地球が生まれた日をお正月と仮定すると、人類誕生したのは、もの凄く短く1日にも満たない歴史だ、そんななかで発展したのが凄いというべきか、それとも環境破壊まで追い込んだ業を悔いるべきかなんて話がある。
世界が100人の村だったら何人は、貧困で差別をうけ、お金を儲けている人が何人という話もあるが、自分にはどうもこれらの話がピンとこない。
こう、地球とか世界が壮大なくせに、カレンダーとか村とか身近でいて、実際はそんなに身近じゃないと感じてしまうからピンとこないのだろう。
しかし、ピンとこないからといって、その考え方を分からないと放置してしまうのはどうだろと思う。
僕なりに新しいものを考えて見るべきだろう。
僕の周りを、それこそ世界を見てみるべきだろう。
自分の身近といえば、牛丼だろうか。
目に映ったものが牛丼屋の店舗なので、牛丼で考えてみるとする。
そして、地球、世界と大規模だが、生憎とそんなに世界に触れていない、僕にとっての世界とは学校である、学校で考えていくことにしよう。
学校がもし1杯の牛丼だったら、まず学校そのものは器、そう丼である。
帰宅部員で、なんの趣味も夢ももたない、ごくごく一般的な5割の生徒はご飯として過ごしていく。
周りを見回しても、自分と同じような人で安心している事が特徴だろう。
学級委員や、部活動のエース、人気者の先生、学年主任など2割の自己主張の強い肉が、その生徒達の上に乗っかり、学校としての存在感をしめすように乗っかってくる、たまねぎがある。
そして、それとなく、ひっそりと存在をしめすように、そしてこっそりとご飯の生徒達の上に立つのが、その他の先生と部活動に入っている生徒達だ。
肉に存在感をゆずりながらも、たまねぎはご飯の上にたつことで、自分達の存在をアピールしていく。
残るその他枠として、時たまはいる紅しょうがは、PTAの役員のおばさん達だろう。
ときたま牛丼に入ってきては、サポートしているのかは分からないが、異様な存在感をしめし、時には主役である肉を押しのけてしまう。
転入生は卵だろうか。
生卵、半熟そのどちらであるのか、また馴染むのか、それとも馴染まないのか、そして転入生がこない時期もある。
投入後すぐは上で存在感をはなちつつも、時間がたつにつれ、ご飯の生徒と仲良くなり、その後は目立たなくなるように、ご飯と一緒に丼の中で過ごしていくことも多くなっていく。
牛肉、たまねぎ、紅しょうが、卵と存在感という味が、徐々にごはんである生徒にしみこんでいき、最後に、ごはんは旨みをまし輝き、最後には主役となって卒業していく。
これが僕の考えた。
もし、学校が一杯の牛丼だったらである。
まぁ時たま丼に張り付いて、卒業できないご飯たちもいる。
ミラクリエ トップ作品閲覧・電子出版・販売・会員メニュー