アラサー女の家族
和泉瑞樹は美容師である、その腕は見事で外見も中性的に整っているが彼女の家族構成や日常については誰も知らなかった。
それで後輩達はよく彼女のことを話していた。
「和泉さんってどう暮らしているのかしら」
「わからないわよね」
「一人暮らしだっていうけれど」
「何処に暮らしているのか」
「それでどういった生活をしてるのか」
「全然わからないのよね」
「そうなのよね」
こう話していた、とかくだ。
瑞樹のプライベートは謎に包まれていた、仕事はそつなくこなすが店員達とも客達とも深い交流はなく仕事が終わるとすぐに家に帰り自分からプライベートのことは話さずそして聞かれても当たり障りのない素っ気ない返事ばかりでプライベートの実態がわかることは一切なかった。
それでだ、誰もが彼女のプライベートについてはどういったものか知らずそれで興味を持っていた。だが。
他人のプライベートを検索することを好まない店長が店員達に言うのだった。
「個人情報についてはね」
「聞かないこと」
「それがエチケットですね」
「ネットでも個人情報をやけに聞く人はね」
そうした者についても話すのだった。
「まともな人じゃないから」
「他の人の個人情報を手に入れてどうするか」
「そう考えるとですね」
「まともな人とは思えないですね」
「何かあると思った方がいいですね」
「そうよ、そうした人と同じだから」
ネット上でいる如何にも怪しい人物と、というのだ。
「だからそうしたことはしないことよ」
「そうですか」
「それじゃあですね」
「この話はこれで終わりね」
こう言って店員達の話を止めた、そしてそのうえで自分も瑞樹のプライベートのことを聞くことはなかった。
瑞樹は出勤して退勤するまで真面目に働くのが常で仕事ぶりもサバサバしている、だが彼女のプライベートを知っているのは他ならぬ自分自身だ。
それでだ、瑞樹は自分の部屋に帰ってだった。
まずは拾った猫に餌と水をやった、そうしてトイレのチェックもして砂を捨てて新たに補充した。ペットを飼ってもいいアパートなのでこのことはよしとした。
そして自分の夕食を軽く作って食べた、野菜炒めと玉葱の味噌汁だ。それに白い御飯と梅干を食べていた。
そうしつつだ、スマホが鳴ったので出た。音楽はドボルザークの新世界よりの第四楽章だ。出る時に相手のチェックもしてこう聞いた。
「どうしたの?」
「いや、元気かなって思ってね」
「元気よ」
瑞樹は相手に素っ気なく返した。
「病気一つしていないわ」
「それは何よりだよ」
「ええ、ただね」
「僕がいないからだね」
「全く、結婚したのに」
「いやあ、いきなり海外に転勤とかね」
「ベルリンにね」
ドイツの首都、そして欧州の中でも重要な街の一つだ。
「森鴎外みたいね」
「あの人は留学だったけれどね」
「四年ね」
「長いよね」
「そうね、もう貴方が行って四年よ」
「悪いね」
「仕方ないわ、お仕事だから」
結婚してすぐに海外に転勤となったこともというのだ。
「だからいいわ」
「そう言ってくれるんだ」
「そうよ、それでもあと少しね」
その四年もというのだ。
「だから待ってるわ、あと猫もいるから」
「家族も増えたしね」
「貴方が行ってからね」
最近のことであった、猫は瑞樹の傍のクッションの上で丸くなって今にも寝ようとしている。
「大家さんもいてくれてるし」
「それでだね」
「何とか寂しくなくやっていけてるわ」
「じゃあ僕が帰るまで」
「待っているから」
「そうしてね」
「ええ、じゃあね」
「うん、ただ君は今もさばさばしているね」
相手、夫は瑞樹のこのことについても言及した。
「そこは変わらないね」
「外見も変わらないわよ」
「スマホで送ってくれる画像見たらそうだしね」
「修正はしてないから」
「そうだね、じゃあいよいよ日本に帰るから」
「楽しみにしているわ」
やはりさばさばとして答える瑞樹だった、そのうえでだった。
夫がスマホを切ると後は食事に戻った、そうして後片付けをしてからお風呂に入って歯を磨いて寝た。夜早いが特にすることもなかったので寝た、朝は極めて不機嫌ながらも起きて簡単な朝食を食べてから出勤した、そんな瑞樹のプライベートだが誰も知らなかった。極めて普通のものということも。アラサーであることを話していたが実は海外赴任をしている夫そして猫が家族にいて大家さんとも親しいことを。
アラサー女の家族 完
2018・9・23
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