一番の天敵
 五来珠樹は冷静で知的な小学生だ、勉強は抜群に出来て怒ると悪魔の様に凄まじい。だが貧血気味である。
 その彼女はいつも頭の悪い者は嫌いだと言っていた。
「そういう奴は一回雛に帰ればいいのよ」
「出たわね口癖」
「好きな言葉でもあるけれど」
「とにかく頭が悪い人は嫌いなのね」
「そうなのね」
「卵とね」
 こう付け加えることも忘れていなかった。
「この二つはどうしても駄目よ」
「卵は特にお魚の卵よね」
「タラコとかイクラとかね」
「キャビアも嫌いよね」
 クラスメイトの一人は世界三大珍味の一つを出した。
「そうよね」
「あんなの食べて嬉しいの?」
 これが珠樹のキャビアに対する評価だった。
「気持ち悪いでしょ」
「キャビアも駄目なのね」
「食べたことないし」
 ついでに言うと見たこともない。
「あと運動も嫌いだけれど」
「卵は特に駄目よね」
「とりわけお魚のが」
「頭の悪い人も嫌いで」
「とにかくよね」
「そう、学校の成績云々じゃないわ」
 珠樹が言う頭が悪いとは、というのだ。
「人間としてどうかよ」
「人間として頭がいいか悪いか」
「それなのね」
「テレビでいい大学出てても頭が悪い人いるじゃない」
 珠樹はこのことを指摘した。
「そりゃ学校の成績がいいに越したことはないけれど」
「珠樹ちゃん先生の間違いだって指摘するしね」
「やっぱり学校の成績がいい方がいい」
「そうよね」
「けれどそれ以上に人間としてよ」
 それが大事だというのだ。
「頭がいいか悪いか」
「それがなのね」
「大事だっていうのね」
「そう、本当にね」
 かなり切実に言う珠樹だった、ツインテールに眼鏡の顔で言うのだった。だが彼女はあえていつも言わなかった。
 自分が何よりも苦手でそして嫌う対象のことは、それは何かというと。
 家に帰ると時々それはいる、彼女の兄だ。
 某国立大学で抜群の成績を誇り趣味は料理だ、その彼は家で珠樹を見るといつも満面の笑顔で言っていた。
「珠樹、今日も元気か?」
「今元気でなくなったわ」 
 珠樹はいつも兄にこう返していた。
「一瞬でね」
「それはどうしてなんだ?」
「お兄ちゃんの顔を見たからよ」
 赤髪を立てて無闇に明るい表情で生き生きとした彼をだ。
「それでよ」
「おい、俺に問題があるのか?」
「どうしようもないまでにあるわ」
 こう返すのも常だった。
「最悪と言っていい位に」
「いつも言うな」
「全く、何で今日は帰っているのよ」
「いつも家にいるだろ」
「私が家に帰る時間にいるのよ」
「今日の午後の講義は休講だったんだよ」
 兄は妹に明るい笑顔で答えた。
「それで暇だからな」
「お家に帰ってなの」
「ああ、そしてな」
「またお料理作るの」
「そうさ、お父さんとお母さんにも作るからな」
「つまり今日の晩御飯はお兄ちゃんが作るのね」
「御前にも最高に美味しいもの作ってやるからな」
 妹を可愛がっているのがはっきりとわかる明るい笑顔だった。
「期待していろよ」
「期待したいのは今年の阪神だけだよ」
「阪神は優勝に決まってるだろ」
 兄は妹に真剣そのものの顔で返した。
「今年こそな」
「そうあって欲しいわね」
「そうに決まってるだろ、それで今晩はな」
「お兄ちゃんが作ってくれるのね」
「もう食材は用意してあるからな」
「言っておくけれど」
 ここで兄に強い声で釘を刺した珠樹だった。
「私はね」
「卵は、だよな」
「絶対に駄目だから」
「だからだな」
「卵は出さないで」
 そこは念を押すのだった。
「いいわね」
「わかってるさ、もう覚えたからな」
「覚えるまでに何度私に卵出したのよ、特にお魚の」
「お父さんもお母さんも好きだし俺も好きだしな」
「私は大嫌いなの」
 それも何よりもだ。
「何度お兄ちゃんが出して卒倒したか」
「ははは、そうだったな」
「はははじゃないわよ、私本当に駄目だから」
 珠樹は平気な顔で笑う兄に怒った顔で返した。
「それで死にかけたでしょ」
「そうだったな、そういえば」
「何度もね。他にもよ」
「ああ、キャッチボールをしていてな」
「お兄ちゃんの剛速球が頭に当たったり」
「あと部屋の中で体操をしていてな」
「足がお腹を直撃したでしょ」
 こうしたこともあったのだ。
「いきなり富士山に連れて行かれたり」
「踏破出来てよかったな」
「私ずっと酸欠寸前で引き摺られていったわよ」
 兄は始終笑顔でそうしたのだ。
「全く、いつも行動が無茶苦茶だから」
「それで料理もか」
「何処まで破天荒なのよ」
「俺はこうした人間なんだよ」
