【#001】灰色の伝説は、ここから始まる。

 
 何千。何万。と突き刺さった剣や無残に壊れた盾の数だけこの大地で命を賭けて戦った勇者たちの証。
 灰色の骨と化した亡き勇者たちを踏み潰して、灰色の大地を今日も人間たちは進軍してくる魔物たちを討つために戦場の最前線で防壁を作り始めていた。


 地下一万四千四百メートルに存在する地獄と西の大地を支配する魔王は、人間たちの魂を集めるために崩れたブサイクな顔をした悪鬼ゴブリンその数五千を率いて邪悪な黒い瘴気が湧く「虚ろな森」の木々を薙ぎ倒して陣取っている。
 人間という種族がどれほど脆弱な者かを知っていた魔王は、人間軍十万に対して片手斧を二つ装備するだけで防具の必要ない裸同然の魔物で問題ないと踏んでいた。
 その戦略は半分正解だった。
 僅か三日で四万を削ったものの。
 矢張り魔物最底辺。ゴブリンが半分になったのは誤算に他ならなかった。
 計算上は三日で完全支配を果たす予定を狂わされた魔王は、戦略兵器と呼称される悪魔を召喚した。
 その名もルシファー。
 自分の跡目を継ぐ次代の魔王を残り半数となったゴブリンを自らの手で虐殺し、二千五百の魔物の魂と一万の魔力を魔法陣に捧げた魔王は、地獄よりもさらに深淵の世界とされる煉獄に接続したのだ。

 青紫に輝く粒子が魔法陣から勢いよく噴き出す。
 真っ赤な人間の血液に似る、煉獄の炎の熱が黒い瘴気を無に還しいく。
 赤橙の火粉が渦を巻いて天を衝く劫火は「虚ろな森」中心部に築かれた陣地を焼き払い、魔法陣は弾け飛んだ。
 白煙と黒煙が入り混じる中から現れたのは、魔導士が好んで着る真っ黒なローブに身を包んだ人間。
 しかし灰色の肌と魔物特有の赤い瞳を持つ容姿をする者が、人間であるはずがない。
 あまりにも細い腕よりも下の手と足には指が四本。
 爪は分厚く牙のように硬そうに見える尖った先端。
 餓鬼。食事を摂取していないのか痩せ細った肉体にあるのは、浮き出た骨の各部位があちこちから飛び出ている。
 西洋の人間のようなイケメンな顔立ちをしているが、鼻よりも下部の肌は細胞自体が死に絶えたようにグチャグチャ。
 そんな人物を目の当たりにした魔王が開口一番に久々の再会を果たした親子の会話とは思えない一言を放った。

「殺してこい」

 二千年もの戦いの中で囚われの身となった息子ルシファーに魔王は、別段と興味を示すことはなかった。
 それは彼が自分の血縁者ではないからだ。
 主なる神の創造物でありながら、高慢や嫉妬がために神に反逆し天界を追放された天使だからだ。
 天使一体が神器を用いる力は六王の兵力を半分に出来る程厄介な敵。
 そんな敵に興味を示すなど言語道断。
 だが、今はそんな事を言っている場合ではなくなっていた。
 戦いの審判が下されない終わりのない戦争で六王の力が衰え始めていたのだ。
 毎日。毎日。毎日。人間という下等種族をキツネ狩りのように殺し続けてきた。
 奴隷として肉体を調教し。
 解体し飢えを宿した状態で殺し。
 放置した遺体を魔物たちの餌にしてきた。
 この時間の中で飽きた六王たちは、六王同士で争う内に消耗した兵力と同等に己の寿命を知った日。
 魔王は堕天使である彼に託したのだ。
 人間ごときが「王の力」を持つなどあってはならない。という考えの基、寿命が尽きる前に『覇王を殺せ』と命令を出した。

