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「……好きだ、志津摩君」
第二会議室。それは談話部の部室だ。室内には長机がコの字の形に並べられ、その外側にはパイプ椅子が配置されている。奥の席は部長の席であり、背後にはホワイトボートが置かれている。その後ろはアルミサッシの窓だ。入り口から見て左の席が俺の席。その左後ろの隅には掃除用具入れが据えられている。
その、自分の席で、俺は解離状態になっていた。言い換えると、夢中になって読書していたわけである。研ぎ澄まされた集中力で活字を吸収していき、どれだけ時間が経ったかもわからなくなり、悟りも開けそうな境地を保っていた時、それは起こった。ボソッと、奥の席から雑音が聞こえたのだ。それにより俺の解離状態は解かれてしまい、うんざりと意気消沈のダブルパンチが胸を打った。
「はぁ。そうですか……」
俺は十二分に溜めたため息を吐いて相槌を打ち、さらに言った。
「今読書中なんで黙っててくれませんか?」
と。
が。
「それはいやだ!」
プイッ!
顔を背けられた。駄々をこねる子供のように。図らずも、「はあ?」と言いそうになった。しかしなんとかこらえ、その代わりに精神性の頭痛に襲われた。
突然の頭痛に顔をしかめ耐えていると、
「思ったんだが、話に乗らないのはだめだ。部活動だからな」
悪びれもせず平然と言う。アンダーリムの眼鏡を指で整え、ポニテを揺らしながら。ぽに。
そう、これは部活だ。俺が部員である以上、活動に参加しないわけにはいかない。わけにはいかないが、……それはいやだってなんだよ。
俺は貧乏揺すりをなんとか自制して言った。
「わかりましたよ……」
渋々本を読み止して鞄にしまう。部長でなければ命令されても聞かないが、この人は部長なのだ、マジで。
「じゃあ……どこが好きなんです?」
「それは、かわいいところとか……」
なぜそこで恥ずかしがりだすのか理解不能。なぜそこで人差し指をツンツンしだすのかも理解不能。わっけわからんぬ。
「そうですか。そんなに好きですか」
俺が言うと、部長は急に恍惚とした表情をし。
「……結婚したい」
「ぶっ!」
吹き出した。
それを見た部長はいやそうな顔をし、
「志津摩君きたないゲソ……」
「すみません、つい……」
ってなんで謝ってんだ。悪いの部長だろ、と気を取り直し、
「それよりも部長」
溜めてから言う。
「ふざけるのもいい加減にしてください」
と。すると急に視線を合わせてきて、
「本気だ」
かっと眦を決した。……ま、マジすか。目、ギラギラしてて怖いんですけど。でもそれはあれでしょ? 俺と本気で結婚したいって意味じゃなくて、本気でふざけてるって意味でしょ? だまされないよ、俺。
俺は機を取り直して言った。
「そんなことできませんよ」
俺まだ十六だし。たとえ部長が度を超えたドドドド変人でも、法律には勝てない。勝とうとして無理をすれば、それは犯罪だ。そういうオオカミさんみたいなことはしないでほしい。お願いだから。
「まあまあ! おばあさん、そのお口はどうしたの? この前来た時はそんなお口じゃなかったと思うのだけれど……。え、あ!」
パクリ。現実ではね、猟師さんが都合よく通りかかったりしないのよ。
それをわかってだろう、部長は目力を弱め、肩をすくめて言った。
「それは仕方ないさ。とりあえず今は、同棲から始めるしかない」
そうそう、それくらいで妥協しないとね。えらいえらい。頭ナデナデしてあげるねー。――ってなに言ってんだこの人!?
「いやいや同棲って……」
怯みつつも、絶対の自身をもって言い返した。
「それこそ無理でしょう」
しかし部長は顔色一つ変えずに、
「そんなことはない。今日からでもオーケーなくらいだ」
そななななんて大胆な……。もしかして部長そういう人? あれか、肉食系とかいうやつですか? ティラノさん?
「な、なんで……」
真意を測りかねて疑問を口にした。すると、部長は急にもじもじし始め、
「だって、朝起きた時横にいると嬉しいから……」
横!? ベッドイン!? まさかのダブルベッド!? てかいきなりそこまでの関係!?
図らずも疑念が口をついて出た。
「そ、それは一体どういう……」
なんでこの人こんながつがつしてんの? 猫なの? 発情期なの?
とたじろいでいたらあらぬところを見つめ、
「ああ、抱きしめたい……」
うっとりした表情で両手を広げる。聞いてないこの人。
俺は窺うように訊いた。
「あの……部長?」
そうしたら目を瞑り、
「ちゅっ」
なんか飛んできたああああああああああ! おいおいまずいってこれ! 俺、お持ち帰りされちゃうよ!? テイクアウトされてそのままパクリ、ってされちゃうよ!? ……だ、だめだだめだ。まだ知り合って間もないのにそんなただれた関係なんて。お父さんゆるさないからね! そんなこと!
