第十九話 白紙の中に

『榎本啓一様へ』
『何から書いたらいいんだろう。』
『えっと、よろしくお願いします。違うかな。ごめんなさいも違う。』
『さようならは嫌だし、またねってのも変だよね。もう私達、恋人同士なんだから。』
『うわ、書いていてなんか恥ずかしいよこれ!』
『推薦に啓一君からの告白。私にとっては嬉しいことだらけでした。』
『告白も受けて推薦も蹴らないなんてワガママだと思うけど、許してほしいな。』
『遠距離恋愛になると思うけど、浮気しないでね。』
『二人をお願いします。少し不安があるとすれば、私がいなくて大丈夫かなって所なの。』
『啓一君も私がいないと寂しいよね。遠くに行っちゃうって考えてるだけなのに、私も寂しい。』
『お別れの時、みんなには泣かないでほしいな。釣られて泣きそうなるもん。』
『そういえば、コンクールに送る作品は進んでるのかな?』
『ますます絵が上手くなってると思うから、この調子で頑張ってね。
『私も負けてられないな。美鳥か啓一君が入賞したら連絡ください。』
『それを励みに私も前を向いて頑張ります。』
「秋葉美樹より」

 美樹から受け取った最後の手紙、引き出しの二十底に隠していたのを思い出した。
 受け取った手紙はここに隠していたんだな。

「通りで手紙の内容が繋がらないわけだ」
「さて、と」

 この手紙と、俺の書いた手紙を箱に入れる。

「また埋めてくる訳にもいかないし、どうしよこれ」

 あれから四日、俺の生活はようやく日常に戻ってきた。
 前と違うのは俺の記憶が完全に戻った事。いや、完全にと言うには語弊があるか。
 最近の事で少しうろ覚えな事がある。
 結局、あの白いキャンパスに描かれていたのはどんな絵だったんだろう。
達也同様に忘れてしまったらしい。
 あとはそうだな。

「啓一くーん?」
「あ、今行く!」

 美鳥と付き合い出した事。昔の彼女の手紙を取っておくとはどうかと思うし。
 箱とカバンを持って、階段を下りる。

「おはよ。あ、その箱」
「父さんの部屋に置いておくけど。捨てたほうがいいか?」
「それは私も心苦しいかな。楽しそうに書いていたのを知ってるから、特に」
「そっか。じゃ、部屋に置いとくよ」
「うん。お願い」

 鍵開けたままの父さんの部屋に入り、適当な場所に手紙の入っている箱を置く。

「帰ったら片付けるか」
「啓一君?」
「なん、……!?」

 振り返った途端、美鳥が目の前まで迫ってきた。そのままの勢いで俺達は唇を重ねる。

「んっ……。今の彼女は私だから、そこをわかってくれてればいいよ」
「あ、えっと」
「啓一君ってば顔赤いよ?」
「からかうな! お前だって。あ、そうだ」

 誤魔化すように身を翻し、背を向ける。

「思い出したんだけど、これ見てくれよ」

 部屋に並べられていた絵を裏返す。

「森川照義……あれ、啓示さんの絵じゃなかったんだ」
「友達の絵だから、飾っていたんだな。今度智明先生に教えるか?」
「そうだね。明音ちゃんも喜ぶよ」
「じゃあ、昼休みに教えるか」
「屋上だよね」
「ああ。達也と食っている時によく来るよ」
「じゃあ私も行く」
「友達と食わなくていいのか?」
「浮気現場にならないよう見張らないと」
「少しは信用してくれよ」
「冗談。たまには屋上で食べたいだけだよ。ほら、行こう?」


 美鳥と一緒に屋上へ。

「達也はそうそうに消えたけど、購買かな」
「そうじゃないかな。あれ、屋上騒がしいね」

 本当だ。声がする。

「ここ結構穴場だったんだけどな」

 扉を開ける。

「あ、啓一きた」
「達也。今日は早いな」
「うん。いろいろあってさ」

 あれ、もう一人いる。

「あれ、瑞樹せんぱ」
「美鳥ちゃん久しぶりー!」
「わぷっ! せ、先輩苦しい! 苦しいです!」
「結構パワフルだな」
「ははは……」
「あれ、今日は弁当だったのか?」
「今日は余裕あったからね」
「先に食ってたのか? って、その弁当箱」
「こ、これは先輩のだよ!」
「美鳥ー、達也が私より料理上手いんだけど、どういう事?」
「先輩、窒息するんで離してやってください」
「あ、ごめんごめん」
「ぷはっ……!」
「達也は昔から自分の弁当作ったりしていますから」
「二つあったけど」
「それは俺のです」
「マジ!? どういうご関係で?」
「友人ですが何か」
「食費渡してついでに作っているだけですよ」
「それを私食べちゃったんだけど」
「やっぱりですか」
「おいしそうな匂いに釣られちゃって。ご、ごめんね?」
「いえ。購買でなんか買ってきますよ」
「け、啓一君。あのー」
「なんだ?」
「私、啓一君の分も作ってきたんだけど」
「弁当?」
「うん」
「いただきます!」
「僕の仕事も一つ減ったかな」
「あ、達也君」
「何?」
「金曜日に作ってくれたお弁当、ありがと」
「もしかして、あの後食べたの?」
「うん、おいしかったよ。本当に上手くなったね」
「ありがと」
「私にも作ってほしいなー」
「み、瑞樹先輩」
「啓一君は美鳥に取られちゃったし。作る分は今までと変わらないでしょ?」
「そうですけど」
「食べたいなー」
「わ、わかりました」
「やった!」
「先輩と達也君って、付き合いだしたのかな?」
「それっぽい、よな」

