「先生、締め切りは良いんですか?」
長浜駅に降り立った不敵な笑みを浮かべた着流し姿でボサボサ髪の男に、隣で黒髪の美少女が呆れたように言う。言われた男は、全く気にすることなく、手をひらひらとふって返す。
「そんな細かいことを気にすんなや」
「…細かくないですよ、断じて」
「ほんまに冗談が通じんやつやなあ」
「冗談だけで滋賀県まで来る人がありますか」
さて、ここでこの怪しげな二人組を紹介しよう。男の名前は猫村流雲。関西弁だが、出身は不明。現在は東京で小説家をしている。業界では「天才」と言われ、そう呼ばれるに値する実力の持ち主だが、少々…いや、かなりの変人で…まあ、俗に言う「困ったちゃん」だ。子供っぽい好奇心に溢れた瞳をもつので若く見えるが、30歳をすでに越えているので騙されてはいけない。少女の名前は、宮野優希。流雲のもとで助手のようなことをしている。少女、と言っても20代前半で、身寄りがなく、就活も上手くいっていなかったところを流雲に雇われた。…だから、彼には感謝しているのだが…何故か彼の周りで一番容赦がないのが彼女である。家事が全くできない流雲の代わりに家事全般を請け負い、ときには編集者の締め切り催促(途中から流雲への愚痴に変わるが…)の電話の相手をしたりしている。…何かと流雲に振り回されているが、良識のあるしっかり者だ。
で、そんな二人が何故、滋賀県長浜市に来たのかというと。
「せやから、取材旅行やって言うてるやろー。今度ここを舞台にして小説書くんや」
「………」
「何や、その疑わしそうな目は」
「…近江牛、小鮎せんべい、焼き鯖そうめん」
「ギクッ」
「…先日、部屋を掃除していたら長浜市のグルメがリストされた紙が出てきましたが」
「…」
「…遊ぶ気満々ですね」
「それの何が悪い!人間は楽しみを求める生き物や!」
何故か胸を張る流雲に優希は呆れたようにため息をついた。
「…開き直らないで下さい」
「まあまあ、いつまでもそないなこと言うてんと。…ほら、行くで」
そうして、気がぬけるような笑みで軽やかに歩いて行く天才小説家の後を苦笑しつつ優希はゆっくりと追いかけて行った。
長浜のグルメを満喫した二人は、長浜市内の琵琶湖湖岸沿いのベンチに並んで座っていた。
「…きれいですね、琵琶湖」
「いやあ、うまかったなぁ。近江牛に小鮎せんべい、焼き鯖そうめん、鮒寿司に南浜ぶどう…」
「…あなたは、食べ物のことしか頭にないんですか」
「しゃあないやろ、うまかったんやから」
ケロリと言い放つ流雲に、優希はため息をつく。
「…全く、あなたはブレませんね」
「当たり前や」
「…何で得意げなんですか。…でも、何で『長浜』っていうんですかね」
「ん?」
「ですから、名前の由来ですよ。『浜』は琵琶湖の近くだから何となくわかりますけど、『長』って何なんでしょう」
「『長』は信長の『長』やで」
「へ?」
「最初は『今浜』っていう名前やってんけど、豊臣秀吉が、尊敬する織田信長の『長』をとって『長浜』に変えた」
「はあ、なるほど。…相変わらず何でもよくご存じで」
半ば呆れ気味に優希は返す。そんな彼女をにやりと見ると柔らかな中低音で流雲は続けた。
「ーっていうのが、世間で知られている説や」
いたずらっ子のような不敵なその笑顔に、優希はピンときた。
「…ああ、先生はそうは思わないのですね」
「当たり前や。俺は小説家やぞ?想像力をフルに活用してそれよりおもろいことを推理した」
「想像力100%のものは推理と言わないんですよ。知ってました?」
「そんな細かいことを気にすんな。それに想像するんは自由やろ。人類に与えられた特権なんやから」
「はいはい…」
「…で?聞きたいか?」
「…まあ、興味はあります」
そっけなく言う優希を面白がるように見て、流雲は口を開いた。
「俺はな、長浜の『長』はもともと『仲』やったんやと思う」
「…はい?」
「ナカや、ナカ。仲良しの『仲』」
「ああ、その『ナカ』ですか」
「せや、そこには、琵琶湖と仲良くなる、つまり共生していけるようにっていう思いが込められているんやと俺は睨んどる。現に、長浜には琵琶湖とか姉川とか『水』に関する特産物が多いしな。鮎とか鮒とか魚系の料理はもちろん、南浜ぶどうを含めて農業が盛んなんは、やっぱり琵琶湖の水のおかげやろし、近江牛かてそうや。牛を育てるには、豊富な水が必要やろ。…名は体を表すっていうやんか。地名にそういう願いが込められていたからこそ、産業にちょっとは影響したんちゃうかなぁ」
「…なるほど、もっともらしく聞こえますね」
「…何や、トゲのある言い方やな…。でもこの説やったら、世に知られている説の謎、『何故、信長の『信』ではなく『長』をとったのか』っていうのが解けるで」
「…まあ、そうですけど。ならば、あなたの説にも謎がありますよ。何故、『仲』が『長』に変換されたのか?『中』とかの方がまだありそうじゃないですか?」
「中浜はあるで。長浜市内の旧びわ町の中の町やけど。…ああ、もう南浜になったんやっけな」
「…もしかしたら、その中浜が『仲浜』だったのかも知れませんよ」
「そうかもな」
「…そうかもなって…」
相変わらずのいい加減さに優希は絶句した。そんな彼女にかまわず、流雲はいつもの飄々とした笑みを浮かべる。
「まあ、真相は神のみぞ知るってことやな。ただ、俺に言えるんは、長浜はええとこやし、想像は楽しいということだけや」
「…はいはい」
「今回もええのが書けそうやな」
「今回『も』って言うところが相変わらずですね…」
口調は呆れていたが、優希の口元はかすかに緩んでいる。それがわかっているのかいないのか、その隣で天才小説家は、知らぬ顔で大きく伸びをした。
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