遊牧民のもてなし
 旅人は今草原にいた、草原を一人馬に乗って進んでいると。
 草原の彼方から羊の群れが来た、旅人はその羊達を見てこの辺りの遊牧民達が飼っている羊達だとすぐにわかった。
 その羊達の中から一人の左右に水牛の様な大きな角を着けた青年が来た、着ている服はこの辺りの遊牧民のものだ。
 その若者が左肩に鷹を止まらせたうえで旅人のところに来て言ってきた。
「何処に行く」
「東の絹の国にだよ」
 旅人は遊牧民の青年にすぐに答えた。
「そこに行くつもりなんだ」
「そうか、あの国にか」
「うん、そうしてね」
 そしてと言うのだった。
「絹の国の各地を回るつもりさ」
「そうするんだな」
「そう、ただね」
「ただ?」
「ここは随分広いね」
 ここでこうも言った旅人だった。
「この草原は」
「そうだな」
 青年は旅人にやや不愛想な声で応えた。
「それは確かだな」
「もう何日も進んでいるけれど」
 それでもというのだ。
「まだ絹の国には着かないね」
「あと少しだ、ただ」
「ただ?」
「絹の国に着いたらすぐにわかる」
 旅人が目指すその国にというのだ。
「そこには長い長い壁があるからな」
「ああ、長城だね」 
 長い壁と聞いてだ、旅人はすぐにわかった。
「それがあるんだね」
「そうだ。それにあたるからだ」
 だからだというのだ。
「すぐにわかる」
「そう聞いているけれどその通りだね」
「そうだ、長城はあと二日程進めばだ」
 そうすればというのだ。
「着く、しかし」
「しかし?」
「もうすぐ夕暮れだ、あんたこれから休むか」
「ああ、こいつと一緒にな」
 旅人は今自分が乗っている馬のその首をいとし気に撫でつつ答えた。
「いつもそうしているさ」
「外でか」
「ははは、ここは雨も殆ど降らないから外で寝るのもいいさ」
 旅人は青年に笑って返した。
「だからな」
「草原にいる間はずっとゲルの外で寝ているんだな」
「それがどうかしたかい?」
「今日あんた俺のゲルに泊まれ」
 青年は旅人に無表情に申し出た。
「そうしろ」
「あんたのゲルにかい」
「そうだ、そしてだ」
 そのうえでというのだ。
「今日はあんたも馬もゆっくりと休め」
「そうしていいのかい」
「構わない、俺がいいと言っている」
 これが青年の返事だった。
「だからな」
「それでかい」
「今日は俺のゲルで休め」
「申し出てくれるならね」
 内心何かあるのではと思いつつだ、旅人は青年に応えた。旅をしていると世の中悪人が多いことも知ることになるからだ。
「いいよ」
「安心しろ、俺はあんたからものを奪うつもりはない」
「おや、考えていることがわかったのか」
「こうした時の話の常だな」
「何かあるかって思うことは」
「そうだ、善意の皮を被って安心させてだ」
「グサリなんてあるからな」
「ものを奪うだけならいいが」
 しかしというのだ。
「殺す奴もいるな」
「あんたもわかっているんだな」
「草原にも色々な奴がいる」
「悪人もいるか」
「善人もいればな、だが俺は金にも命にも興味はない」
 その両方にというのだ。
「酒は好きだがな」
「悪いが酒は持ってないんだよ」
「俺が持っているからそれはいい」
 酒の方はというのだ。
「クミズがな」
「ああ、あの馬の乳の酒か」
「それがあるからな」
「酒はいいのかい」
「そうだ、それでどうだ」
「ああ、じゃあ悪いがね」
「今日はだな」
「あんたのゲルに泊まらせてもらうな」
「そして存分に休め」
 青年はこう言ってだ、旅人を近くに建ててあった自分のゲルの中に案内した。羊達は彼が飼っている犬達と彼が肩に止まらせていた鷹に警戒させていた。彼等は寝ていても何かあればすぐに起きて自分に知らせてくれるとだ。
 青年はゲルに共にいる旅人に話した、そしてここで自分の名も話した。
「俺の名前はシクだ」
「姓はないよな」
「それもわかるか」
「わかるさ、草原の民のことも知ってるからな」
 旅人はその青年シクに笑って返した。
「だからな」
「それでか」
「そうさ、あと俺はイブンっていうんだ」
「イブンか」
「イブン=シーナ。金持ちの道楽息子でな」
 旅人は自分のことも笑って話した。
「剣と魔術師と僧侶の魔法が両方使えるからな」
「その力でか」
「旅をしているのさ、旅の金はモンスターを倒してな」
「手に入れているか」
「食いものもモンスターを食ってな」
「そうして旅をしているんだな」
「乗っている馬と一緒にな、気ままなものさ」
 旅人はシクに笑って話した。
「とんだ道楽者だろ」
「それで一人でか」
「世界中を旅しているさ」
「危険もものとせずにか」
「幸い一人旅をするだけの腕はあってな」
 剣と魔法のそれがというのだ。
「生きてそれが出来ているさ」
「それはいいことだな」
「ああ、それでな」
「これから絹の国に行くか」
「そうするんだよ」
「それはわかった、俺はこの辺りで一人で遊牧をしてな」
