森のささやき
蓮見かえでは音楽の授業でワーグナーの音楽を聴いてからクラスメイト達に微笑んでこんなことを言った。
「いい音楽だったわね」
「ええ、独特のね」
「凄い音楽だったわね」
「タンホイザー序曲ね」
「聴いたら忘れられないわ」
「何かね」
かえではワーグナーの音楽に感銘を受けている友人達にこうも言った。
「森をイメージしてよかったわ」
「かえでちゃんの好きな?」
「森をなの」
「思い浮かべたの」
「そうだったの」
「そうなの、だから余計にね」
ワーグナーの音楽はというのだ。
「よかったわ。ワーグナーの曲もっと聴きたいわ」
「かえでちゃん森好きだし」
「だから余計になのね」
「ワーグナーの音楽もっと聴きたくなったの」
「森をイメージするから」
「だから後で先生にお願いして」
音楽の先生にというのだ。
「それでね」
「もっと聴くのね」
「そうするのね」
「ええ、そうしたいわ」
実際にと言ってだ、かえでは昼休みに音楽の先生に話して音楽室でワーグナーの音楽を時間が許す限り聴いて彼にまつわる資料も聴きながら読んだ。
その後でだ、クラスで友人達にまた話した。
「実際にワーグナーの作品って森が舞台になること多いみたいよ」
「そうなの」
「実際に森が多いの」
「そうなの」
「本読んでたらやたら森の場面が多いの」
ワーグナーの作品ではというのだ。
「オペラでね」
「ああ、ワーグナーってオペラ作曲してたのね」
「そういえばタンホイザーだってオペラだし」
「それでオペラになのね」
「森の場面が多いのね」
「そうなの、道理でね」
かえでは自分から言った。
「森をイメージした筈よ。ただね」
「ただ?」
「ただっていうと?」
「何かね」
かえでは考える顔でこうも言った。
「森って言ってもね」
「どうなの?」
「森って言ってもって」
「何かあるの?」
「ええ、日本の森とはね」
どうにもというのだ。
「違うみたいなの」
「じゃあどんな森なの?」
「ワーグナーからイメージした森って」
「どんな森だったの?」
「ええ、グリム童話とかのね」
かえでは何となく思い浮かべて言った。
「そんな森なのよ」
「狼とか出る?」
「あと妖精とか魔女とかがいる」
「そんな森?」
「そうなの。実際森でドラゴンがいたり小人がいたり魔女がいたりするし」
読んだ資料をざっと思い出しての言葉だ、かえではまだジークフリートのドラゴンや小人、ローエングリンの魔女オルトルートをよくわかっていないのだ。まだワーグナーを聴いたばかりだからである。
「聖杯を護る騎士のお城があったり恋人同士が会ったり」
「色々あるのね」
「ワーグナーの森って」
「というかグリム童話ってドイツだけれど」
「ワーグナーもドイツの人だし」
授業の時に先生から教えてもらったことだ、友人達もこのことは覚えていおのだ。
「じゃあドイツの森になるわね」
「狼とかがいる」
「赤ずきんちゃんとかの森よね」
「赤ずきんちゃんってイメージじゃないけれどね」
「ワーグナーの音楽ってね」
かえでは友人達に赤ずきんちゃんは否定した。
「また違うわよね」
「どうもね」
「そこはまた違うわよね」
「赤ずきんちゃんかっていうと」
「また別の感じよね」
「けれど日本の森じゃないっていうのはね」
その日本の森をいつも歩いているかえでとしてはだ。
「思ったわ」
「そこは仕方ないわね」
「だってドイツの人だしね」
「ドイツの森になるのはね」
「仕方ないわね」
「日本の森にも狼いるけれど赤ずきんちゃんの狼じゃないし」
それにというのだ。
「ドラゴンとか妖精とか魔女もいないし」
「鬼や天狗はいてもね」
「色々妖怪いても」
「魔女じゃなくて山姥だしね」
「そうしたのがいて」
「全然違う感じがするわ」
同じ森でも日本とドイツでは、というのだ。
「本当にね」
「そうよね」
「まあ日本の森の音楽だとね」
「童話のそれ?」
「金太郎とか瘤取り爺さんとか」
「そんなのよね」
友人達はそうした童話の歌を思い出して話した。
「金太郎って山姥に育てられたし」
「瘤取り爺さん鬼出るしね」
「どっちも山だし」
「日本の山って本当に鬼とか妖怪よね」
「天狗とか山姥で」
「そうよね、けれど私としては」
かえでは友人達に考える顔で話した。
「その方がいいわ」
「日本の森の方がいいのね」
「かえでちゃんとしては」