 お幸せに。

「啓一君、だっけ」
「は、はい」
「前はありがとね」
「前?」
「あー、ほら。達也君の伝言役? 屋上に来てくれって言われた」
「そういえば、そんなこともありましたね」

 なんだ達也、こっちを見るな。

「感謝してるよー。じっくり話せるキッカケをくれたからさ」
「バイト先の帰りで少し話す程度でしたからね」
「うん。あなたも絵描いてるのよね」
「最近また始めました」
「あら、そうなんだ。もしかして、ローブの絵描き?」
「そうです」
「先輩、私も見ました」
「結構いるわね!?」
「あ、そうだ」

 瑞樹先輩は思い出したようにカバンからファイルを取り出す。

「このファイルの……あ、これだこれだ」
「わっ、漫画だ」

 取り出された一枚の紙は漫画の一ページだった。

「上手いですね。これ、瑞樹先輩が描いたんですか?」
「ううん。友達の佐々木って子。知らないかな」
「佐々木……」
「あ、ほら! 聞き込みしてた時にいたじゃん。C組の佐々木先輩」
「あの人か」

 え、でもかなり真面目そうな人だったぞ。

「意外でしょ。面白い漫画描くんだよー、あの子」
「本当に意外だ」
「すごーい」
「本人の前で褒めると少し怒られるんだよね」
「どうしてです?」
「描きたくなってくるから、らしいわよ?」
「素直に描いたらいいのに」
「そうなんだけど、あの子結構真面目だから」
「あ、いたいた。美鳥」
「恵理ちゃん、どうしたの?」
「んいや、珍しく私らと食べないとか言い出すからさ」

 チラリと恵理が俺を見る。

「やっぱり旦那がいいか」
「だだだ、旦那!?」
「美鳥、落ち着け」
「じゃあ、噂バラまいてきます!」
「あ、おい待て!」
「ほっときなって」
「そうだよ。恵理ちゃんだったら悪い噂は流さないし」
「付き合ってるって広められるだけなんだろうけど……」

 賑やかになりそうだな、明日から。

「僕らが付き合い始めているって噂も流れていましたけど」
「え、ウソっ!」
「あれ、先輩。達也君と付き合ってるんじゃ?」
「ちょ、ちょっ、ちょっと待って! 私は別にそういうんじゃなくてね? えっと」
「そういうんじゃないんですか?」
「ちょ、美鳥こっち来て!」
「わぷっ……!」
「まだよっ。ま、だ!」

 こそこそ話しているつもりなんだろうけど、聞こえていますよ。たぶん達也まで。
「お前も大変だな」
「ははは……」
「二人共おまたせー」
「あ、智明先生」
「って、あれ。四人いる。今日は賑やかね」
「智明先生」
「先生こんにちは!」
「あ、瑞樹ちゃんは久しぶりね。元気だった?」
「バイトでヘトヘトです」
「あらら。たまには息抜きもしてね?」
「はーい。あれ、先生……後ろのいる子は?」
「ん?」
「あ、優華ちゃんだ!」

 ビクッと智明先生の後ろで何かが動いた。女子みたいだ。

「知り合いか?」

 ちょうど女の子から死角に入ってしまっていて、よく見えない。
「あ、美鳥ちゃん以外は知らないわね。瑞樹ちゃんはバイトで来れなかったし」
「もしかして後輩ですか?」
「そうよ。今年の新入部員」
「この前部室覗いたときはいませんでしたよ」
「入院してたせいよ。来てたんなら挨拶しに来ればよかったのに」
「教務室の先生からは、お子さん迎えに行ったって聞きましたけど」
「しゅ、週に一、二回程度よ? お仕事だってちゃんと終わらせてから迎えに行ってるし」
「部員達の事も見てあげてくださいね?」
「は、はい……」
「優華ちゃん、久しぶりー。えっと、私の事覚えてる?」

 その子は智明先生の影に隠れたまま、そこを動こうとしなかった。

「美鳥先輩、ですよね」
「おー。二回しか部活来てなかったけど、今まで入院していたの?」
「退院は一ヶ月前にしましたから。時々学校来ていましたけど、ほとんどリハビリを」
「大変だったんだね」
「はい」
「ねぇみんな。一緒にお昼、いいかな」
「私達は歓迎です」
「啓一君と達也君は?」
「俺達も構わないよ。な?」
「うん」
「優華ちゃ……えっ?」
「美鳥、どうした?」
「その腕」

