
「先日、私に言った言葉はなかった事にしてもいいですか」
「……それはだめだ。君が重荷になってても取り消せない」
「……ずいぶん身勝手なんですね」
「本心ていうのは一度言ったらもう止まらないし、もう止められないから」

……。

だから何度でも言える。
柚花、 君が好きだ。
もう一度付き合ってくれ。

(えっ…?)

「……っもう! 何でそーゆうこというの!」
「嫌いなら嫌いって言ってくれよ」
「あー、ムカつく! 嫌いっていえばいいの?じゃあいいわよ。嫌いよ!嫌い嫌い大っ嫌い!」
「そうか」
「そうよ!私とあなたとはなんももう関係ないの!そして前から関係ないの!だからもうそーゆうことは……」
「柚花」
「……なによ!」

「えっ!」

強引だった。
先生と柚花はキスをした。
その瞬間、時間が止まった。
三秒の時間ぐらい。

「……っ! 」
柚花は悔しそうな顔で先生を見てた。
涙を浮かべながら。
そして先生の胸あたりを両手で思い切り押して、美術室から飛び出していった。
私の横を通り過ぎた時、
柚花は私の方を向いてくれなかった。
柚花は泣いていた。
私だって……。
「あ……」
(私、本当は蚊帳の外だったんだ)



「君は、今柚花と付き合ってるのかい」
「……」
「そうか」
少しすると先生は絵を持ってきた。
その絵には彼女、昨日先生が描いた彼女が居た。
何を着てない裸姿。
だけど白い肌が光を反射させて肝心な所は隠れて見えない。
ショートカットの髪の毛は微かに風に揺られて美しく顔になびいてる。
正座をくずして座った格好をして、
どこか儚げに遠くを見つめてる。
この柚香は何を想ってるのだろう。
間違いなく私の事じゃない。
とても美しくて……触れたくて。
でも触れても何も感じなくて、
だからやっぱり私は生身の柚香が好きなんだから。
「あ……」
離れたくなかった。
行かないでほしかった。
「うっ……うぅ~……」
私を連れていってほしかった。
やっと私は大粒の涙が出てきた。

先生は私にハンカチを渡すと、
「君にあげようかと思ったけどやめた。 この絵はなかった事にしよう」
「えっ?」
「ついてきなさい」
そういうと先生はその絵をもって屋上にあがった。
私もそれに付いていく。
屋上は生徒立ち入り禁止で、
誰も入る事ができないようになっている。
鍵を開けて外に出た。
外から一番見られにくい場所を選ぶと床に先生はその絵を置き、
アルコールを絵に向かって垂れ流し、
最後に火をつけた。

燃える。
燃える。
燃えるのをただ見ているだけ。
私の好きな人が目の前で消えていく。
この感覚、ついさっき感じたばかりだ。
「僕はもう目の前から彼女を消す。君は……報われない恋なのはわかってるよね」
(私は……)
「まあ、僕は応援するよ。同じ人を好きになった人として」

灰になったキャンバス。
先生はもう何もいわずにその場を立ち去った。
私の泣き声も止み、静かになった。
柚ちゃんの絵も、燃え尽きて真っ黒になった。
その時、後ろから聴こえるあの声。
それは美しい音色。
柚ちゃんの響き。

振り向かないで、そのままで聴いて。
わがままを言わせてください
心にある二つの重みは
消し方がわからないまま見つけてしまったの
だから ごめんね 知らないうちに
巻き込んで 傷つけて 道を選ばせて
でもどちらにも 触れていたい。
多分、 その答えが 私のものだった。
愛ちゃんは……こんな私をどうおもう?
今の気持ちを聞かせて。
……。

(私は……私はやっぱり柚ちゃんには私だけをずっと見ていて欲しかった! もう変わらない)
柚ちゃん。
柚ちゃん!
「柚ちゃんっ!」
「は、はい」
「今まで…楽しかったよ。ありがとう、ございます」
「……ごめんね」
私は彼女の隣を通って屋上を出た。
ぐしゃぐしゃに泣きながら。
泣きながら校舎を歩き、
かのじょの歌は聴こえていた。

私は……失恋したんだ。

____

どんなに重い病気にかかっても、
交通事故で両手がなくなっても、
失恋で一日中疲れ果てるまで泣き続けても、
時間は止まらない。

周りの人は目がどーんと腫れている私を見ても、
こんな事になってるとは誰もわからないと思う。
少し心配するくらい。
この事を誰にも言えない。
言うのがとても怖い。
だから誰も知らずに明日はやってくる。

幸い同じクラスじゃないから会う事は少ない。
恵先生の授業もない。
だけどあと一年以上もある高校生活。
会わないはずがない。
何回かは目も合うのだろう。
私はきっと話そうとしないし、
彼女も話しかけてこないと思う。

私はそんな簡単に忘れられない。
私の心は、当分痛いはずだ。
けれど、時間は止まらない。
止まらないから、辛いのだ。

桜が咲く頃に、
とても綺麗なアジサイが一輪咲いていた。
眺めるだけ、触るだけならよかった。
その花びらの中身を覗いてしまった。

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