仕事
あと一人だった、自分を実験台にした者達の残りは。
クルーエルはその状況になりながらも国から国街から街を徘徊していた、その中で彼はふとあるバーに入った。
何故入ったかというと酒を飲みたくなったからだ、だから目に入ったそのバーに入った。それだけだったが。
その彼にだ、バーのマスターは彼にウイスキーを出してから聞いてきた。
「あんた何してるんだい?」
「何とは何だ」
「だから仕事だよ」
初老の粋な外見の男だった、白い髪の毛をオールバックにしていて白いブラウスと黒の蝶ネクタイにベスト、ズボンがよく似合っている。
その彼がカウンターの席に座るクルーエルに聞いてきたのだ。
「何の仕事をしているんだよ」
「ない」
クルーエルはロックのウイスキーを飲みつつ答えた。
「ついでに言うと家もない」
「ホームレスかい」
「そうなる、俺は仕事も家もなければだ」
その岩の様に表情のない顔で言うのだった。
「記憶もない」
「本当に何もないのかい?」
「あるのは憎しみだけだ」
「金はあるよな」
「それはある」
自分を実験台にしてきた者達の金を生きる為にそして強盗殺人犯の仕業と警察に思わせる為に奪ってきた、現金だけでなくカードも。カードの利用の仕方は頭に入っていたのでそれで金を引き出すことは出来た。
自分を実験台にしてきた連中は全員かなりの金を持っていた、それで彼の口座にはもう普通の人間なら一生豪遊しても足りないだけの額の金がある。
だがそれでもだ、彼にあるものは。
「憎しみしかない」
「それはまた随分寂しいな」
「そしてだ」
クルーエルはマスターに飲みつつ答えた。
「俺はこれからのこともだ」
「何も考えていないのかい」
「一切な、あと一人でだ」
まさにだ、次に殺す者でというのだ。
「全て終わる」
「終わってからはか」
「何をしていいのか」
「わからないのか」
「そうだ、何もな」
「そうか、金はあってもか」
「俺には何もない」
それこそ憎しみ以外はというのだ。
「本当にな」
「そうかい。だったら」
「何だ」
「あんた警察に追われてるかい?」
「見つかる様なことはしていない」
しくじってきていない、証拠も一切残していない。復讐は果たしてきたが彼が一連の復讐を殺人事件として捜査している警察の捜査線上に上がったことは一度もない。
彼は社会的には一介のホームレスだ、それでマスターにもこう言ったのだ。
「何もな」
「引っ掛かる言い方だな。しかしな」
「しかし。何だ」
「あんたその一人とかが終わったらな」
その時はとだ、マスターは彼に言ってきた。
「またここに来るかい?」
「この店にか」
「ああ、店の名前と場所は覚えたか」
「いや」
「じゃあここだよ」
マスターはクルーエルの言葉を聞いて一枚の名刺を出してきた、そこに店の名前と住所に電話番号が書いてあった。
マスターのスマホの番号もあった、マスターは彼にその名刺を出してからにかっと笑って言ってきた。
「また来な」
「終わったらか」
「ああ、そうしてくれよ」
こう言うのだった。
「是非な」
「そうか、だったらな」
「終わったらな」
その時にというのだ。
「うちにまた来いよ」
「わからなかったらスマホに連絡しろか」
「ああ、そうしろよ」
マスターはウイスキーを飲む彼に言った、そしてだった。
彼はウイスキーのぼボトルを全部空けるとその足で最後の一人の家に向かった、もう場所はわかっていた。
次の日の朝その相手の家に行き中に忍び込んだうえでまだ寝ている相手を蜂の巣にした、それからカードや現金を奪ってその場を去った。相手は一人暮らしだったので仕事は実に楽で見付からない様にする配慮もしなくてよかった。
それが終わってからだ、クルーエルはその店に向かった。店のおおよその場所は覚えていたので後は名刺で住所や名前を再確認しつつだった。
店に来た、するとマスターはこの日も店のカウンターの中にいた。そこから店に入ってきたクルーエルに言ってきた。
「いらっしゃい」
「来た」
「ああ、早いな」
「早いか」
「今日来たからな」
昨日わしてそれでというのだ。
「仕事はそれだけ早く終わったか」
「そうなるな」
「それは何よりだ。それじゃあまずはな」
「酒だな」
「今日は何を飲むんだい?」
「昨日と同じだ」
クルーエルはマスターにぶっきらぼうに答えた。
「それはな」
「ウイスキーかい」
「ロックでな」
「そうか、じゃあ今からな」
「出してくれるか」
「ああ、じゃあ座ってくれ」
マスターは彼に昨日と同じくカウンターの席に座る様に言った、彼はそれに従いそこに座ってそうしてだった。
ウイスキーを飲みはじめた、そこでマスターは彼に聞いてきた。
「それでな」
「ああ、話の続きだな」
「やることは終わったんだな」
「そうだ、全部な」
「そうか、それは何よりだ」
親父はまずはこのことをよしとした。
「ことを果たしたんならな」
「そのことはか」
「よかったな、けれどだよな」
「これから何をするか」
「それはだよな」
「一切考えていなかったしだ」
それにと言うのだった。
「今もだ」
「考えていないんだな」
「そうだ」
「じゃああれかい。金はあるけれどな」
それでもとだ、マスターはクルーエルに言った。
「仕事も家もないか」
「何もな」
「まあ過去はこれから増えていくがな」
生きていればとだ、マスターはそれはよしとした。
だがそれでもとだ、クルーエルにさらに言うのだった。
「しかし家も仕事もか」
「何もない」
「そうだよな」