 その命令に対してルシファーは、合否の判定を迷うことなく口にした。
 ただ、彼が受け取ったのは別の意味合い。
 地獄よりも深淵の世界で千年以上囚われていた彼は、魔王を父親とは認識していない。
 父親は何千年経とうと忘れることのない神だけ。

「……承知」

 当然の如く彼は地上に復活できた喜びに飢えるあまり、目の前の邪魔な肉壁に一閃を叩きつけた。
 透き通った刃は一瞬で灰色の大地を真っ二つに切り裂いて、谷が出来たかと思えば魔王の身体も半分になっていた。
 切断面から溢れる黒い血液と今まで集めてきた人間の魂が抜けていく。
 ルシファーは小さな力で黒い血液だけを浮かせ飲み干して肉体を復活させた。
 抜けていく人間の魂を吸い込んで、兆速再生能力を宿したルシファーは魔力を消費して崩れていた肉体や顔を修復。

 悪鬼ゴブリンのようにマナーのなっていない食べ方で魔王の肉を。
 臓器を。骨までも。喰らい尽したルシファーは完全復活を果たし二代目魔王となった歴史的瞬間の時。
 人間の少年が歴史的瞬間を偶然見てしまった時。
 覇王が自ら単身で「虚ろな森」に出兵しようと考えた時。
 覇王の娘が神からのお告げを聞いて、父親に相談しようとした時。
 戦場の最前線で人間たちが防壁を完成した時。
 何処かの領地の地下で泣き続ける息子と娘をなだめる母親が、六王が従える魔物に殺されようとした時。
 飢えた人間が無限に湧き出る泉を幻に見た時。
 大雨で川が氾濫した矢先。
 トカゲがハエを捉えようとした瞬間。
 新しい命がこの世界に誕生しようとした時。
 世界は真っ白な光に覆われ、天から八本の光の槍が放たれた。

 大気を永久に固定するように零下の気温が大地に降り注いだ。
 天から滴る雨粒。
 氾濫する川。
 風に吹かれ揺れる動植物の葉や毛。
 石英を加工した建物や神殿。
 王宮に住まう人間。
 戦場を闊歩する魔物たち。
 剣を振るう屈強な戦士たち。
 自分の領地で人間と魔物をいたぶる六王たちですら無力。
 大地まで零下の刃が下った時、地表から気温と時間を奪いながら地下へと浸透。
 土の中で生きるまだ見ぬ生物たちの時間さえも止めて、六王が支配する世界「イグザリア」は一度死んだ。

 すべてが凍結した世界を一人の少年が歩いていた。
 衣服のすべてが神器として祀られた白い衣を羽織り、生命の樹から作られた杖を握る少年。
 神から託された力で自分の願いを叶えるために、それぞれの領地の地下に祠を築き六王を封印していった。
 残された僅かな力で同種である人間たちにメッセージを遺した。
 少年は、地上で凍結した魔物たちの魂を生命の樹から作られた杖に集めて凍てついた空気と鉛色の空を吹き飛ばした。
 太陽の光が何千年ぶりだろうか…、世界を照らしいく。
 溶けていく零下の地表。
 動植物を覆った氷も薄れ、雫が滴り始めた時だった。
 神から託された力を入れていた器になにも残っていない。と少年は気付いた。
 ユラユラと身体を揺れながらも目的地に辿り着いた。
 かつて自分が生まれた村の教会に足を踏み込んだ途端、力が一気に抜けて古びた木板の床に倒れ込む。
 最後の力を振り絞って、腕の力だけでほふく前進するとベニヤ板で作られた薄い教壇に背を預ける。