「そこで否定しないし」
 むしろ肯定さえしている、そこも珠樹にとっては実に腹立たしいことだ。
「いい?本当に今日はね」
「わかってるさ、今日はステーキだ」
「それ焼いてくれるの」
「安いオージービーフが手に入ったからな」
 それでというのだ。
「一キロ焼くからな」
「一キロなんて私食べられないわよ」
「俺はそれで御前はもっと小さいの焼くからな」
「だといいけれど」
「ああ、じゃあ楽しみしていろよ」
「ええ、ただステーキだけじゃ栄養バランス悪いわよ」
「だから玉葱のスープとポテトサラダも作るな」
 こうしたものもというのだ。
「安心しろよ」
「ええ、卵も出ないならね」
 それならとだ、珠樹も納得した。しかし晩御飯の時にだ。
 自分の前の皿の上のステーキを見てだ、珠樹は兄を殺人未遂犯の目でみながらそのうえで言った。
「あのね」
「少ないだろ」
「お兄ちゃんのに比べたらね」
 そのとんでもなく分厚いステーキよりはだ。
「半分位よ」
「少ないな」
「一キロの半分ってどれ位よ」
「五百クラムだな」
「こんなの食べられる小学生の女の子いないわよ」
 珠樹の顔も言葉も切れていた。
「だから常識で考えてよ」
「それ位食わないと貧血治らないぞ」
「貧血の問題じゃないわよ、食べきれないでしょ」
「安心しろ、食べきれないならな」
「どうするの?」
「お兄ちゃんが食べてやる」
 今回も平然とした返事だった、両親も一緒にいるが喋っているのは二人だけだ。
「心配無用だ、しかしな」
「出来るだけ食べろっていうのね」
「ああ、美味いからな」
「全く、何処まで常識がないのよ」
 珠樹はフォークとナイフを動かしながら言った、そうしてステーキも他の料理も食べるがステーキは精々五分の二を食べた程だった。それが限度だったが。
 兄は自分の一キロのステーキをぺろりと平らげた後で珠樹が残した分も食べて勿論他の料理も食べて御飯は四杯おかわりをした、そんな兄だった。
 それで食後兄と一緒に食器を洗いながらだった、珠樹は彼に言った。
「私ね、頭の悪い人も運動も卵も嫌いなの」
「特に魚の卵がな」
「そう、けれどこの世で一番どうにかなって欲しい人がいるの」
「それは誰だ?」
「私の目の前にいるわ」
 兄を睨み据えて告げた。
「今ね」
「俺か」
「その滅茶苦茶な性格何とかならないの?」
「これが俺だからな」
「そう、じゃあね」
「じゃあ何だ?」
「何処か他の国に留学して」
 それでというのだ。
「そのままその国に就職してね」
「それでか」
「二度と私の前に姿を現わさないで」
「おいおい、俺のことが嫌いか?」
「嫌いじゃなくてどうにかなって欲しいの」
「そりゃどういうことだよ」
「この世で一番苦手な相手ってことよ」
 兄がというのだ。
「そう言ってるの」
「それは困ったな、俺は御前のこと妹だからな」
「可愛がってるっていうのね」
「ああ、大事な妹だと思ってるんだぞ」
「それでも私はそう思ってるの」
 珠樹の方はというのだ。
「その破天荒さどうにかならないのかって」
「だから何度も言うがそれが俺だからな」
「どうにもならないのね」
「ああ、俺は俺だ」
「全く、常識位身に着けてよ」
「常識な」
「一キロのステーキ食べて私の残りも食べて」
 他の料理も御飯もだ。
「無闇に体力もあるし私より頭がいいし」
「それでか」
「全く、私より全部よくてそれだから。勝てないわよ」
「別に勝てなくてもいいだろ」
「私は勝ちたいの、絶対に」
 兄を見据えて告げた。
「常識を持ったままね」
「常識がない俺にか」
「その時を楽しみにしていることね、苦手なものは絶対に克服するから」
「卵だってそのつもりだしな」
「やってやるわよ、見ていなさいね」
「ああ、その時を楽しみにしているな」
 兄はこの時も笑顔だった、その笑顔で珠樹に返した。
「俺を超える日を」
「その時に吠え面かかないでしょ」
「笑って受けてやるさ、じゃあ食器洗い終わったら」
「どうするの?」
「大学の勉強しないとな」
 この辺りむしろ珠樹より勉強が出来る兄らしかった。
「じゃあ俺は部屋に戻るからな」
「私だって負けていないから」
 苦手な兄に言った、そして勉強に励むのだった。この世で一番苦手な相手を克服する為に。珠樹はこの日も勉強に励んでそのうえで一日を終えた。


一番の天敵   完


                   2018・6・21

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