「部長!」
机を叩いて声を荒げると、部長はおちょぼ口のまま首を傾げ、
「ちゅ?」
ちゅ? じゃねえよ。入部早々、部長に雌○疑惑が立ち始めてるよ? どうすんだこれ。
呆れのあまり、項垂れながら言った。
「部長の方が人の話聞いてないじゃないですか……」
すると、部長は忘れていた我を思い出したようにはっとして、
「ほんとだな。すまない……」
おもむろにアヒル口を戻す。
「私としたことが何たることだ」
部長はようやく――いや、ようやっと――違うな、やっとこさ――これだな、落ち着いてくれたようで、拳を口の前にやって喉を鳴らした。そこで俺は話の転換を図ることにした。
「まあ、それはいいですから、とりあえず自己紹介でもしませんか? 趣味とかわかれば話しやすくなるかもしれませんし」
「はーい☆」
幼稚園児のように元気よく手を上げて返事をする。
それを無視して言葉を継ぐ。
「じゃあ俺から」
そう言うと部長は、
「いや、部長である私からが順当というものだろう」
腕を組んで偉そうに胸を張る。
(なぜそこで意地を張り出す。意味がわからん……)
そう思い部長に負けじと、
「いえ、こういう時は目上の者を立てるという意味でも俺から」
ペースを持っていかれまいと抵抗を試みる。しかし部長は急にふんぞり返り――
「ほう。わらわを差し置いてそなたが先に? ふ、諧謔じゃのう。フフフフフフフフ」
こうなった。
俺は開いた口がさらに開いた。
そのまま話の接穂を失い魚類然としていると、
「まあそう言わず、わらわにやらせてみよ」
ゆったりと、恭しく語る部長。古式ゆかしい所作は近世日本の雲上人〈うんじょうびと〉を思わせる。しかしその物言いは居丈高だ。
俺は口をパクパクさせることしかできず。
「どうした? なぜ押し黙るのじゃ?」
戦国時代の御内室のように、背筋に物差しでも当てていそうな姿勢で話しかけてくる。
俺は気を呑まれたじろぎ、
「え、えっと……」
目を泳がせることしかできない。
(……こういう場合、なんて答えればいい? ていうかなんでいきなり姫様口調になった? わけがわからん。わけがわからなさすぎてどう対応していいかもわからん。ぐぬぬぬぬぬ……!)
退っ引きならない事態に混乱しながらも思考を巡らしていると、はっとした。
(そうか。もしかするとこれは、部活の一環なのでは……? 誰かを演じるように話すことで、相手だけでなく自分の緊張も解して話すことができる。その手本を示してくれているのでは……)
それなら俺も、一部員として部長に則らないといけないだろう。
あれこれ考えていると、部長は眉をひそめながら視線を向けてきた。
「どうしたのじゃ? さきほどから口を閉ざして」
目下の者を問い質すように鷹揚な物言いで訊いてくる。
主導権を握るどころか、あまりの変わりように圧倒されてしまったこの状況。小学校の学芸会で星と呼ばれた俺の演技、それをもって覆させてもらおう。とくと見よ! 星になった俺の実力!
「女王様! どうか、どうか私めにその役目を仰せ付けください! このとおりでございます!」
土下座。恥も外聞もかなぐり捨てた全身全霊の土下座である。とにかく押し付ける。額がごりごりいうくらいは押し付ける。そうしていたら、ふと、なんで俺は生きてるんだろう、という疑問が湧いて、思考がクリアになった。
すると女王は感心したように、
「そうかそうか。そなたの気持ちはようわかった。よし! 敵地に赴くそなたに、我が国の宝刀を授けよう」
そう言って、宝物庫から宝刀を持ち出し、両手を上げた俺に授けた。
「有難き幸せ!」
声を張り上げて感謝の意を表す。
「よし、それでは行ってまいれ!」
出口を指差して言われ、
「はっ! 彼奴の首、必ずや持ち帰りまする!」
宝刀を掲げて宣言した。女王は頷き、
「うむ、その意気や良し!」
戦に出向く兵士を鼓舞する。
その声を聞きながら振り返り、城門に向かって駆け出した。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」
我先にと城門へ向かってひた走る。
敵人を真っ先に切り裂くのは自身の剣だと信じて。
大敵を一に刺し穿つのは己の槍だと信じて。
祖国を仇敵から守るため、鯨波の声を上げる。
己が声が、輩〈ともがら〉の声と渾然一体となり、一振りの剣とならんことを祈って、天穹目掛け高く打ち上げるのだ。
命という名の声〈言の葉〉を、蒼天に向けて。
交錯する想いを胸に、鬨の声を上げたまま、獅子奮迅の勢いで城門を飛び出した。
が。
「お?」
「え?」
城門をくぐってすぐ、平民の娘、じゃなくて女子生徒と出くわした。
ふわりとした長髪の女子。大きな垂れ目をしばたたかせ、こちらを凝視している。
俺は吶喊の体勢で硬直し、宝刀を振り上げたまま。
女子は携帯を胸の高さに上げ、こちらを向いたまま。
互いに見つめ合い、しばらく固まっていると、不意に女子が、俺の持っているものに視線を移動させた。
そう、ほうきだ。紛うことなきほうき。ほうきの中のほうきであり、これより見事なほうきはないであろう真正のほうきである。手にした者は思わず宝木と字を当ててしまうという。
女子は宝木から俺の顔に視線を移し、これ以上ないくらい困っています、といった笑顔で首を傾げて言った。
「え、えーっと……?」
疑問形である。な、なにしてるの……? という意味の疑問形である。
「は、はははははははは……」
俺は凝り固まった表情筋で笑いながら後ずさりし。
次の瞬間、不意を衝くように回れ右をして、ブリキ人形のような動きで教室に戻っていった。
室内に入ると、静かに戸を閉め、目蓋を落として直立不動の姿勢……。
しかしくわっと眦を裂き――
「だああああああああああああああああああああ!」
叩きつけた。思いっきり。
案の定折れた。バキッと。
それを見ていた部長は、物にゆっくりと近づいていき、
「あ……あ……あぁ……」
世界の終末を感じさせる表情で崩折れた。そして。
「いやあああああああ! 宝刀がああああああああ!」
ブチッ!
「宝刀があああじゃないわッ! いつまでやってんだあんたッ!」
さすがに、敬語を使う余裕はなかった。