連絡は取らない
 綾瀬芹香はいつも仕事場所である大学に籠って講義に研究に論文の執筆にと多忙な日々を過ごしている。
 だがそれでも芹香も人間だ、だから家族もいる筈だが。
「綾瀬先生に家族?」
「いるのかな、そんな人が」
「あの人生活臭ないから」
「研究とか論文ばかりで」
「家族っていうと」
「独身だし」
 このことは有名だった、浮いた話一つない。
「家族ねえ」
「あの人にもいるのかな」
「そりゃ機械じゃないしいるだろうけれど」
「今は一人暮らしじゃないの?」
「そうじゃないの?」
 こう話していた、誰もが。
 しかし芹香自身はそうした問いにはいつも無表情で答えた。
「父親いるわよ」
「お父さんおられるんですか」
「そうなんですか」
「ええ、生物学上でも戸籍上でもね」
 どちらの意味でもというのだ。
「同一人物でね」
「じゃあそのお父さんがですか」
「先生のご家族ですか」
「そうなんですね」
「ええ、けれどね」
 芹香はこう自分に家族のことを問うた彼等に答えた。
「音信不通よ」
「そうなんですか」
「連絡取ってないんですか」
「お会いしていないんですか」
「高校を卒業して大学に入って」
 それでというのだ。
「一人暮らしはじめてね」
「それでなんですか」
「その時からですか」
「別々に暮らしていて」
「それで、ですか」
「音信不通ですか」
「そうなっていますか」
「ええ、そうよ」
 こう言うのだった。
「本当に特にね」
「何もですか」
「連絡も取ってなくて」
「それで、ですか」
「やり取りもなくて」
「完全に音信不通ですか」
「そうよ、まあ生きているでしょ」
 芹香は何処か他人行儀で述べた。
「何処かで」
「いや、それって何か」
「親御さんに言うことじゃないですよ」
「愛情とかそういうのありますよね」
「だったら」
「そうはいっても忙しいし」
 芹香は何でもないといった顔で自分に家族のことを尋ねた彼等に答えた。
「それも向こうも連絡してこないし」
「だからですか」
「別にいいですか」
「そんな風ですか」
「ええ、まあ何かあったら連絡がくるわよ」
 これが芹香の考えだった。
「その時はね、何もないってことは」
「お父さんも元気ですか」
「そうお考えですか」
「ええ、大丈夫でしょ」
 本当に素気ない芹香だった、そしてだった。
 芹香はこの他のことは誰にも話さなかった、その父親が一体どういった人なのかを。だからこそ誰もがだった。
 芹香の父親が何者か知りたがった、だが芹香は父親がいると言っただけで何も語らない。それでだった。
 このことについてだ、彼等は話した。
「話すに話せない?」
「そんな事情か?」
「ひょっとして」
「まさかお父さんヤクザ屋さん?」
「いや、大金持ちかも」
「政府の偉いさんとか」
「大学者とか」
 こうした色々な噂が出ていた。
「何か凄いことをしている人?」
「大企業の経営者とか」
「凄いスポーツ選手だったとか」
「大物俳優?」
「売れっ子作家じゃないですか?」
「まさかホームレス?」
「人を殺したことがあるとか」
 剣呑な噂も出ていた。
「そんな人?」
「ひょっとして」
「誰なのかしら」
「有名人か悪人か」
「どっちなのか」
「一体」
「何処の誰なのか」
 まさ謎が謎を呼ぶだった、多くの者が芹香の父親が何者なのか疑う様になっていた。それでだった。
 学校でもこのことはよく言われる様になっていた、だが当の芹香は何も語らない。それで余計にだった。
 謎が謎を呼んでいた、それで疑問に思っていたが。
 このことについてだ、芹香は出張先でタクシーに乗った時に運転手に対してこんなことを言ったのだった。
「私には秘密があるの」
「秘密?」
「ええ、お父さんがいるけれど」
 その父のことを言うのだった。
「実は何でもない人なのよ」
「といいますと」
「屋台のラーメン屋よ」
「あっ、そうなんですか」
「ええ、地元のね」
 それをしているというのだ。
「今の時間だと丁度ね」
「屋台出していますか」
「そうしているわ」
 こう彼に話した。
「それでお客さんにラーメン出しているわ」
「そのラーメン美味しいですか?」
「地元じゃ結構評判らしいわね」
「それは何よりですね」
「ええ、ただね」
「ただ?」
「私は食べたことがないわ」
 父が食べたそのラーメンをというのだ。
「本当にね」
「そうですか」
「私はラーメンは味噌ラーメンしか食べないの」
 芹香は偏食家だ、それでラーメンも食べるものは限られているのだ。
「お父さんのラーメンは豚骨だから」
「それで、ですか」
「そう、食べないの」
 そのラーメンはというのだ。
「だからね」
「お父さんのラーメンもですか」
「食べないの」
「そうですか」
「ええ、食べないからね」 
 だからだというのだ。
「仕方ないわ、それでね」
「それで?」
「連絡も取っていないのよ、ラーメンを食べないならね」
 それでと言うのだった。
「連絡を取る必要もないでしょ」
「ラーメンを食べない人のラーメンを」
「そう、だからね」
「連絡も取らずに」
「いるのよ、まあラーメンはね」
 それはというと。
「私は本当に味噌ラーメン以外食べないから」
「醤油ラーメンもいいと思いますけれどね」
「生憎偏食家だから」
 それでというのだ。
「仕方ないわ」
「じゃあお父さんとは」
「まあ何かあったらね」
 タクシーの運転手は知らないがそれでもだった、大学の者達と同じことを言うのだった。
「連絡が来るわよ」
「さばさばしてますね」
「私に何かあっても」
 芹香はその場合についても述べた。
「やっぱりね」
「何かありますか」
「そうなるわ」
「そんなものですか」
「だからね」
「それでいいっていうんですね」
「そう考えてるわ、もうお母さんもいないし」
 母のこともここで話した。
「私が高校卒業してすぐにね」
「そうですか」
「癌でね」
 芹香はこのことは項垂れて話した。
「そうなったわ、あとはお父さんだけれど」
「そのお父さんもですね」
「何かあったらだから」
「連絡つけてないですか」
「ええ、これが私の秘密よ」
 前で運転をしている運転手に話した。
「あくまでね」
「人は誰にも秘密があるってことですね」
「そういうことになるわね」
 芹香はくすりと笑って応えた、そうしてタクシーで自分の宿泊先に戻った。部屋に戻るとシャワーを浴びて一人飲んで休んだ。


連絡は取らない   完


                 2018・6・24
 

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