「そうなのね」
「ずっと中を歩いてきたから」
それでというのだ。
「馴染みがあるから」
「日本の森の方がいいのね」
「あと聴いてわかったのね」
「ワーグナーがドイツの森だって」
「日本の森をよく歩いているから」
「それでなのね」
「日本の森ってね」
かえではその森についても話した。
「四季があるでしょ」
「春夏秋冬でね」
「それぞれあるわね」
「本当に季節によって変わるわよね」
「例えは今だとね」
今の季節のことも話した。
「秋でしょ」
「秋は紅葉」
「それよね」
「紅葉や銀杏が奇麗よね」
「日本の秋ならではよね」
「それがあるでしょ、それにね」
かえでは友人達に微笑みを浮かべて話した。
「秋は食欲の秋で」
「実りの秋よね」
「だから山に色々な果物が出て来るのよ」
「柿とかね」
まずはこの果物が挙げられた。
「栗、アケビってね」
「山葡萄もあるしね」
「色々あるわよね」
「日本の秋の森っていいわよね」
「ドイツの森とはまた違って」
「四季があってね」
「そうした実りもあるのよね」
友人達も笑顔で口々に話した。
「夏は涼しくてね」
「緑の葉が奇麗で」
「蝉の声がして」
「カブトムシとかクワガタがいて」
「男の子が獲るのよね」
「私虫は興味ないけれどそうした声とか風景が好きだから」
かえでもまた話した。
「夏の森も好きよ、春も冬もね」
「春はね」
「雪が溶けて目覚めるみたいな」
「そんな風でね」
「今まで死んでいたのが蘇るみたいな」
「そんな風になるわね」
「冬眠していた生きものが出て来てね」
かえでは彼等の話もした。
「いいでしょ、冬は寒くて雪が怖いけれど」
「雪に包まれた森もいいわよね」
「白くなってね」
「もう一面ね」
「見る分には奇麗なのよね」
「冬の森も」
「だから好きなの」
冬の森もというのだ。
「安全な場所にしか入らないけれどね」
「そうなのね」
「かえでちゃん日本の森は何時でも好きってことね」
「だから山ガールになってるのね」
日本の森はイコール山と言っていい。山が多くそしてその山が木々に囲まれているのが日本という国だからだ。
そしてだ、かえでも森の中を歩くことが好きなので実質的に山ガールにもなっているのだ。
「それで今度もよね」
「山行ってそうしてね」
「それで楽しんでくるのよね」
「そのつもりよ」
かえでは友人達ににこりと笑って答えた。
「秋だしね」
「その実りの秋ね」
「秋の紅葉を見て」
「それで果物も食べるのね」
「そうしてくるわ、登山部の皆と行って」
高校のだ、この学校の登山部は女子も数人いてかえでもそのうちの一人なのだ。
「それでね」
「楽しんできてね」
「感想待ってるわよ」
「秋の森どんな風かね」
「柿とかの味もね」
「苺は野苺だけれど」
かえでは自分の好物の話もした。
「それも食べたいしね」
「苺は畑だしね」
「ちょっと森にはないのよね」
「どうもね」
「あるにしても野苺なのよね」
「そうなのよね」
「それでも苺だから」
このことは同じだからだというのだ。
「食べたいわ」
「そうよね」
「じゃあ楽しんできてね」
「野苺の方も」
「そちらもね」
「そうしてくるわ、ただね」
ここでこうも言ったかえでだった。
「何時かはね」
「何時か?」
「何時かっていうと」
「ドイツに行って」
そしてというのだ。
「あの国の森も行ってみたいわね」
「ドイツのその森にもなの」
「行ってみたいの」
「そうなの」
「ええ、そうも思ってるから」
森好きとしてはというのだ。
「ドイツに行ってね」
「それでなのね」
「ドイツの森に行って」
「具体的にどういった風なのか見る」
「そうするのね」
「流石に妖精やドラゴンや魔女はいないし」
ワーグナーのオペラの様にというのだ。
「童話みたいに悪い狼もいないけれどね」
「お菓子の家もね」
「実際はそうしたのはいないけれど」
「それでもよね」
「ドイツの森も行って」
「それで楽しんでくるのね」
「そうしてくるわ」
絶対にと言ってだ、そしてだ。
かえでは今は日本の秋の森に部活動で行った、そうして紅葉だけでなくその幸特に野苺を楽しんだ。そうして友人達に笑顔でその森のことを話した。
森のささやき 完
2018・9・21
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