「…はあ、はあ、叶ったよ」

 少年は上を見た。
 崩れかけたステンドグラスに写る十字架を持つ教皇を見詰め、杖を強く握る。
 自分自身の魔力を杖に注ぎ込み、最期の魔法を床に放った。

「ありがとう、神さま。
ありがとう、みんな。そして、さようなら」

 少年は瞼を閉じて、走馬灯のように自分の生きた人生を脳内で再生していく。
 生を受けたあの日のこと。
 父と母を殺した悪鬼ゴブリンを五歳の時に対峙したこと。
 友人が次々殺されていく中、自分の中で目覚めた一つの才能。
 魔物を狩り尽していく途中で覇王の娘との奇跡的な出逢いがあったこと。
 彼女から魔法の使い方を教わり、六王と渡り合える力と仲間が切り開いてくれた道。
 最前線の戦場を歩く中で倒れていく仲間たちのこと。
 冥王との一騎打ちで右腕を失うものの瀕死の傷を負わせ、霊王との取引を完遂したこと。
 霊王の力を得て天界へと進み、神との謁見に成功したこと。
 自分の魂と引き換えに巨大な神から託された力を器に貯めたまま、天界から天使たちが八つの光の槍を発射したこと。
 時間が止まった世界で、六王を封印するという壮大な人生を少年は笑って最期を迎える。

 床に放たれた魔法の光は、教会ごと包んで跡形もなく消失した。
 ガラスや建物の残骸などなく、地表には少年が握っていた杖だけが転がっていた。

 地上で凍結していた魔物たちが粉々に壊れていく中で人々はこの時、この大きな時代の始まりに皆が新しい産声を上げた。
 「創歴」と後の人間が口ずさむだろう。
 この世界から本当の意味で闇が消え、何時しか訪れる「平和」を掲げる国の誕生という夢彼等は見たのだ。


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 それから。
 さらに二千年の時を越えて…。
 少年が解き放った魔法が発動する。
 新しい闇が生まれる「虚ろな森」から、赤黒い粒子と共にひとりの青年が魔法陣から召喚された。
 森の中でも町の中でも目立つ白銀の髪をした東洋の顔立ちをしたイケメン。
 細い容姿はしているものの鍛えられた肉体は鋼の如く堅い。
 きめ細かい肌と顔だけで、女性は釣られてしまうだろうが、二つの異なる瞳の色がそれを避けてしまうだろう。
 一点の曇りもない澄み切った青空広がる青い人間色の瞳は遺伝的にも莫大な魔力を宿すと言われている。
 その一方で、もう片方の目には別の色があった。
 魔物にしか現れない人間を殺すための真っ赤に染まった異形な瞳を持った青年。
 緑豊かな木々の隙間から照らされる太陽の光を片手で遮った。

「明るいな、地上は」

 開口一番にした言葉は小鳥の囀りで掻き消されてしまった。
 でも、そんなことはどうでも良かった。
 何千年ぶりに浴びたかも忘れていた陽光を肌で感じることが出来ただけで満足していたからだ。
 明るさに目を慣らした青年は、当てもなく出禁領地とされる「虚ろな森」を歩いていく。
 小鳥たちが囀る音を脳内でひとつの音楽に変換させ、口笛を吹きながら歩く途中に出会った悪鬼ゴブリン。
 出会ったゴブリンはほぼ全裸に近い格好。
 溝色の布きれで下腹部から膝までを覆っているだけ。
 手には人間を殺すためだけに作られた十分な大きさを持つ片手斧が握られていた。

 林からガサガサ。と出てきた青年に気付くと、尖った耳をピクリと反応させて、バッと反射的に振り向く三つの顔。
 一番距離の近いゴブリンは、反復横跳びな足の動きで片手斧の刃を上部まで持ち上げた状態で迫って来ていた。
 一般人なら今頃逃げ出すのが関の山だろう。
 しかし青年は臆することなく待っていた。
 何のモーションもなく、ただジッ…と堪えるように待っていた。
 距離五メートル。
 振り下ろせば確実に刃が身体に傷を負わせることが可能な位置。
 そこから青年が取った行動はなんの変哲もないただの正拳突き。
 体内に貯蔵していた魔力。数にしてコンマ一を拳に付与した正拳突きを放つ。
 片手斧の刃を意図も簡単に壊しゴブリンの頬に減り込んだ。
 後ろから迫ってくる他二体のゴブリンを巻き込んで盛大に吹き飛んでいく。
 直接攻撃を受けたゴブリンと間接的に巻き添えを喰らってしまったゴブリンは、木に頭部をぶつけて気絶していた。
 中間の位置にいたゴブリンは、かすり傷だけで済んだようで気絶した同胞を押しのけて奇声を上げる。