「暮らしているんだな」
「そうだ、この辺りは俺の部族の場所だ」
 シクは旅人にこのことも話した。
「俺は部族の領域の外の方をいつもこうして一人でいて見張っている」
「それであんたもここにいるのか」
「そうだ、少し離れたところに部族の集まりがある」
 自分の部族のそこがとだ、シクは話した。
「そこは皆いる、馬で二時間程行くとな」
「そこにか」
「俺の部族の集まりがある」
「成程な」
「今この辺りは平和だ」
「凄くいいハーンが出てだな」
「その方が上手く治めていてくれてな」 
 それでというのだ。
「部族同士の戦もなくだ」
「平和か」
「そうだ、それで羊も普通に食えてな」
「酒もか」
「飲める、茶もな」
 こちらもというのだ。
「飲める、じゃあもうすぐ煮える」 
 二人の間には鍋がある、その鍋の中に羊の肉がある。それは塩であっさりと味付けされたものだった。
「食うぞ」
「ああ、それじゃあね」
「内臓もあるがいいか」
「ああ、何でも食わないとな」
 それこそとだ、旅人は彼に笑って返した。
「旅は出来ないからな」
「血も飲むか」
「勿論さ」
 そちらもとだ、旅人はシクに笑って返した。
「そちらもな」
「ならいい、血も飲んでな」
「栄養をつけろか」
「俺達は内臓も食って血も飲んでいる」
 羊のそれをというのだ。
「それこそ羊の全てをな」
「そうして生きているよな」
「そして茶もな」 
 言いつつだ、シクは旅人に茶を出した、飲めという合図だった。
「飲んでだ」
「生きているんだな」
「何でもな、食って飲んでだ」
「そうしてか」
「生きている」
「それが草原だな」
「そして旅人はもてなす」
 このことも言うシクだった。
「それが草原のならわしだ」
「だから俺ももてなしてくれるか」
「たらふく食え、俺も食う」
 シクもというのだ。
「そして血も茶も飲んでな」
「酒もだな」
「後で酒を出す」
 今は茶を飲みつつ言うのだった。
「そうして楽しむぞ」
「二人でか」
「今夜はな」
 こう話してだ、シクは旅人に血も羊の血も飲ませた。実はこちらは癖があり旅人の好みではなかったが飲んだ。
 そして肉、羊の内臓もだった。
 食った、そうしてクミズも飲んだ。シクは旅人に彼自身が言った通りに肉をたらふく食わせただけでなくその馬の乳の酒もだった。
 飲ませた、勿論彼もしこたま飲んでだった。
 鍋を収めてからだ、彼にこんなことを言った。
「悪いが俺は一人で暮らしている」
「まさかと思うが」
「女は出せない」
 それはというのだ。
「だからそこは我慢してくれ」
「いや、それはいいからな」
 旅人はシクのその言葉に苦笑いで返した。
「そっちは」
「そうなのか」
「勿論あんた自身もな」
「男もか」
「いいからな」
「それは助かった。俺は男の趣味はない」
 シクもそれはと答えた。
「それじゃあ暖かく寝てくれ」
「そうしていいか」
「そうだ、そうしてくれ」
 こう言ってだ、そのうえでだった。
 シクは旅人に寝床まで出してくれた、旅人はその中で久し振りに暖かく寝られた。そして朝にはだった。
 朝食を出してくれた、その後で旅人は彼のゲルを後にしたが見送るシクに対してこんなことを言った。
「俺はこの日のことを忘れないからな」
「そうか」
「ああ、色々と有り難うな」
「大したことはしていない」
 シクは旅人に無表情の顔で応えた。
「礼には及ばない」
「そうなのか」
「そうだ、だから覚えることもない」
 それには及ばないというのだ。
「別にな」
「そんなものか」
「そうだ、だからだ」
 それでというのだ。
「俺のことは何も覚えるな」
「そうなのか」
「そうだ、そして旅の間はな」
「何かとか」
「気をつけることだ、いいな」
「その忠告気をつけておくな」
「草原の獣達にはな」
 こう言うのだった。
「是非な」
「わかっているさ、じゃあまた機会があったらな」
「会った時はか」
「礼はいい」
「そうなのか」
「さっきも言ったがそれに及ぶ様なことはしていない」
 そうだと言うのだった。
「だからいい」
「そうか」
「そうだ、別にいい」
 こう言ってだ、そしただった。
 シクは旅人を送り出した、そのうえで。
 旅人は旅を続けてそうして絹の国に着いた、絹の国を旅をして回り他の国も回ってだった。旅人は故郷に帰ってから世界中を旅したことを書に書いたが。
 そこでシクのことを書いた、彼のもてなしと名前までも。それが彼だけでなく草原の民達の名も残ることになったがそれはシクの知らないことだった。だが彼の知らないところで彼の名前は歴史に残ることになった。それが旅人の彼への礼となった。


遊牧民のもてなし   完


                   2017・7・24

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