「五階……」
 高校入学。それはある人にとっては新しい生活の始まりで、またある人にとっては面倒な日々の始まりでもある。右も左も分からないような新入生たちはとりあえず中学からの知り合いとつるんだり、逆に猫をかぶったりしてクラスの雰囲気を観察する。
 同じ話題を共有できる人が見つかれば万々歳だ。きっかけは読んでた本かもしれないし、ちょっとマニアックなグッズを見かけたことかもしれない。でも何か一つでも共通の話題があれば、それまで他人だったクラスメイトと友達になれる。
「六階……」
 そんなきっかけなんて持ち合わせていないという人、ご安心を。入学から一週間ほど立てば「部活動勧誘」という共通項が勝手に出来上がる。
 同じ部活に入るという人がいれば三年間の付き合いになるかもしれないのだし、交友のいいきっかけになるのは間違いない。部活で青春を謳歌するなんて、学生の特権みたいなものだ。
「七階」
 さて、そんな特権を行使しようとする学生がここに一人。
 七階建て校舎の最上階へとたどり着いた私――東野綾は、入部する部活を入学前から決めていた。……というか、ここ大堀高校の部活に「物理部」が存在する時点で、私に入部しないなんて選択肢はなかった。
 行動は早かったよ。
 昨日の午後、アリーナと呼ばれる体育館に新一年生全員が集められて「部活動紹介」なるものがあった。体育系と文化系、あわせて四十を超える部活動の代表者が、自分たちの部活を三分程度で紹介していくんだ。
 全体の所要時間は単純計算でも二時間。まぁ、前の席の人は途中から寝てたかな。私は全部起きてて、物理部の紹介だってちゃんと聞いてた。記憶に残ってるかどうかは……ちょっと怪しい。
 入部届けは職員室前にあるとのことだったから、部活動紹介が終わってすぐに取ってきた。
 家に帰ったらクラスやら名前やらの必要事項を書いて、親から判子をもらう。最後は担任に判子をもらって完成だ。
「物理部に入るのか。東野は見た目によらず渋いんだなあ」
 つい数日前に担任となった初老の英語教師からはそんなことを言われた。
 物理が渋いのかと言われるとツッコミを入れたくもなるけれど、六十年も生きてきた人から見たらそういうことなのかもしれない。
 とりあえず「物理、好きなんですよ」と返しておいた。私が物理好きっていうのは、これから一年を過ごしていく中で嫌でも分かってもらえるはずだしね。
 物理部の活動場所はここ七階。
 階段を上りきったすぐでも、他の階からの雑多な喧騒が少し和らいでいる。
 校舎案内図を見たとき七階には理科系の教室と部活が集まっているみたいだったけど、たしかにこれは自然科学に集中しようと思ったらもってこいの環境だ。実際、多くの学者さんが自然に生まれる静寂を求めてわざわざ田舎に住むことだってあるくらいだしね。
 ――それにしても、不思議なほど静か。
 既に昨日から部活動勧誘の期間に入っているけれど、どうやら物理部は大々的な勧誘はやってないらしい。ということはつまり、部室への扉を自分で開けないといけないわけか。
「あー、妙に緊張する」
 廊下を歩くのは私一人。
 どうしよう、なんて言って入ればいいかな。普通なら「見学に来ました」でいいんだろうけど、既に入部届けを持ってきてる時点でちょっと違う気がする。かといってのっけから「入部します」というのは変というか不自然というか、まず間違いなく驚かれるだろう。
 話すときだって妙に萎縮したら先輩たちもやりにくいだろうし、じゃあ失礼にならない程度の積極さといったらどの程度のものか。うーん、非常に難しい。
「あー……どうすればいいんだろ」
「どうしたの、迷いでもした?」
「あぁいや、入室の第一声で悩んでて……――あ、え?」
 静かな廊下に、私ではない声が響いた。鈴を鳴らしたような可憐なその声の方向――背後を振り返ってみれば、長髪の女子生徒と視線がぶつかり合う。
「えっと、先輩……ですよね?」
「うん、二年生。あなたは一年生だよね、入学おめでとう」
「あ、ありがとうございます」
 大堀高校では各学年に〈カラー〉がある。私たち新一年生は黄色で、三年間ずっと変わることがない。例えば制服の襟章なんかにその色は見ることができて、注視しさえすれば相手の学年はすぐに分かってしまう。
 ただ私がこの人を先輩と判断したのは――そしておそらく先輩が私を一年生だと考えたのも――わざわざ襟章の色を確認したからではない。靴だ。私が履いているのは黒のローファー。そして先輩の足元を見れば、彼女が白の運動靴を履いていることが分かる。
 今年の一年生から、大堀高校ではローファーを着用しなければいけなくなった。以前は白を基調とする運動靴が採用されていたのだけれど、いわゆる大人の事情というやつで校則が変わったんだ。でも在校生にまでローファーを買うように求めたら苦情が出る。特に三年生、
「あと一年も学校にいないのに、どうして高い金を払ってまで新調しなきゃいけないんだ!」
 そういう事情もあって、二、三年生はいまだに運動靴で学校に通っている。この違いがあるからこそ私はこの女子生徒が先輩だと分かったし、逆に言えば、彼女が二年生なのか三年生なのかまでは分からなかったわけだ。
 姿勢よくこちらへ歩み寄ってきたその先輩は、ところで入室って? と話を広げてきた。
「物理部の見学をしようと思ってたんですけど、いざ部室にって思うとなんて言って入ればいいのか分からなくて……」
「昨日から勧誘期間だもんね。いいよ、私の後ろから来てもらえればおっけー」
「え、いやそんないいですよ。先輩は先輩の用事あるでしょうし」
「新入生を部室に入れるくらい訳のないことだよ。それに――」
 先輩は横滑りの扉に手をかけて言う。
「私も、物理部員だしね」
 ガラッという音がして、私の部活動はここから始まった。

大和時雨
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大和時雨

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