「ギャガガガガガ―――!!」

 口から黒い瘴気を吐きながら、身軽な動きに全速力で青年に向かって来る。
 距離十メートルから地面を片足で蹴って、跳びかかろうとするゴブリン。
 青年はあっさりと左へ躱し常人にも低級な魔物の目にも見えない速度で、下から上へと手刀が首を刎ねる。
 首筋を日本刀で切ったように切断して致命傷を与えた青年は、ゴブリンが身に着けていた物を拝借する。
 溝色の布きれと折れていない片手斧だ。
 魔物の体臭というのは、ツーンとくるものがあるために近くの川で洗い流した。
 濡れた状態のまま、全身隠すように着こなした。

「まだ、臭い」

 ゴブリンの体臭は、汗だくな皮膚にこびり付いた垢を洗い落とすこともなく十年以上に渡って過ごした様な激臭。
 手洗いした程度では落ちなかったようだ。
 最初から溝みたいな色だったのか気になる青年は、森を歩く中ずっと考え込むのであった。
 陽の光が木々の隙間から差し込む光量が多くなったことで森の出口が近いのだろう。と思う青年。
 青白い林を抜けたところで、茶色の土が剥きだしの視るからに整理された一本の横線は道だった。
 漸く森を抜けたとホッと溜め息をつくのも束の間。
 視るからに兵士です。といった感じの装備をした人間四人に囲まれていた。

「ここは出禁領地であるぞ」

 イグザリア創歴二千年。
 「虚ろな森」に召喚された青年。
 名はギゼン。
 悪鬼ゴブリンから拝借した片手斧を下段で構えて、左の真っ赤に染まった瞳の色をオレンジ色に染め変える。

「へぇー、そうかい」

 これから始まるであろう。自分との戦いに。
 約束を守れなかった仲間たちとの再会に。
 希望の光を未だに待ち続ける難民に。
 現六王と幻獣。
 魔物との決着をつけるべくギゼンは、目の前で剣を抜く兵士に挑戦的な態度で片手斧の刃を地面に擦りつける。

 出禁領地「虚ろな森」管理国ヘイブン。
 かつての時代。
 六王の一人として世界を支配しようとした覇王が、建国した地で四人の兵士。
 ヘイブンの見回り組の衛兵たちは、予期せぬ攻撃によって意識が飛んでそのまま地面に倒れ込んでしまっていた。
 擦れ行く視界の中でひとりの衛兵が見たのは、青年の片方の目から具象化された橙色の炎。
 それは六王のひとり焔王の出す「煉獄炎」またの名を「浄化の炎」に非常によく似ていたのだった。
 急激な疲労感に襲われた衛兵は、地面に転がった砂利をグッと力を入れて摘むもののそのまま意識が飛んでしまった。

 衛兵が装備していた軽装鎧の胸辺りに身に覚えのある刻印から目的地を決める。
 ギゼンは、ゴブリンと同じように装備品を拝借した。
 一旦、ゴブリンから拝借した布きれと片手斧を地面に置く。
 衛兵が装備していた着脱式鉄製のプレートアーマーを胴部に着脱式軽量装甲の防具をそれぞれの部位に装備した。
 お腹周りだけ重い。
 非常にアンバランスでカッコ悪い装備に加えて先程まで着ていたゴブリンの布きれで全身を隠した。
 ギゼンは整理された道を歩き出した。

「さて、行こうか。懐かしのヘイブンに」

三鷹キシュン
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三鷹キシュン

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