イタコの好物
伊織杏子は呉の真言宗の古寺に住んでいるイタコ兼女子学生である、その彼女には今悩んでいることがあった。
その悩みについてだ、彼女は保護者であり義理の親でもある住職に言った。
「困ったことよね」
「一体何がじゃ?」
「ええ、今日の晩御飯だけれど」
住職の奥さんと一緒に作るそれはというのだ、杏子は住職をお義父さん、奥さんをお義母さんと呼んで親しんでいて二人も彼女をよく可愛がってくれている。
「お義母さん今日スパゲティにしようって言ってるの」
「それはいいことだろ」
住職は義理の娘の言葉に笑顔で返した。
「杏子はスパゲティが大好きじゃないか」
「しかもイタリアのね」
つまりスパゲティの本場のだ。
「ボロネーゼとかペスカトーレとかね」
「ナポリタンよりもな」
「ナポリタンは日本のスパゲティだから」
イタリアのものではないというのだ。
「あっちも好きだけれど」
「一番好きなのはやっぱりか」
「イタリアよ、ちゃんとオリーブオイルと大蒜も使った」
この二つは杏子にとって必須だった。
「この二つがないと私スネてやる、よ」
「そこでそう言うのか」
「この前イタリアの人から聞いたら」
自分に霊を降ろして聞いたことだ、この辺り実にイタコらしいと言うべきか。
「日本で食べた納豆スパゲティがいいって言ってたけれど」
「あれあっちの人も食べるのか?」
「食べて美味しかったみたいよ」
「それはまた凄いな」
「それでね」
さらに言うイタコだった。
「私はイタリアのスパゲティでどれが一番好きかって聞いたら」
「何て言われたんだ?」
「ネーロって言われたわ」
「あれだろ、確かイカ墨の」
「そう、あのスパゲティよ」
杏子もすぐに答えた。
「イカ墨のスパゲティをあっちじゃそう呼ぶの」
「そうだったよな」
「それって言われたの」
「杏子はそれも好きだろ」
「ええ、大好きよ」
そのイカ墨のスパゲティもというのだ。
「私もね」
「そうだよな」
「それで今日はね」
「どのスパゲティをするか、か」
「考えてるのよ」
「スパゲティっていっても多いからな」
住職は寺の中で夕食の用意にせわしなく動く義理の娘に言った、古い寺は三人で住んでいて広いがその広さを持て余している感じだ。
「今も言ったが」
「そう、一杯あってね」
「どれにするかってなると」
「これをどうしても食べたいって時はともかく」
「そうじゃないとな」
「今みたいにね」
「考えてしまうか」
「材料はね」
肝心のそれはというと。
「色々買い置きがあるから」
「あれか、パックのソースか」
「そう、スパゲティのね」
スーパー等で売られてるものだ、それを使うというのだ。
「パスタを茹でてそこに炒めた大蒜入れて」
「オリーブオイルと絡めてな」
「それでソースかけるけれど」
スパゲティのそれをだ。
「さて、具体的にはね」
「どのソースにするかが問題か」
「そのイカ墨もあるしボロネーゼもペスカトーレも」
「あるんだな」
「あとペペロンチーノもあるし」
オーソドックスなスパゲティの一つのそれもだ。
「蟹の生クリームもあるわよ」
「本当に色々あるな」
「だからね」
「何を食べるかとなるとか」
「ちょっと考えてるの」
「じゃあお義母さんとよく話してみるんだな」
住職は杏子に穏やかな声で言った。
「そうしてな」
「ええ、決めればいいわね」
「そうすればな」
「わかったわ、じゃあ今からね」
「スパゲティ作ってくれるか」
「それとサラダもね」
こちらも出すというのだ、杏子は義理の父である住職にこう話してだった。そのうえで台所に入ってだった。
義母と二人で調理に入った、その間住職は寺の仕事をして過ごした。そして晩御飯の時になってだった。
ちゃぶ台の上に置かれたスパゲティ、それを見ると。
