そのけやき通りでは毎月第二土曜日に骨董市が開かれている。
梅雨はまだ明けていなかったが、ちょうどその日は曇りだった。
冷やかし半分で市をふらついていたとき、ぼくはその湯飲み茶碗に出会う。
おそらく常連であろう骨董屋が出しているその一角には、
古い薬のガラス瓶やらすすけた火鉢やらが所狭しと置かれていた。
陶磁器がどちらかというと少なく余計にその湯飲みが目に入ったのかもしれない。

「それちょっといいですか」
「え、あこれ。これね、売りもんじゃないんですよ」
「え」
「そう。そういう風にして、置いてあるもんなんですがね」
「そうなんですか。でもちょっと見せてください」
「お、あんたこれに触ってみたいと思うのかい」
「駄目ですか」
「いや、そういう客は案外珍しかったのでね。これ。興味あるの」
「ありますね。理由はないんですけど。ただ、ちょっと見てみたいんですよ」

その店の男はジロリとぼくを一瞥し、黙って湯飲みを手渡した。

何の変哲もない。
普通の湯飲みだ。
普通すぎて、買い手がないのか。

「ねえ、これをもし買うとしたらいくらするんです」
「あんたこれが欲しいのかい」
「なんだか欲しくなりました。わけはないです。ただ欲しいんです」

男は弱りきった顔をする。

「まいったなあ。まあ、いつかそういうことになるために、ここにこうして置いていたのだから、仕様がないんだな、きっと」
「何か問題あるんですか」
「いや、全く問題ない。むしろありがたいことなんだけれど、この湯飲みは特殊なんだよ」
「特殊」
「そう。いいかい、これは本当のことなんだ。馬鹿にして、勝手なことしないでおくれよ。
この湯飲みはね、あるからくりがある。これで何かを飲んだ人間は、その人生が二つに分かれる。
寿命がね、かわってしまうんだ。成長のスピードが。
その人間の体質によって、どちらかになる。
ひとつは、一時間が一年と同じことになる。
つまり一日生きたら24年生きたということになるんだ。どんどん老いていく。
もうひとつは、一年が、一時間とおなじことになる。
つまり10年経ったって10時間ほど過ごしたことと変わりない。100年で100時間。こりゃあ長寿だ。
なあ、へんな湯飲みだろう。
お前それでもこれが欲しいのか」
「そんなことあるわけないだろう」
「信じるも信じないも、俺は責任取れない。ただこういうものっていうのは、結局手に取るべき人間のところに自然と流れていくもんだ。
もしその人間がお前なら、どうしたってお前の手に渡るほかないんだろうね」
「…」
「どうする」

ぼくはそれを受け取った。
お代はいらないよ。そういうものだからと、その男は言った。

ぼくはもうすぐ43になる。
仕事はない。結婚もしていない。彼女もいない。
親が金持ちだから、その必要がない。
ぼくは才能にあふれている。
ただ、認められないだけ。
ぼくはやりたいことすべてをやり終えた気がする。
寿命なんて興味がない。
ぼくのところにこの湯飲みが来たって。
なんだそれは。
ぼくはただ、こうするだけだ。


家に帰ってそれを新聞紙に包んで袋に入れ、かなづちでめちゃくちゃに殴った。
粉々に割ったあと、庭に埋めた。
ぼくは久しぶりに晴れやかな気分になった。

このかなづちで割るはずだったぼくの両親の頭は、今日もにこやかにぼくにおはようと挨拶をする。
ぼくはかなづちはもういいやと思った。手がまだジンジンとしびれている。

「おはよう。ねえ、ぼく働きたいんだ。そこのコンビニで夜間アルバイト募集してる。やってもいいかな」

両親は泣き崩れた。

「おまえ、おまえ、うん。いってらっしゃい。
おまえのことを応援しているよ。
私たちはおまえよりも先に死んでしまうことは確かなの。
おまえがそうして、何かを見つけてくれることが本当にうれしい。
うん。いってらっしゃい」

湯飲みは土の中。
だけどもぼくはリアルに寿命を感じ始めている。
きっと長くもなく、短くもない。
死ぬまで、生きるだけって事を。


その日、長かった梅雨が明けた。

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