生ものも
出戸まりかは本格的な中華レストランを経営している家の娘だ、その店は大阪でもかなり有名だ。
中華料理の中の広東料理の店だ、まりか自身結構だった。
中華料理が得意だ、まだ高校生だがそれでもその料理の腕はプロ顔負けで部活の料理部でも腕を認められている。
しかしだ、その彼女にある友人がこんなことを言った。
「中華料理って火をよく使うわよね」
「ええ、そうよ」
その通りだとだ、まりかも答える。
「中華料理は別名火の料理っていってね」
「実際によね」
「焼く、炒める、煮る、揚げる、蒸すでね」
「熱を通すわよね」
「殆どね」
全てというのだ。
「そうなってるわ」
「あの、けれど」
「けれど?」
「生ものは」
それはとだ、その友人はまりかに尋ねた。
「あるの?」
「ああ、和食のお刺身とか」
「あとカルパッチョとかね」
イタリア料理のそれも話に出してきた。
「あっちはオリーブオイルかけてるけれど」
「ああいうのね」
「お魚とかお肉の」
「お刺身は」
「そういうのはね」
どうかというのだ。
「ないわよね」
「そう言われると」
どうかとだ、まりかは友達に答えた。
「確かに少ないけれど」
「というか」
「あるわよ」
こう答えた。
「中国にもね」
「そうなの」
「確かに火の料理よ」
中華料理はというのだ。
「本当にね、けれどね」
「それでもなの」
「そう、鱠ってあるでしょ」
「ああ、和食の」
「そう、それは元々中国のお料理で」
それでというのだ。
「日本に伝わったのよ」
「そうだったの」
「そうよ、それにね」
「それに?」
「水滸伝でもね」
今度は中国文学を代表するこの作品のことも話した。
「お刺身食べる場面あるでしょ」
「ああ、私水滸伝読んでないの」
「そうなの」
「ライトノベルは読むけれど」
小説はというのだ。
「けれどね」
「水滸伝読んでないの」
「だからね」
それでというのだ。
「それは知らなかった」
「そうなの、けれどね」
「中国でもなのね」
「むしろ中国から?」
まりかはこう返した。
「お母さんのお国の」
「まりかちゃんハーフだったわね」
日中のだ、それでまりかはそちらの言葉も喋られるし理解も出来る。略体字もわかる。
「そういえば」
「そうなの、まあそれでね」
「中国がなのね」
友人も応えて言う。
「このお料理にしても」
「お刺身のはじまりだから」
「メニューにあるの」
「あるの、これが」
「それじゃあ作られる?」
「ええ、何なら作るけれど」
まりかは友人に微笑んで話を切り出した。
「どうかしら」
「それじゃあ」
友人も応えて言った。
「今度お魚用意するわね」
「買って来るの」
「買うっていうか釣ってくれる人いるから」
「誰?」
「うちのお父さん」
友人の返事は実に簡潔かつ確かな根拠のあるものだった。
「実は釣りが趣味で」
「それでなの」
「海でも河でも釣ってるわよ」
「じゃあお父さんにお願して」
「お刺身用のお魚釣ってもらってね」
「それを私がお料理する」
「そうしてくれる?」
「ええ、じゃあ」
まりかは笑顔で応えた、こうしてだった。
その中国の刺身を作って友人に食べてもらうことになった、この話が出るとすぐに他のクラスメイト、女の子ばかりが集まってだ。
まりかの作る中国の刺身を食べることになった、問題は魚自体だったが。
まりかは友人達と一緒に呼ばれた最初に話をした友人の家に招かれてだ、彼女の父が釣ったというその鯛を見て言った。
「いい鯛ね」
「そうでしょ」
その友人も笑顔で応えた。
「私も見てびっくりしたわ」
「いい鯛だから」
「大きくて色もよくて」
「活きもよかったのね」
「お父さんが言うにはね、血抜きはもうしてるから」
「じゃあ後は」
「そう、鱗を取ってね」
