バスケットボールの弾む音と床にシューズの底がこすれてたてる鋭い音が体育館に響く。
チーム内で声をかけ合うかったるそうな声が合間にとびかっていた。

「パス回せー」
「今、シュートうてよ」
「あ、やべ入らねー」

 試合に入ってない男子たちは壁ぎわでだらだらとしゃべっている。

「やっぱ4組では夜沢が一番かわいいよな」
「あーそれな」
「ケバい感じもないし、黒髪でストレートってのがたまんねーし」
「お前、実はオカズにしてんだろ」
「やめろってそういうの」

男子たちの注目を一身に浴びているのは夜沢唯花だ。
身長は高すぎず低すぎず。やせすぎというほどではなく、形のいい手足が体操服からすらりと伸びている。そして、ロングの黒髪ストレート、という髪形が男子にはポイントが高いのだ。

コートを半分ずつ使う授業は互いにきゅうくつものだが、女子たちはあからさまにこちらに迷惑そうな視線を向ける。
まして、夜沢を眺めている男子には汚いものを見るような目つきで睨む女子もいる。

 彼女は男子だけでなく女子の間でも人気があるらしい。黙っていればおとなしそうな美少女なのに、話せば親しみやすい性格なのが男女ともに人気があるようだ。

 女子たちの視線がキツイのは無理もない。
 晴天ならぼくたちの方が校庭でサッカーの予定だったのだけれど、朝からの激しい雨で早々に予定変更していたのだ。サッカーをしたかった連中は露骨にやる気をなくして女子の品定めに夢中になっている。
 
 背中までのストレートヘアを今は一つにまとめて、バレーに集中している。チームの女子が男子からの視線を遮るように動いたのは気のせいだろうか。

「なー田所もイイと思うだろ?」

 同級生のひとりが何故かぼくにも同意を求めてくる。
 なんでだ、別に会話に混ざりたい訳じゃないからほっといてくれていいのに。

「うん、確かに可愛いよね」
「オトコいるのかな。聞いたことねぇ?」
「どうだろ、さすがに知らないな」

 当たり障りなく答えると、彼はまた別のクラスメイトに話しかけ始めた。

 確かに夜沢はかわいいとは思うけれど、ぼくは積極的に関わりたいとは思わない。

 それは、高嶺の花だからとか興味がないからとかではなく、もっと本能的な理由でだ。

 ふつうの人間じゃ、まず気づかないんだよな。ただ問題はあの子自身も自分のことに気づいてるのかどうか。

 ピー。

 バスケットの方で終了のホイッスルが鳴った。ゴール内にいた男子たちの動きがとまる。

 と。その時。

 みしみし、と上から音がした。かすかな音ではなく、中にいた全員がぎょっとして見上げるくらいには大きく響いた。

 崩れてくる?

 見上げた瞬間ぼくは危険を察知した。
 天井にはくもの巣のような亀裂が大きく広がっていた。ぱらぱらと細かい粒が降ってくる。

「危ない!」

 ぼくが叫びかけたのと、ものすごい音量と共に天井が落ちてきたのはほぼ同時だった。逃げる間なんてなかった。

これは先生たちを責めるのは酷だと思う。
どうにもできない状況というのは、あるのだ。まさか授業中に遭遇するとは思わなかったけど。

 あとは、悲鳴。
 それもすぐに天井のボードが落ちてくる音にかき消された。

 がん。

「う……そだろ」

 頭に強い衝撃を受けてぼくは膝をついた。首筋にぬるりとしたものが流れる。どうにもヤバいところから出血しているみたいだ。

 目から星が飛ぶ、というのはこういう感じなのだな、とのんきなことを考えながら、意識が遠のいていった。





 こういう時に目が覚める時の感覚っていうのは一種異様で、うまく説明しにくいんだけど、朝起きるのとはまったく違う。

 まず、死ぬ前にけがをしていたところは未だにものすごく痛い。傷がふさがっていくんだから収まってくれてもいいようなものだけど、この辺りはこっちの思うようにならないみたいだ。
 それでもって、身体じゅうがぎしぎしときしむように痛い。これはけがの有無に関係ない。

 目覚めとしては本当、最悪だ。

 おまけに今回は天井板が何枚か上に乗っかっていた。それをどけてのろのろと起きあがる。

「マジで最悪……いってぇ」

 どれくらい経ったんだろう。そう長い時間ではないはずなんだけど。体育館の外で人の声がしている。中にはとても入れないだろうから、きっと入り口で騒いでいるんだろう。まだ救急車のサイレンは聞こえない。

「どうしよ、とりあえずバックれるか」

 この状況で無傷でいると後の説明が面倒だ。
 周りはがれきが散乱していてひどい有りさまだ。当然動く者など誰もいないと思っていたのだが、バレーコートの方に立っている人影がいた。
 その人物はかなり動揺しているようだった。

「やだ、どうなってるの? えりちゃん、藍ちゃん?」
「あ、やっぱり」

 口もとをおさえて友だちを呼んでいるのは夜沢唯花だった。彼女の正体を知っているから別に驚かない。

「夜沢さん」

 歩いていくのもかったるくてその場から呼びかけると、彼女はぱっと表情を明るくした。

 あれ、なんだこの反応は。

「田所くん! 無事だったの? 何でいきなりこんなこと……それに、私どこもけがしてないの、変じゃない?」

「あのさ、もしかしてきみ、自分の正体知らないの?」

「何のこと?」

 そうなのか。何か妙だとは思ってたけど。

がれきを踏みしめて彼女へ近づいていく。時々ぐにゃりと柔らかいものを踏んでしまうが、この下に同級生たちがいることは、今は考えないことにした。

 結んでいた髪はほどけて、ほこりにまみれて乱れているけれど、彼女の美貌はさらに凄みを増している。
 青ざめてぼくを見る彼女の目を見て、ゆっくり口を開く。

「きみ、ヴァンパイアなんだけど、自覚ない?」
「え?」

 甲高い彼女の声ががらんとした体育館に響きわたった。

 なんだろう、色々面倒なことになりそうだ。ついでに、救急車のサイレンが近づいてきていることにも気づいた。
夜沢の手をとって引っ張る。

「しょうがない、とりあえずここから出よ。説明めんどくさいから後でね」
「あの、田所くん?」
「言っとくけど変な気は起こさない方がいいよ。ぼくはダンピールなんだ。ヒトとヴァンパイアのハーフで、ヴァンパイアを殺せる能力がある。でも今きみを殺したくはないからさ、まずは歩いてよ。歩けるでしょ」

 足場が悪いから歩きにくいことこの上ない。
先生たちや警察が来る前に裏から出ればどうにかなるだろう。

息を切らせながらついてくる夜沢の手は氷のように冷たい。人間のちょっと手が冷たいってレベルじゃないんだけど、今までよく誰にも気づかれなかったな。

 裏口から出ると雨はまだ激しく降っている。傘なんか取りに行っていられないし、ここは我慢して濡れていくか、と覚悟を決めると、ぐい、と腕を引かれた。

「田所くん、いったい何がどうなってるの?」

 口調は戸惑っているようだし声もか細い。だが夜沢の目は真っ赤に染まり、開いた唇からは鋭い犬歯が伸びていた。
そして迷うことなくぼくの首筋を狙っている。

「……おいおい」

 本性を現しているのは無自覚なのか、知らないふりをしていたのが演技なのか。

 定かではないけど、ここは戦うしかない、かな?

神崎 黎
この作品の作者

神崎 黎

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