生クリームとスライスされたベーコン、卵黄が使われていて黒胡椒がかけられていた。勿論オリーブオイルが使われ大蒜の切れ端も見られる。
そのスパゲティを見てだ、住職はすぐに言った。
「カルボナーラか」
「ええ、それにしたの」
「この娘と話してね」
住職は杏子だけでなく自身の妻の話も聞いた、自分より五歳年下の中年の女性で少し肉がついてきているがまだまだ奇麗な外見だ。
「レトルトのパックでもあったし」
「これってなったの」
「成程な、カルボナーラか」
そのスパゲティをあらためて見て言う住職だった。
「そういえばこれもだったな」
「そうよ、イタリアのスパゲティよ」
「そうだったな」
「それでこれにしたの」
「イタリアだからか」
「そうなの、しかも美味しいしね」
杏子は住職ににこりと笑って言った。
「だからこれにしたの」
「この娘が大好きだから」
妻も夫に言う。
「これならって思ってね」
「そうか、しかしな」
「しかし?」
「いや、もう日本の仏教じゃ言わないけれどな」
こう前置きして笑って言う住職だった。
「卵にクリーム、ベーコンとな」
「あっ、生臭ものね」
「そればかりだな」
「そういえばそうね」
杏子もそこは笑って言った。
「江戸時代までは完全に駄目だったわね」
「ああ、今だからお寺でも食べられるけれどな」
それでもと言うのだった。
「昔は駄目だったな」
「そうよね、けれどそう言ったら」
ここで杏子も言った。
「お義父さんとお義母さんがね」
「ああ、結婚してるからな」
「真言宗だけれどね」
義母も笑って言ってきた。
「浄土真宗しか結婚出来なかったけれど」
「こうして結婚してるしな」
「あんたもいるし」
「そこも違うな」
「そうよね、けれど今だから」
それでと言う杏子だった。
「いいわね、それじゃあ」
「ああ、今からな」
住職は杏子に笑顔で応えた。
「食べるか、カルボナーラ」
「そうしましょう」
「サラダも食べてね」
住職の妻はそちらも忘れていなかった、そしてだった。
三人で晩御飯を食べた、それで杏子はそのカルボナーラを一口食べてから満面の笑顔でこんなことを言った。
「美味しいわね」
「ああ、これはいいな」
住職も一口食べてから言った。
「本当に」
「そうよね、おかわりもあるから」
「あっ、あるのか」
「ついつい茹で過ぎて」
このことは少し苦笑いになって言う杏子だった。
「沢山食べたいって思って」
「それでか」
「そう、つい茹で過ぎたのよ」
「また考えずにやったんだな」
住職は杏子のその性格を知っていたので少しやれやれといった顔になって言った。
「そこはな」
「ええ、気をつけてよね」
「そうするんだ、お寺はな」
「残したら駄目だからね」
「どんなものでもどれだけあってもな」
それが食べるものならだ。
「それは駄目だからな」
「それでよね」
「じゃあカルボナーラもな」
「それとサラダもよね」
「どれもな」
まさにというのだ。
「食べような」
「残さないでね、それで食べたらね」
「イタコの力もだな」
「その分確かになるし」
「やっぱり食べないと力が出ないんだな」
「そうね、何でも」
杏子は自分から言った。
「まずはね」
「食べてこそだな、今日は何もなくてもな」
「また明日ね」
「明日も学校があってそれでお寺のこともあるからな」
「頑張っていくわね」
「その為にもな」
「カルボナーラ食べるわ」
そしてサラダもだった、杏子は住職と話してだった。
実際にカルボナーラもサラダも食べた、三人で残さず食べた。杏子は食べた後は風呂に入ってその風呂を洗ってから明日も頑張ろうと三人で話をして休んだ。明日また義理の親達そして学校で親友である鬼堂院まなみ達と会うことを楽しみにしながら。
イタコの好物 完
2018・6・17
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