 優華と呼ばれた女の子が、智明先生に連れられて前に出てくる。

「ははは、ほとんど動かなくなっちゃい……ました」
「動かないって、入院してたんだよね?」
「はい。交通事故で、命に問題なかったんですけど……切断することになっちゃいまして」
「優華ちゃんって確か」
「左利きです。だから、いろいろ不便で……」
『一年生の子はB組だけど』
『だけど?』
『今入院中らしいよ。会ったことはないし』
もしかして……。
「達也」
「ん?」
「恵理が言っていたローブの絵描きを見た一年って、あの子じゃないか?」
「あっ、きっとそうだよ」
「優華ちゃん、だっけ。ちょっといいか?」
少し入りづらい雰囲気だったけど、俺は優華に話しかけてみた。
「は、はい」
「もしかしてさ、川辺で……見た?」
「え?」
「その、ローブの絵描き」
「見ました、けど」
「優華ちゃんも見たんだ」
「先輩もですか?」
「ここにいる人は全員見てるわよ」
「怖く、ありませんでした?」
「最初は怖かったかな」
「みんなみんな。この子に話してあげないかな? ローブの絵描きの話」
「いいですよ」

 ……。

「じゃあ、先輩方はローブの絵描きと出会って……絵をまた描くことにしたんですか?」
「ああ。俺は三年のブランクがあったから思うようにいかないけど」
「ちなみに僕は違うよ。元々絵は苦手だったし」
「ねえ、優華ちゃん。今度、川辺に行ってみない?」
「そんな無理強いしない方がいいんじゃないか?」
「そうだよ、啓一君の言う通り。なんていうか、こう言っちゃなんだけど……私達は気持ちの問題だったんだし」
「利き手が使えなくても……」
「ん、なに? 優華ちゃん」
「先生。利き手がなくても、絵って描けるものですか?」
「優華ちゃん?」
「利き手じゃない方を使えば、描けますか?」

 智明先生に詰め寄り、先ほどとは別人にも思える強い眼差しの優華。
 これが前を向くって事なのかな。

「そうね。練習すれば、それなりにできるとは思うけど」
「……!」
「私、やります! ずっと左利きだったけど、今からならまだ直せますよね!」
「瑞樹先輩」
「何?」
「どうやら、気持ちの問題みたいですよ」
「そ、そうね。力強い後輩だなー。ね、達也君」
「本当ですね」
「じゃあ、決まり。今日の放課後にでも川辺行ってみようか?」
「ハイ!」

 掲げられた右腕は、その返事とは裏腹に弱々しく上がっていた。
 これから厳しいリハビリになると思う。
 普通の生活ならまだしも、絵を描けるまでにするのは相当に苦労がいるだろう。

「そうだ、啓一君」
「なんですか?」
「前に離した勧誘の件、美術部に入ってもらったのはいいんだけど、コンクールに出してみる?」
「今盛夏祭に向けて描いてる真っ最中ですよ」
「というか、コンクールの締め切りっていつですか」
「一ヶ月もないかな」
「えー」
「啓一君なら大丈夫だって」
「そうそう。二、三日徹夜したって仕上げるし」
「お前ら他人ごとだと思って……でも、俺もリハビリしないといけないしな」
「無理はしないでね」
「どうしろってんだ」
「ふふふ」
「あ、先生」
「何?」
「父さんの部屋に照義さんの絵があったんですけど」
「あら、そうなんだ」
「えっ、照義って……森川照義先生ですか!?」
「優華ちゃんは知っているの?」
「知ってるも何も、照義先生の絵を見て絵描きになろうって思ったんですよ!」
「まあ。ふふ、ありがと」
「ありがと……? あれ、智明先生の苗字って確か」
「森川よ?」
「えっ!?」
「瑞樹ちゃんは知らなかったっけ。私の夫だったのよ」
「は、初耳です」
「え、榎本先輩! 川辺の帰りに、私も寄っていいですか!?」
「い、いいぞ」
「啓一君が私以外の女の子を家に上げようとしてる!?」
「あーもう! だったら、美鳥も来い!」
「わーい!」
「照義さんの絵か。見てみたいな。私もいいかな?」
「あ、僕も行く」

 随分押し掛けてくるな……まあ片付けるついでだし、いいか。

「じゃあ川辺の帰りに寄ろう」
「私は明音を迎えに行ってからでいいかな?」
「わかりました、お待ちしています」
「ふふ、楽しみ」
「そういえば啓一君。お父さんに絵、描いてあげないの?」
「墓参りに持って行くやつか? ……適当に、花束を描いてみた」
「あとで見せてくれるかな?」
「へいへい」

 白い、白紙のキャンパスの中には……。
 そこには、何もないって意味じゃない。
 白紙なだけ、自由に描けるという意味なんじゃないだろうか。
 これから訪れる未来が白紙のように。
 ローブの絵描きが見せたの幻の絵や未来の色を、人生と言う名のキャンパスに描いて行ける。
 俺達の未来は白紙な分だけ可能性があるって言う事なんだと信じたい。
 そう想っていいんだよな。なぁ、美樹。

太刀河ユイ
この作品の作者

太刀河ユイ

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