「光ってんの」
「そうよ、光ってる」

俺はその日、初めて真空管を見た。

女はタバコを消すとまたバーボンを口に含んだ。
左手はテーブルの上に転がる真空管をもてあそんでいる。
長く整った爪の先には小さなバラが咲いていた。


「今度、みちおくんに頼んでみよう。私じゃちょっと組み立てらんない」
「だれみちおくんて」
「知り合いの電気技師。音響も詳しいから、多分アンプ組み立ててスピーカーにつないでくれると思うんだ」
「そこでまた真空管、光ってんの」
「光ってんの」
「アンプの中で」
「そう」
「無駄な光じゃん」
「おいおい無駄を知らずに真実に近づけるとでもと思っているのかい、若造」
「若造言うな」



俺はこの女に何度か買われている。

都内某所のビルの地下で、ブランドの展示会が行われていた。
彼女はどこかの有名人と一緒にいたが、ショーが終わったあとも彼女一人がなぜかそのままその場所にいた。

俺は解体作業のバイト。
高校生だから時給ったってたかが知れている。
でも少しでも多くの金が必要だった。
肉体労働は慣れている。
小さいころから海に出て、おやじと網を引き上げていた腕と足腰。
海は俺のホームグラウンドだった。


「私、この日焼けした腕大好きよ。大きな体も、筋肉も」
「もうすぐ全部無くなっちまうかもな」
「どおして。困る」
「漁師やめるっておやじが言うんだよ。俺にあとを継ぐなって。
俺は船も海も大好きなのにさ。何のために水産高校を卒業するんだかわかんねえよ」
「いいじゃん船やめて。私のヒモになれば。ジムとか行って、そこで鍛えれば」
「ひとの夢をテキトーに言うな」
「夢。夢なのか。君の。バレルは上がる。魚の市場価格は上がらない。
悲鳴を上げるのは君たち漁師。まあ私には関係ないことね。
あ、モシモシみちおくん。ちょっとお願いあるんだけれどさ…」


おやじは生活のために船を捨てろと言う。
海に出たって借金が増えるだけだ、と。自分の首を絞めるだけだ、と。

それはきっと本当で、愛ある言葉に違いない。


でも俺は海で生きる。海でしか生きることができない。
船に乗らない俺なんて、あってはならない存在だ。
網を引かない俺なんて、翼を裂かれたかもめと一緒。

潮騒が俺を呼ぶ。もはや破滅への道しか残っていなくとも。


女が携帯電話をぱちんと閉じる。
「ね、キスしてよ」

デジタルのかけらもない。

音を作るために電気を通し、光を放つ真空管。
けれどもその光は誰にも必要とされていない。

四角いアンプの中。
人知れず孤独なそれは俺の夢だけをただ一点に照らしている。



船はなんらかわることなく海へ出る。
真空管が、暖かい響きを紡ぎだしている限り。

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