恋人や友人に何を考えているかよくわからないと言われる。
自分でもそう思う事はある。
なんでそういう考えに至ったかと言う説明と言うものがしづらいのだが、きっとそれはどこか頭か心の片隅で浮かんでは消えるはずだったものが、偶然にも鮮明に残ってしまったに違いない。
そうでなければ、こんな考えをするというのは滑稽と言うほかない。
それこそ何を考えているんだろうと思われても思ってもしょうがないという事だ。
そして最近考えてしまうのが、いくらもらえば、人を殺すことができるだろうか。
いくらもらえば、人を殺せるか。
明確な答えというものは無いに等しいが、それでも出すとするならば、
私の考えは1円である。
こんな考えは誰も賛同することはないだろう。
普通であるならば100万、いやそれこそ1000万もらって、心がようやく揺らぐ。
人生を棒にふるかもしれないとリスクとか考慮すれば、もっともらってもと考えるのが一般的かもしれないし。
悪に染まるならば、いっそのこと。
毒を食らわば皿までと言ったようなある種の気持ちが働くだろう。
だけど、私は多分1円で人を殺すと考えた。
人を殺すのにたった1円。
子供の駄賃より低いし、普通であるならば絶対にないと言いきれる。
だけどもコレには理由がある。
それこそ人生を棒にふったうえに1円では割りにあわないと考えるのが普通であるならば、依頼してきた人物に脅迫されたと言い張ることもできそうだからだ。
0円では私的な感情が会ったのではないかと疑われるかもしれない。
1円で人を殺すと言うあり得ない事を脅迫されたと言い張ることで、圧倒的弱者をよそえ情緒酌量をあわよくば、狙うことができるかもしれない。
殺して得るお金より、殺してなお人生を棒に降らない生き方を模索する様な考えだ。
もちろん、ただの思いつきである。
そうでなければ、こんな考えをするというのは滑稽というものだ。
皆が思うように1円で人を殺すなんて割りにあわないと思えるぐらいに、経済観念はあるつもりだ。
それでも、私はたまに考える。
1円で人を殺せるんじゃないかと。
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