そしてというのだ。
「捌いてくれる?」
「わかったわ、じゃあすぐに調理して」
まりかは持参のエプロンを着けながらにこにことしていた、そのうえで応えた。
「皆で食べましょう」
「それじゃあね」
こうしてだ、まりかが中国の刺身を作って皆で食べることにした、まりかは自分一人で大丈夫と言ってだ。
キッチンを借りると一人で調理に入った、手伝おうと申し出てそれをいいと言われた友人達は他の食事の用意をしつつだ。
そのうえでだ、こう話した。
「中華料理で生ものね」
「何かイメージないわね」
「中華料理って絶対に火を通すから」
「もう絶対にね」
どの娘もそのことを言う。
「だからね」
「中華料理で生ものってね」
「イメージ涌かないわね」
「お魚だと蒸すわよね」
「あとお野菜と一緒にお料理したり」
「海老や貝類だと海鮮麺ね」
「あれ美味しいわね」
けれどというのだ。
「それでもね」
「生ものはね」
「ないでしょ」
「揚げてあんをかけるのはあっても」
「それは有名でも」
「どうもね」
中華料理での生もの、刺身は想像出来ないというのだ。そうした話をしつつそのうえでだった。
彼女達も動きつつだ、中華料理の刺身を待った。すると。
まりかがキッチンから大皿を持ってやって来た、その大皿の中の料理はというと。
「へえ、それがなの」
「中国のお刺身なの」
「そうなの」
「そう、これがね」
奇麗に切られて並べられているだけではなかった、そこにだ。
香草系の野菜を入れて既にたれをかけている、そうした魚だけでなく野菜やたれでも彩られたものを見てだ。
友人達は目を瞠ってだ、大皿を持って来たまりかに言った。
「いや、まさかね」
「本当に中国にもお刺身があるなんて」
「生もののお料理がね」
「けれどこれはね」
「日本のお刺身とはかなり違うけれど」
それでもというのだ。
「奇麗ね」
「中華料理って感じね、如何にも」
「じゃあ今からね」
「これ食べるのね」
「そうしましょう」
こう話してだ、そのうえで。
皆でその中華料理の刺身を食べた、すると。
その刺身を食べてだ、口々に笑顔で言った。
「あっ、これは」
「滅茶苦茶美味しいわ」
「お野菜ともたれとも合ってて」
「お魚の味だけじゃなくて」
「これもね」
「いけてるわ」
「そうでしょ、中華料理にもお刺身があってね」
まりかも食べている、食べつつ友人達に笑顔で話した。
「こうしてね」
「美味しいのね」
「そうなのね」
「確かに中華料理は殆ど火を通すけれど」
これは北京、上海、四川、広東問わずだ。とかく火を通すのは中華料理では基本中の基本だ。
「色々あってね」
「それでなのね」
「お刺身もあるの」
「こうして」
「そうなの、中華料理は色々あるから」
そのメニュー、もっと言えば食材もだ。中華料理で食べないものは水のものだと船以外は何でもである。
「こうしたのもあるの、それにお刺身は元々」
「中国がはじまり」
「そうだったわね」
「何でも火を通す様になったのは千年位前からで」
宋代になる、その水滸伝の頃だ。
「それまでは今よりも生もの食べていたらしいわ」
「そうだったの」
「中華料理も時代によって変わってて」
「生ものを食べる時代もあって」
「今も残ってはいるのね」
「そうなの、じゃあ皆でね」
笑顔で言うまりかだった。
「お刺身食べようね」
「うん、凄く美味しいしね」
「皆で楽しくね」
「食べましょう」
笑顔で話してだ、そのうえでだった。
皆でまりかの作った中国の刺身を食べた、それは確かに美味かった。まりかの腕もあったが中国の刺身自体が美味かった。
生ものも 完
2017・7・28
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