マスターはクルーエルのその言葉に頷いて応えた。
「あんたは」
「言った通りだ」
「何もないんだな」
「そうだが」
「だったらな」
それならとだ、マスターはクルーエルにあらためて言ってきた。
「ここにいるかい?」
「ここにか」
「ああ、実はあんた昨日も今日もこの時間帯に来たけれどな」
まだ四時だ、バーの開店時間にしては早い。
「これからだからな」
「客が来るのはか」
「この店結構人が多いんだよ」
「それでか」
「うちの店人手を探してるんだよ」
こうクルーエルに言うのだった。
「それも住み込みでな」
「住み込みか」
「どうだい?あんた」
マスターは笑って言ってきた。
「これからな」
「この店で働け、か」
「ああ、どうだい?」
こう彼に誘いをかけるのだった。
「よかったらな」
「俺でいいのか」
クルーエルはマスターに顔を向けて問うた。
「俺は接客に向かないと思うが」
「不愛想だからか」
「そうだ」
それ故にというのだ。
「俺はかなりな」
「だからかい」
「そんな俺を雇うのか」
「今店は俺一人でやっててな」
「客も多いからか」
「ああ、それでだよ。しかも用心棒も欲しいしな」
このこともあってというのだ。
「あんたならな」
「用心棒にもなるか」
「ああ、仕事は全部何度でも何度でも教えるからな」
そうするからだというのだ。
「用心棒も兼ねてな」
「そうしてか」
「働いてくれるかい?」
こう彼に言うのだった。
「これからな」
「そうしていいのか」
「いいさ、いいって言ったら雇うぜ」
まさに今の瞬間にとだ、マスターはクルーエルに笑って答えた。
「その瞬間に」
「何をしていいのか一切わからない」
まずはこう返したクルーエルだった。
「だったらな」
「いいんだな」
「雇ってくれ、俺を」
「それじゃあな」
こうしてだった、クルーエルはこの日からこのバーに雇われた。このことが決まってそれからだった。
彼は実際に住み込みで働きはじめた、最初は何をしていいのか全く知らず失敗ばかりだったがマスターはその彼に親切に同じことを何回も何十回も教えてくれてだ。
数ヶ月経った頃には彼は立派なバーの店員になっていた、その彼にマスターは今度はカクテルを教えていったが。
その彼にだ、客達は言ってきた。
「あんたいいねえ」
「ガタイいいから用心棒にもなってるしな」
「しかも仕事はテキパキしているし」
「いい店員さんだよ」
「俺がか」
クルーエルはその彼等に応えた。
「いい店員か」
「ああ、不愛想だけれどな」
「そこがどうにもだけれどな」
「いい店員さんだぜ」
「サービスはいいしな」
「仕事も出来てるしな」
「そうか、俺は店員か」
これまで復讐のことしか考えていなかった、だが気付けばだ。
今の彼は店のことを第一に考えていてそれにだった。
日々の暮らしのことも考える様になっていた、三度の食事や風呂に入ることも。それで言うのだった。
「そうなっているか」
「ああ、服装だってそうだしな」
「バーの店員さんの服だしな」
「だったらだよ」
「あんた立派な店員さんだよ」
「この店のな」
「そうなのか、俺この店の店員か」
このことを自分で受け入れた。そしてだった。
この日の営業が終わって閉店した後の店内の掃除の時にマスターにこのことを話した、するとマスターも笑って言ってきた。
「ああ、実際に今のあんたはな」
「店員か」
「このバーのな」
「それが今の俺か」
「仕事はな。そして家はな」
「この店の二階だな」
「そこだよ、俺との同居人だよ」
そうなっているというのだ、市役所にはそう届けている。立場は彼の甥ということにしてそうして同居しているのだ。
「今のあんたはな」
「ホームレスじゃないか」
「そうさ、今はそうでな」
それでと言うのだった。
「これからその今がどんどん過去になるんだよ」
「今は一瞬だ」
クルーエルはマスターにこう返した。
「そしてその一瞬が終わればな」
「過去になるよな」
「だから過去はか」
「どんどん増えていくんだよ」
「俺が生きている限りだな」
「そうなるんだよ」
実際にというのだ。
「だからな」
「俺の過去もか」
「どんどん増えていくさ。今の仕事好きか」
「好きだ。仕事だけじゃない」
クルーエルはマスターに答えた。
「飯もシャワーも外に出て遊ぶこともな」
「全部だな」
「好きだ」
「だったらその好きなことがな」
「過去になっていってか」
「どんどんいい思い出になるからな」
「いい思い出か」
彼がこれまで考えていなかったことだ、だが。
言われてみればその通りだと思う様になった、それで彼はマスターに答えた。
「俺にもそれが出来るか」
「この仕事が楽しいって思えるならな」
「そうか、それならな」
「これからもこの仕事をやっていくか」
「そうしていく」
こうマスターに言った、二人で掃除をしながら。
「これからもな」
「よし、じゃあこれからも頼むな」
「こちらこそな」
クルーエルは笑顔になれない、だがそれでもだった。
マスターに心からの喜びの言葉を返した、そうしてそのうえでこの日の最後の仕事である掃除を終えた、それからは二階に上がってそこでシャワーを浴びてからマスターと二人で食事と酒を楽しんで寝た。そうして明日も楽しい一日になることを願いながらベッドの中で寝た。そのベッドのぬくもりも今の彼には心地よいものだった。
仕事 完
2018・5・18
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